7.史上最高齢76歳でアカデミー賞主演男優賞を受賞するが、授賞式の5ヵ月後に死去!!

ミスタア・ロバーツ(1948年)出演時のヘンリー・フォンダ
子供の頃は内気で絵を描くのが趣味であり、新聞記者を志す!!

若い頃のヘンリー・フォンダその1(1923年)

若い頃のヘンリー・フォンダその2(1926年)
何箇所かの劇団を渡り歩きながらも演技の実力を磨いていったヘンリー・フォンダは1928年にユニバーシティ・プレイヤーズ・ギルドに参加、そこで将来最初のフォンダの妻となるマーガレット・サラヴァンや、同じく俳優を目指すジェームズ・スチュアートやジョシュア・ローガンと出会うことになり、翌年には『The Game of Life and Death』の通行人役でついにブロードウェイにデビューする。
1934年に『New Face』というショーで認められたことがきっかけで、翌年には『運河のそよ風』の主役に抜擢される。この舞台の成功によってハリウッドに招かれ、1935年にヴィクター・フレミングの同作の映画版で映画デビューを果たす。 これにはちょっとラッキーな一面があり、ゲーリー・クーパー、ジョエル・マクリーなどが出演を辞退したため、舞台に出演していたフォンダが抜擢されたということだ。この後、大作や話題作などの映画に主役を含めてどんどん出演するようになり、映画スターの道を歩んで行くようになる。
ジョン・フォード監督との蜜月

ジョン・フォード監督
ヘンリー・フォンダの私生活は単調ではなかった!!
ヘンリー・フォンダは生涯で5度結婚している。最初の妻で女優のマーガレット・サラヴァンとは1931年に結婚するも1933年に離婚。次は1936年にニューヨークの裕福な弁護士と死別し間もないフランシス・シーモア・ブロカウと結婚し、ピーターとジェーンの二人の子供を儲けたが心身を病み1950年に精神病院で自殺してしまった。フォンダは子供達を動揺させないために母親は心臓発作で死んだと教えたという。同年、以前から交際していたオスカー・ハマースタイン2世を継父に持つ舞台関係者のスーザン・ブランチャードと3度目の結婚をし、養女を一人取るが3年後に離婚。1957年、ロスチャイルド家の親戚でイタリアの男爵令嬢でもあるユダヤ人のアフデラ・フランチェティと4度目の結婚をし1961年に離婚。1965年に結婚したスチュワーデス兼モデルだった最後の妻シャーリー・アダムスとは彼の死まで一緒であった。フランシスとの間に生まれたジェーンとピーターは父親の後を追って俳優になるが、母親の死の真相を知った二人と父親の関係は次第に悪化し、ジェーンとピーター共に俳優として成功した後も、過激な振る舞いでマスコミを賑わせて一時期フォンダを悩ませた。のちに和解にいたるまで長い時間を要した。

1943年、娘のジェーン・フォンダと
女優でありながら”反戦闘士”としてブラックリストに載せられたジェーン・フォンダに纏わるよもやま話【前編】 - Middle Edge(ミドルエッジ)
私的にヘンリーフォンダの映画を推選すると・・・?!
ヘンリー・フォンダが出演した映画の中で皆様にぜひ一度は見て頂きたい映画をご紹介したいと思うのだか、中には”ネタバレ”もあるのでご注意下さい。
その1.『怒りの葡萄』(1940年)

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一家で国営キャンプに潜んだが、彼を追う保安官が姿を現わし、トムはまた一人逃亡の旅に出る・・・。再会を信じ、彼を送り出す母の逞しい言葉で映画は締めくくられ、やるせない余韻を残す。

劇場公開時の際のポスター
その2.『荒野の決闘』(1946年)

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無法の荒野に生きるワイアット・アープにとって、クレメンタインのような東部の淑女を目にしたのは、生まれて初めてだったのかもしれず、片や、東部から無法の荒野に流れてきたドク・ホリディにとって、チワワは、ひょっとすると初めて出会った西部の女なのかもしれない。西部の男と東部の女に、東部の男と西部の女の組合せ。同じ監督の『駅馬車』 (1939 年) では決して相容れないものとして描かれていた はずなのが、この映画では 「東部」 との和解なのだろうか?リンゴ・キッドも荒野へと去って行った訳ですが、その意味合いが非常に対照的です。

『荒野の決闘』の開始部分
その3.『12人の怒れる男』(1957年)

12人の怒れる男/評決の行方 [AmazonDVDコレクション]
日本で裁判員制度が始まった現在こそ、より多くの人に観ていただきたい作品であると感じる。決して他国の話ではなく、正に日本でも誰もが裁判員に選任される時代になり、そのための恰好の事前
研修ビデオになりうる作品ではないか??。

『十二人の怒れる男』の一場面
その4.『黄昏』(1981年)【最後】

『黄昏』(1981年) [DVD]
ジェーン・フォンダが不仲だった実父ヘンリーのために用意した作品で、スクリーンの裏側でも映画同様の葛藤が行われていた。念願かない、父と娘の絆は現実でも虚構でも復活し、ヘンリーはオスカーを受けて5ヵ月後に永眠。映画を観る事の素晴らしさが、フィルム上のものだけでない事を痛感させられる名編である。ぜひ1度は”観る価値あり”の映画の中の1本である。

『黄昏』の一場面