BOØWY
暴威 → BOØWY

BOØWYが暴威として結成した時は6人体制でしたね!
1982年に暴威からBOØWYに改名。その後、ギターの諸星アツシさんとサックスの深沢和明さんが抜けて、我々が良く知る4人体制となりました。
この当時、バンドでコピーする時はBOØWYが登竜門だった様に思います。
まさに伝説ですよね(^^)/

代表曲 「Marionette」
7'' BOOWY / Marionette / THE WILD ONE with SU... - ヤフオク!
子門真人
藤浩一 → 子門真人

子門真人(しもんまさと)さんは本名が藤川正治(ふじかわしょうじ)さんといい、旧芸名を藤浩一(ふじこういち)と名乗ってました。
デビューしてから5曲目までは藤浩一で活動してのですが、残念ながらまったく売れず、1年半で引退しました。
その後、歌手として復帰し、『仮面ライダー』の主題歌「レッツゴー!! ライダーキック」が大ヒットし、アニメ主題歌を主軸として活動を再開しています。
子門真人さんの芸名については、あまりにも数が多く、どのタイミングでどの芸名なのかは把握しきれませんが、皆さんもご存じの「およげたいやきくん」のリリースの時には子門真人名義でしたね。
把握しているだけでも11個も芸名のある子門真人さん。
気がつかないところで、子門真人さんの歌を聴いてるのかもしれませんね(^^)/

代表曲 「およげたいやきくん」
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プリンセス・プリンセス
赤坂小町 → JULIAN MAMA → プリンセス・プリンセス

1983年のオーディションで集まった5人のメンバーが『赤坂小町』というバンド名がつけられました。このバンド名の由来は、公募であったりレコード会社の所在地が赤坂であったりと諸説ある様です。
1985年に所属事務所を変えた時に『JULIAN MAMA(ジュリアン・ママ)』にバンド名を変更したのですが、この時には曲を発表していません。
そして、1986年の5月に『PRINCESS PRINCESS』に改名されました。
その後の破竹の勢いは皆さんのご存じ通りですね(^^)/

代表曲 「世界でいちばん熱い夏」
プリンセスプリンセス / 世界でいちばん熱い夏 | 中古 | ミュージックテープ | 通販ショップの駿河屋
吉幾三
山岡 英二 → 吉幾三

1973年に吉幾三さんは山岡英二の芸名で活動を始めました。デビュー曲である「恋人は君ひとり」はヤンマーディーゼルのCMにも起用され、出だしは悪くなかった様です。ちなみに、この時はアイドル歌手でした。
1977年に吉幾三と改名したのですが、その時は演歌ではなくフォークソングでした。吉幾三としての再デビュー作である「俺はぜったい!プレスリー」はヒットし、映画にもなりました。
その後、なかなか売れない時期が続くのですが、千昌夫さんに「津軽平野」を提供し、作曲家としての才能も開花させていきます。
そして、1986年に「雪國」を発表。正統派演歌でありながらオリコン1位を獲得。それからは演歌歌手としての活動を続け、今に至っています。
吉幾三さんの凄いところは、演歌歌手でありながら楽曲を自分で作ってるんですよね。こういう方はなかなかいません。素晴らしいことだと思います。

代表曲 「雪國」
レコード、吉幾三、雪国 - ヤフオク!
LUNA SEA
LUNACY → LUNA SEA

『LUNA SEA』はインディーズ時代には、狂気という意味の『LUNACY』と名乗っていました。
メジャーデビューする時には、ラテン語で月を意味するLUNAと英語で海を意味するSEAを組み合わせ『LUNA SEA』と名乗っています。
一つの意味に縛られず、また音楽的にも「月のように変化があって、海のように深く」という思いから付けられたそうです。
2000年に一度終幕を迎えましたが、2010年からはまた活動を再開している『LUNA SEA』
これからも名曲を生み出して欲しいですね(^^)/

代表曲「ROSIER」
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井上陽水
アンドレ・カンドレ → 井上陽水

井上陽水はデビュー当時、「アンドレ・カンドレ」という芸名で活動をしていました。その時にリリースした曲が「カンドレ・マンドレ」。ちょっとややこしいですね(笑)
1971年に所属事務所を移籍し、井上陽水と名乗ることになります。
もともと井上陽水さんの本名は井上陽水と書いて(いのうえあきみ)であり、それを(ようすい)と読み方を変え、再デビューを果たします。
その後は誰もが知ることとなるビッグネームとなった井上陽水さん。
大活躍ですよね(^^)/

