矢沢
オリコンアルバムランキングでベスト10入り最多記録や最年長首位記録を始め、日本人ソロ・ロックアーティストとして初の日本武道館コンサート開催し、現在も最多公演記録を更新中である。長者番付歌手部門第1位に3度なっているなど矢沢永吉の日本の音楽界における記録は書いても書いても書きつくせません。
キャロル解散後、1975年にソロになってからの矢沢永吉には敵はいなかった。70年代後半の矢沢永吉は、それはもうサクセスそのものです。

矢沢永吉
そんな矢沢永吉が次に目指したのは当然アメリカ進出。日本の矢沢から世界のYAZAWAへの挑戦が始まるわけです。1981年のことでした。
YAZAWA
70年代後半にはレコード売り上げ、ライブの動員数ともに磐石となり、その勢いのまま80年代に突入した矢沢永吉。まさに黄金期といってよいでしょう。
海外市場に活路を求め、アメリカ西海岸に活動拠点を移していよいよアメリカ進出に乗り出したのが1981年で、アサイラム・レコードと契約し9月25日には第1弾となる海外版アルバム「YAZAWA」を全世界発売します。

YAZAWA
もしかすると、もしかするとですよ、矢沢永吉はこのアルバムで、ソロになってから初の挫折を味わったのかもしれません。全米での売上げ枚数なんと2,000枚!だったのだそうです。
シングルカットされたのは「抱かれたい、もう一度」で、アルバムと同じ写真が使われています。

抱かれたいもう一度
ヒットはしなかった。全くと言っていいほど売れなかった。アメリカは矢沢永吉をもってしても簡単には落とせないということでしょうね。
しかし、曲はしっとりしていていいですよ。
YAZAWA It's Just Rock'n Roll
それにしても2,000枚とは厳しいですね。当時の国内における矢沢永吉といえば、それこそ飛ぶ鳥も落とす勢いでしたから。それなのに2,000枚。直接アメリカのレコード会社(アサイラム・レコード)と契約し、現地で曲作りを全て行ったのはは矢沢永吉が初めてといわれています。しかし結果は2,000枚。活動拠点もロスアンゼルスに移し、英語の発音から特訓を受けてのこの結果。厳しいなぁ。
しかし、勿論このまま黙って引き下がる矢沢永吉ではありません。
2枚目の海外版アルバム「YAZAWA It's Just Rock'n Roll」を1982年2月に全米でリリース!

YAZAWA IT'S JUST ROCK'N ROLL
前作同様にドゥービー・ブラザーズのメンバーがバックアップしており、プロデュースもボビー・ラカインドとジョン・マクフィー。共にドゥービー・ブラザーズのメンバーです。
この2人は作詞だけでなく作曲も担当しており、全9曲中5曲の作曲は矢沢永吉以外の作品となっています。
ボーカリストに徹したということで、アメリカで成功するんだという並々ならぬ決意が感じられますね。
シングル・カットされたのはジョン・マクフィー作詞・作曲による「ROCKIN' MY HEART 」。
この曲は、ビルボード誌の「Top Single Picks」にジョージ・ハリスンなどと共に「推薦10曲」に選ばれています。
それにしてもアルバムの半数以上を他人の作品が占めるなんてことは、後にも先にも矢沢永吉のキャリアにおいてこれだけです。それだけにブレイクして欲しかったですねぇ。
THE BORDER
1984年2月15日アルバム「THE BORDER」リリース。当初は3枚目の世界発売アルバムとして制作されていたのですが、急きょ予定が変更され新曲1曲を含むベスト・アルバムとなったという曰くつきのアルバムです。

THE BORDER
「ボビーはアンフェアだった」というコメントを矢沢永吉は残していますが、今回もプロデュースを務めていたボビー・ラカインドとの間で何かしらの問題が起こったことで予定変更せざるを得なかったようですね。
新曲はタイトルの「THE BORDER 」のみですが、これがまたどうしていい曲なんです!
いい曲ですよねぇ。作詞作曲は共に元ドゥービー・ブラザーズのボビー・ラカインドとマイケル・マクドナルドによるものです。マイケル・マクドナルドはジェームス・イングラムとのデュエットで前年「ヤー・モ・ビー・ゼア」を発表し、グラミー賞の最優秀R&Bパフォーマンス賞を受賞していましたからノッテた時期なんですね。
このチームでアルバム1枚まるつと制作できていたらと思うと残念です。
FLASH IN JAPAN
これまでの2枚の世界発売アルバムは実態としては日本のワーナーパイオニアとの契約で、アサイラム・レコードは配給だけだったことでアメリカでのプロモーションが余り出来ていませんでした。
しかし、1987年 にリリースされた3枚目となる海外版アルバム「FLASH IN JAPAN」は、ワーナーブラザーズが全面バックアップをすることになります。

FLASH IN JAPAN
アルバムの内容的には新曲に加え、日本発売のアルバム「YOKOHAMA二十才(ハタチ)まえ」と「東京ナイト」から選ばれた曲で構成されており、うち3曲は英詞バージョンとなっています。
因みに10曲目の「Hurricane」は、現在でもライブで歌われる事が多いファンに人気の定番曲「止まらないHa〜Ha」の英語バージョンですのでファンは必聴ですよ。
シングルカットされたのはタイトル曲の「FLASH IN JAPAN(作詞・作曲:Michael Lunn)」で、プロモーション・ビデオはMTVスタッフによって制作されるという力の入れようです!
アルバム「FLASH IN JAPAN」の全米での売上げ枚数は50,000枚と言われており、その印税は800万円だったと矢沢永吉自身が語っています。凄いと言えば凄い。物足りないといえば、そう言えなくもない。
う~ん、やはりプロモーションが納得のいくものではなかったのでしょう。矢沢永吉はワーナーへの不信感をつのらせ移籍することになります。
同時にアメリカ進出も止まってしまうのですが、矢沢永吉のことですからまたいつの日かきっちりと落とし前をつけてくれるに違いありません。
その日が来るのが楽しみです。