女優でありながら”反戦闘士”としてブラックリストに載せられたジェーン・フォンダに纏わるよもやま話【前編】

女優でありながら”反戦闘士”としてブラックリストに載せられたジェーン・フォンダに纏わるよもやま話【前編】

ジェーン・フォンダを記事にしようとすると、どうしても書かなければならないのが、1950年代はファッションモデル、1960年代は女優へ転身し、1970年代は反戦運動の闘士、80年代はエアロビの女王。90年代に一度引退し、21世紀になってまた、女優へと復帰という目まぐるしい程の人生のターニング・ポイントだ。実に波乱万丈ではないか!?


ジェーン・フォンダってだれ?と言っている諸君へ!!

ジェーン・フォンダ(Jane Fonda, 本名:Jayne Seymour Fonda, 1937年12月21日 - )は、米国ニューヨーク州ニューヨーク市出身の女優、作家、政治活動家、エアロビ・トレーナー。
これまで7度のアカデミー賞候補にノミネートされ、1971年に『コールガール』、1978年に『帰郷』と、主演女優賞を2度受賞している。
父は『怒りの葡萄』や『戦争と平和』などの映画に出演した俳優のヘンリー・フォンダ、弟も『イージー・ライダー』で一躍スターダムに躍り出たピーター・フォンダ、姪のブリジット・フォンダも『アサシン 暗・殺・者』に主演した女優である。

ジェーンの父の家系は、1500年代にイタリアからオランダに移住、1600年代にオランダからアメリカに移民してきたという。また、母は父であるヘンリー・フォンダの二人目の妻でフランシス・シーモア・ブロカウと言い、カナダ生まれで社交界の有名人であった。母は父のヘンリーと結婚前に、ニューヨークの裕福な弁護士と死別し間もない1936年に結婚し、翌年にジェーンがニューヨークで生まれた。

2015年、カンヌ映画祭でのジェーン・フォンダ

ジェーンの子供時代はつらかった!!

1950年、ジェーンが12歳の時、母親がニューヨークのビーコンにあるクレイグハウス精神病院で治療を受けている間に自殺をしてしまった。当時父のヘンリーは子供達を動揺させないために、母親が心臓発作で亡くなったと教えていたが、間もなくして、ある雑誌に母親が喉をカミソリで切ったという記事を読んでしまう。また、その3ヵ月後に後妻のスーザン・ブランチャード(以前から交際していたオスカー・ハマースタイン2世を継父に持つ舞台関係者)を迎えた父に反発し、以降その関係は時代を追うごとに悪化の一途を辿っていった。

1943年、父のヘンリー・フォンダと

ジェーンはあるインタビューで「私は子供のころ、両親の所有物のようだった。そのトラウマを乗り越えるのに70年以上かかってしまったわ。親から愛されたいのなら、親が納得する格好やスタイルをして、体重も親が納得するものでなければならないなんて、親は娘に絶対に思わせてはいけないのよ(ジェーンは何十年もの間、過食症に苦しんでいたそうだ!!)」と語ったという。

ニューヨーク州ポキプシーに本部を置くヴェッサー女子大(卒業生にはメリル・ストリーブがいる)へ入学するが、中途退学し画家を目指してパリへ留学。帰国後、次第に女優を志すようになり、1959年、モデルとして「ヴォーグ」誌のカバー・ガールを2度も飾るなどしながら、ニューヨークのアクターズ・スタジオで演技を学ぶ。父に反発しながらも、やっぱり「蛙の子は蛙」なのか!?ゲロ!!

1950年代は「モデル」として活躍したんですよ!!

1959年7月のヴォーグ表紙

Goddesses of Our Youth #20: Jane Fonda

1964年、父の影を嫌い、映画『危険がいっぱい』の出演を期にフランスへ!!

