恋のブギ・ウギ・トレイン(アン・ルイス) 1979年

ラッツアンドスターのヒット曲『夢で逢えたら』のオリジナルバージョンを歌っていたことでも知られる吉田美奈子を作詞担当に迎えてつくられたこの曲は、のっけから最後まで達郎テイスト全開。どことなく、彼の代表曲『RIDE ON TIME』を思わせる爽快感抜群のナンバーです。
真夜中に2度ベルが鳴って(EPO) 1981年

資生堂のコマーシャルソング『う、ふ、ふ、ふ、』の大ヒットで知られるシンガーソングライターのEPO。彼女のデビュー曲は『オレたちひょうきん族』のエンディングテーマだったシュガー・ベイブの『DOWN TOWN』でした。その縁からなのか、達郎はEPOのサードアルバム『JOEPO 〜1981 KHz』に、この『真夜中に2度ベルが鳴って』を提供しています。
ハイティーン・ブギ(近藤真彦) 1982年

マッチが大ファンの矢沢永吉に楽曲製作を依頼したところ、「あなたのことが好きなので、最高の曲をつくりたい。ただごめんね。最高の曲ができたら僕が歌いたいよね」と断ったのは有名な話。
永ちゃんには残念ながら断られてしまったものの、達郎はすんなりオファーを快諾。それどころか、「若い子の意見も聞きたい」ということで、ジャニーズの合宿所へ出向き、ジャニーズアイドルたちと忌憚のない意見を交わしたといいます。ちなみにその時、酒好きな達郎のために水割りをつくってもっていっていたのが、少年隊のヒガシこと、東山紀之だったのだとか。
そんなの意欲が実を結び完成した名曲が、マッチ7枚目のシングルにして同名映画の主題歌にもなった『ハイティーン・ブギ』です。ロックテイスト全開な同曲に、達郎らしさを見出すことは不可能。しかし、職業作家としての幅が広がったのは間違いなく、以降達郎にとってジャニーズは、2016年にリリースされた嵐のシングル『復活LOVE』に至るまで、実に30年以上にわたって関係が続く「上顧客」となったのでした。
ウィズアウト・ユー(デビー・ギブソン) 1990年

1988年にシングル『フーリッシュ・ビート』、1989年に『ロスト・イン・ユア・アイズ』で全米1位のヒットを獲得しているアメリカの歌手、デビー・ギブソン。そんな世界的歌姫への楽曲提供も、達郎はかつて行っていました。
達郎が考案したメロディに、ギブソンが英語の詞を付けたその楽曲のタイトルは『ウィズアウト・ユー』。同曲は、浅野ゆう子主演のTBS系ドラマ『男について』の主題歌に起用されて大ヒットしました。なお、この曲は日本国内限定発売だったため、海外のギブソンファンはこのCDを手に入れるため、当時、かなり苦労したのだとか。
硝子の少年(KinKi Kids) 1997年

『硝子の少年』の作詞を依頼された松本隆は、ジャニーさんから「この子たちは人気があるからミリオンね」とだけ注文されたのだとか。もちろん、「曲」を投げられた達郎にもその重圧は及び、本人いわく「かなりのプレッシャーだった」といいます。
楽曲製作のうえで念頭においたのは「今、筒美京平ならどんな曲を書くか」ということ。そのため、達郎の紡ぎ打したメロディは、かなりレトロ調なものとなったのでした。
これを聴いたジャニーズ関係者からは「古臭い」などの批判もあったそうです。並みの職業作家なら、巨大権力である同事務所の圧に屈して、二つ返事で「作り直しますっ!」と言いそうなものですが、そこは大物音楽家・達郎。ブーたれる事務所サイドに対し「これはジャニーズの歴史を踏まえた楽曲であり、2人のイメージにあった曲はこれしかない」と毅然と言い放ったといいます。
結果、『硝子の少年』は178.6万枚の売上を記録。今も、KinKi Kidsがリリースした楽曲の中で最大のヒットを誇っています。なお、艱難辛苦の果てに生み出したこの曲を達郎自身もなかなか気に入っているようで、自身のベストアルバム『OPUS 〜ALL TIME BEST 1975-2012〜』の初回限定ボーナスディスクにおいて、セルフカバーバージョンが収録されています。
湾岸スキーヤー(少年隊) 1998年

少年隊が前作『Oh!!』以来、3年ぶりのシングルとしてリリースした『湾岸スキーヤー』。秋元康作詞の微妙に意味不明な歌詞と、達郎のキャッチーなメロディが話題を呼んだ同曲は、長野オリンピックのフジテレビ公式テーマソングにも採用されていたものです。
なおこの曲、もともとは1993年にオープンした『ららぽーとスキードームSSAWS』のCMソングとして制作された楽曲であり、達郎がCD化しないのならウチが…という感じで、お得意先のジャニーズに引き取られていったのでした。
(こじへい)