代表曲 「少年時代」
【CDS】井上陽水/少年時代 - ヤフオク!
CHAGE and ASKA
チャゲ&飛鳥 → CHAGE&ASUKA → CHAGE&ASKA → CHAGE and ASKA

CHAGE and ASKAは、デビューした1979年から1988年はチャゲ&飛鳥、1989年にはCHAGE&ASUKA、1990年から2000年まではCHAGE&ASKA、そして2001年以降はCHAGE and ASKAになっています。
1989年の時に名乗っていたCHAGE&ASUKAは、ASUKAのスペルだと海外で「アスーカ」と読まれてしまう為、Uをとったそうです。
現在は皆さんもご存じの諸事情で、CHAGE and ASKAとしての活動はみられませんが、いつかまた復活して欲しいものですね(^^)/

代表曲 「SAY YES」
8cm シングルCD★CHAGE&ASKA★ SAY YES (1991)国内... - ヤフオク!
小林幸子
小林幸子 → 小林さち子 → 岡真由美 → 小林幸子

小林幸子さんの芸名は、小林幸子(日本コロムビア)→小林さち子(ビクターエンタテインメント)→岡真由美(テイチク)→小林幸子(ワーナー・パイオニア)と変わってきました。レコード会社の移籍も多く、大変苦労をされているのが良く判ります。
小林幸子さんには15年程の低迷期がありました。
その間、一人で全国各地を行脚し、地方興行の中で人に言えぬ苦労を経験したそうです。
今ではビッグネームの小林幸子さんですが、それまでの苦労は、きっと私の想像を絶するものだったのだろうと思います。
今まで散々苦労をされてきのですから、これからはメディアに取り上げ続けて貰いたいですね。

代表曲 「もしかして PARTII」
小林幸子 / もしかしてPART II 幸子ベストセレクション16 | 中古 | 演歌CD | 通販ショップの駿河屋
TUBE
THE TUBE → TUBE

TUBEというバンドの名前は、サーフィン用語の「チューブライディング」からきています。
ちなみに、アマチュアの時代には『パイプライン』というバンド名でした。
1985年にデビューした頃は『The TUBE』で活動をしていのですが、北海道文化放送の「Sound club 1700」に出演した際、木村天山という姓名判断師に「画数が悪い、名前の"The"を取ればバンドは良い方向へ向かう」というアドバイスを受け、翌年1986年から『TUBE』で活動を開始。見事に3枚目のシングル「シーズン・イン・ザ・サン」が大ヒットしましたね!
確かに、『The TUBE』より『TUBE』の方がシンプルで良い気がします。
ちなみに、Face bookも、もともとはThe Facebookだったんですよね。そこからTheをとってシンプルなFacebookにしたところ、徐々に世界に浸透したとか。
やっぱり画数って大事なのかもしれませんねぇ(^^)/

代表曲 「夏を抱きしめて」
◆即決◆(TUBE) 夏を抱きしめて / 10G23 - ヤフオク!
美輪明宏
丸山明宏 → 美輪明宏

美輪明宏さんが歌手の道に進んだのは、終戦後、自身が鑑賞した映画に出演していた加賀美一郎さんという方のボーイソプラノに衝撃を受けたからだそうです。
下積み時代は進駐軍のキャンプ廻りをしながらジャズを歌っていたそうです。その時、ギャラを貰ったのがプロとしての始まりだったと語られています。
その後、銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」との専属契約を交わし、歌手デビューを飾った美輪明宏さん。この時はまだ丸山明宏で活動されていました。
不遇の時代もありましたが、1971年に読経していた時、『美輪』の字が浮かび、神が与えてくれた名前だと思ったそうです。姓名判断を調べると、完全無欠な画数だったため、この時丸山明宏から美輪明宏に改名されました。
以前テレビで美輪明宏さんをみた時に、本当に苦労をされてきた方なんだなぁと思いました。心に響く言葉を沢山持ってらっしゃる美輪明宏さんですが、一番印象に残っているのは、三島由紀夫さんを「美しい人だった」と言われていたことです。確かに壊れそうなくらい繊細な方で、美しい人だったと思います。

代表曲 「ヨイトマケの唄」
Amazon | ヨイトマケの唄 | 美輪明宏, 池多孝春, 蔦将包 | 歌謡曲 | 音楽
まとめ
いかがだったでしょうか?
今回は改名されたバンドやアーティストを特集してみました(^^)/
掘り下げてみると、皆さん下積み時代があって、苦労を重ねて上り詰めてきたんだなぁという印象です。

他にもTMネットワークがTMN、シャネルズがラッツアンドスター等々、まだまだありますが、今回はこの辺にしたいと思います(^^)/
最後までお読み頂き、ありがとうございました~!!