ハリウッドでのパターン化された役どころを嫌い、父の影響力から逃れるために、フランスから『危険がいっぱい』への出演依頼をあったのを機会にアメリカを脱出。

『危険がいっぱい』(きけんがいっぱい、Les félins)は1964年のフランスの犯罪映画。米国の作家デイ・キーン(フランス語版)の1954年の小説『喜びの家(原題:Joy House)』を原作としている。

監督	ルネ・クレマン
脚本	ルネ・クレマン
   パスカル・ジャルダン
   チャールズ・ウィリアムズ
原作	デイ・キーン『喜びの家』
製作	ジャック・バール
出演者	アラン・ドロン
    ジェーン・フォンダ
    ローラ・オルブライト

危険がいっぱい【ブルーレイ版】 [Blu-ray]

監督があの「太陽がいっぱい(1960)」のルネ・クレマンだが、その雰囲気はまったくなくコミカル調だ。未亡人のバーバラ(ローラ・オルブライト)とマルク(アラン・ドロン)が、良い仲になるのだが情夫ヴァンサン(アンドレ・オウマンスキー)と上手くいっていないわけでもなく、ちょっと説明不足な所がある。メリンダ(ジェーン・フォンダ)が、横恋慕的にマルクを我が物とする為に話が進むのだが、フランス人はこういう話が好きなのか?

美しい蝶に脱皮しセックスシンボルへ!!

共演したアラン・ドロンの紹介で出会った映画監督ロジェ・ヴァディムの『輪舞』に出演した後、ヴァディムと8月に結婚。
女優づくりの名手といわれるヴァディムにより、美しい蝶に脱皮しセックスシンボルとなってゆくが、結婚生活では彼の性的嗜好にプライドを傷つけられたそうだ。(所謂、変態だ!!)。
この頃を象徴する映画としては、やはり『バーバレラ』だろう。

ジェーンにもこんな時があったんですね!?

ブロマイド写真★映画『バーバレラ』ジェーン・フォンダ/毛皮に寝転ぶ/アップ

バーバレラ(Barbarella)は、1962年にジャン=クロード・フォレ(Jean-Claude Forest)によって作られたフランスのSFコミックおよび、主人公の女性キャラクターの名前。

監督	ロジェ・ヴァディム
脚本	ジャン=クロード・フォレ
   クロード・ブリュレ、など
原作	ジャン=クロード・フォレ
製作	ディノ・デ・ラウレンティス
出演者	ジェーン・フォンダ
    ジョン・フィリップ・ロー
    アニタ・パレンバーグ
    ミロ・オーシャ

バーバレラ(1967年) [DVD]

タイトルバックの無重力ストリップが一番の見せ場でジェーン・フォンダがすっごく綺麗だ。
SF漫画だが、作りはチープで本当にバカな映画。でもそのエロティシズムは人工美の極致だ!!。

時代はベトナム戦争混迷期へ、彼女も次第に政治活動に目覚める!!

『ひとりぼっちの青春』(原題:They Shoot Horses, Don't They?)は、1969年制作の米国の映画で、ホレス・マッコイ原作の小説『彼らは廃馬を撃つ(They Shoot Horses, Don't They?)』をシドニー・ポラック監督が映画化したものだ。ジェーン・フォンダにとって初めての社会派映画。
ジェーンはこの作品で第42回アカデミー賞で主演女優賞にノミネートされ、共演のギグ・ヤングが助演男優賞を受賞した。

監督	シドニー・ポラック
脚本	ジェームズ・ポー
   ロバート・E・トンプソン
原作	ホレス・マッコイ
製作	ロバート・チャートフ
   アーウィン・ウィンクラー
製作総指揮	セオドア・B・シルズ
出演者	ジェーン・フォンダ
    マイケル・サラザン
    ギグ・ヤング

ひとりぼっちの青春(1969年) [DVD]

この作品はジェーンにとって初めての社会派な作品で、ジェーンの状況と重なる点が多く、色んな面で共感を覚え、人生の転機になった作品という。
夫であるロジェ・ヴァディム監督との夫婦関係が危うくなっている上に妊娠していて、自分自身や世界の事など多くの事を抱えていた時の撮影だったと、あるインタビューで答えていた。

さて作品はというと、究極のペシミズム。絶望感と悲壮感で胸が苦しくなる。ビジネスといえば格好いいが、観客を慰め落伍者を弄ぶショウとして描いている。J・フォンダ32歳。「コールガール」よりこっちの方がいいと思うけど・・・?。英国から落魄れてきた女優S・ヨークもいいように晒される。アカデミー8部門にノミネートされたがG・ヤングのみ助演男優賞に輝いた。

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