8.米国製西部劇といえば、この人なしには語れない!!
ジョン・ウェイン(1965年)
生まれた時は”超”が付く健康優良児だった!!
ジョンの父、クライド・レオナルド・モリソン(1884-1937)は、薬剤師を営み、アメリカ南北戦争で活躍したマリオン・ミッチェル・モリソン(1845-1915)の息子であり、母親、メアリー・アルバータ・ブラウン(1885-1970)は、ネブラスカ州ランカスター郡の出身であった。ジョンは、スコットランド、アイルランド、およびイングランドの血を引いている。
ジョン・ウェインの家族写真(一番左がジョン)
フットボール選手として活躍した頃のジョン・ウェイン
ジョンは大学に通っていた時から、フットボールのコーチの知人であった映画スター、トム・ミックス(サイレント映画期の西部劇の人気スター)の紹介(フットボールのチケットと交換に夏の間、大道具係の仕事を彼に世話していた)で、夏休みに大道具・小道具係のアルバイトをし、エキストラで数本の映画に出るようになっていた。
ジョン・フォード監督(1946年)
ヴェラ・ラルストンとともに。『ダコタ荒原』(1945年)の宣材写真
ジョンは生涯出演した154本もの映画のうち、79本は西部劇であり、強く英雄的な役割を多く演じ、逞しく深みのあるヒーロー像を築いていったに違いない。多くの作品に出演したジョンは『硫黄島の砂』で主演男優賞、監督した『アラモ』で最優秀作品賞と2度のアカデミー賞ノミネートを受けていた。だが、そんな中1964年に肺癌を宣告され、片肺を失うも闘病を宣言して俳優活動を続けていった。そして1969年の『勇気ある追跡』で粗野で酒飲みな隻眼の保安官を演じ、ようやく最優秀主演男優賞を受賞した。念願のオスカーを手にしたウェインは人気を取り戻し、以後遺作となった『ラスト・シューティスト』まで精力的に活躍した。度重なる手術後まもなく、周囲の反対をよそにアカデミー作品賞のプレゼンターとして授賞式に参加し、その二ヶ月後の6月11日に永眠した。墓標には“彼は醜く、強く、誇り高い男だった”と刻まれている。
私なりにジョンの映画を選りすぐると・・・
上記でも述べたが、何せ154本もの映画に出演しており、主だった作品だけでも88本に及ぶのだから、もし読者の方の一押し映画が入って無くてもご容赦下さい。勿論下記にない映画でも良い作品、感銘する作品は沢山ありますから・・・。
その1.『駅馬車』(1939年)
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『駅馬車』の一場面
言わずと知れた西部劇の傑作、というよりアメリカ映画の古典である。映画評論家の故淀川長冶さんはこの映画を60回観たと伝えられる。ワタクシもこれで何度目になるだろうか。良い映画というものは何度見ても新しい発見が有るものだが、そのことをこの映画によって教わったのである。
今回の発見は、駅馬車の乗継所のシ-ンで、夜、インディアン女の乗継所のカミサンが意味ありげなスペイン語の歌を唄うのだが、もしスペイン語を解する者がこれを聞けば、これが、この女と乗継所の雇人たちのその後の行動(逃亡)を示唆する歌であることが分かったのではないだろうか?
それにしても見事な作品である。出だしの「ジェロニモ!」という不吉な音声からサスペンスを畳みかけて行く手法、駅馬車に乗り合せる様々な人生を背負ったキャラクタ-の組み合わせの妙、前衛的とも思える映像処理、そして、ラストの爽やかな締めくくり方。監督・脚本・撮影・音楽・俳優が混然一体となって成し遂げた傑作である。
その2.『黄色いリボン』(1949年)
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『黄色いリボン』の一場面
ブリトルズ大尉もこのタイリ-軍曹には一目置いていて、彼のバッファロ-の群れが出現したことの戦略的な意味の解釈を聞いて、いよいよ彼への信頼を厚くする。いつの間にか若き士官たちと黄色いリボンの娘は後景に退いてしまい、馬を駆ってモニュメント・ヴァレ-を縦横無尽に疾走するタイリ-軍曹と、騎兵隊に同行して荒野を走り渡河作戦にまで参加する犬たちばかりが目立ってしまったのだった。退役して西を目指す元騎兵隊大尉ブリトルズに再任命令が発せられ、その書類を持ってブリトルズを追うのは、もちろんタイリ-軍曹の役目だった。夕焼けをバックにしたウエインとジョンソンの「馬上の二人」の映像は忘れがたい印象を残す。
その3.『静かなる男』(1952年)
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公開当時のポスター
西部劇、あるいは社会派映画の名手といったイメージが強いジョン・フォード監督にしては、この作品はそのどれにも当てはまらず、どちらかといえば牧歌的雰囲気のコメディという割合地味な映画だが、しかしある意味においてはフォード監督の最高傑作と言えるのかもしれない。
その4.『リオ・ブラボー』(1959年)
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『リオ・ブラボー』の一場面
もう一つ、病人を装った殺し屋たちがチャンスを襲撃しようと馬で近寄ってくる場面で、タバコを分けて貰って巻くためにライフルをコロラドに託す時、コロラドが“いつもこうして撃鉄を上げてるんだ・・・”と何気なく言うのに、チャンスが“ああ”と応えるのだが、これが次の銃撃シ-ンの巧みな伏線となっていたことに今回初めて気付いたのは、我ながら迂闊でありました。撃鉄が上がっていたからこそ、チャンスはコロラドから投げ渡されたライフルを引き金を引くだけの一動作で発射することが出来、コロラドの協力を得て三人の殺し屋を倒せたのである。
その5.『史上最大の作戦』(1962年)
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『史上最大の作戦』の一場面
プロデューサーのザナックが「ジョン・ウェイン抜きのオールスター映画はありえない」と考え、彼は白紙の小切手を用意、ごねるジョン・ウェインの言い値でギャラを支払うとオファーした。
ジョンの条件は「主演扱いにすること、拘束日数は一週間を超えないこと、出演料は20万ドル(数日間拘束という条件で出演した他の大スターたちは最高でも3万ドル)」というものだった。
58年、当時史上最高額のギャラとして話題になった『黒船』のときでさえ、14週間で70万ドル(1週あたり5万ドル)であったことを考えれば、いかに法外な金額だったかがわかる。
ジョンにしてみれば、さすがにこの条件ならザナックも諦めるだろうと思っていたのだが、ザナックは無条件でこの要求を呑んだそうだ。
その6.『勇気ある追跡』(1969年)
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