元プロレスラーのマサ斎藤さん、死去。
元プロレスラーで1964年の東京五輪ではレスリング代表としても活躍したマサ斎藤さんが、7月14日に亡くなっていたことが明らかとなりました。75歳でした。
晩年はパーキンソン病と闘う
妻の倫子さんによれば、マサ斎藤さんは2000年に罹患したパーキンソン病と長期にわたり闘い続けてきました。懸命なリハビリの結果、74歳にしてリングへの復活の可能性もあったものの、容体の悪化により7月14日に永眠したとのこと。倫子さんは報道各社に対し「穏やかながらも、新たなチャレンジへ向かう様な、マサ斎藤らしい力強い旅立ち」とファックスで綴っています。

伝説となった、巌流島での猪木との死闘!!
東京五輪のレスリング代表としての活躍も有名なマサ斎藤さんですが、プロレスラーとして今でも伝説として語り継がれているのは、「アントニオ猪木との巌流島での決闘」ではないでしょうか。この戦いは、今から31年前の1987年10月4日に行われました。

観客もレフェリーも無し!「互いのプライドがルール」
宮本武蔵と佐々木小次郎が巌流島で決闘を行ったのは1612年。それから350年以上の時を経て、互いのプライドを賭けて対峙した二人が選んだのは、観客もレフェリーもいない時間無制限の男と男のぶつかり合いでした。
互いが「宮本武蔵」を意識していた!?
試合前夜、巌流島では真っ白なリングが組み上げられ二人の男を迎える準備は万端でした。しかし、試合当日の二人は昼過ぎになっても姿を見せてきません。かつて決闘に遅刻した「宮本武蔵」を意識していたのでしょうか。決闘は16:30からのスタートとなりました。
静かな序盤から、徐々に熱くなる死闘!!
そして、決闘がついにスタート。両者のにらみ合いから始まり、時間無制限を意識してか序盤の大技は猪木のバックドロップのみと、地味な攻防な繰り広げられました。そして時は過ぎ日没となり、あらかじめ用意されたかがり火が焚かれ、そしてかがり火が崩れると猪木は薪を手にして攻撃を開始します。

そして、リング内外で繰り出されるバックドロップといった大技の数々。互いの体力は消耗していき、徐々に猪木優勢の状況となっていきました。そして、最後は猪木の絞め落としが決まり、試合開始から2時間5分14秒、立会人の山本小鉄によりマサ斎藤さんのTKO負けが宣告されました。
「巌流島の戦い」はゲームにもなっています!
プレイステーション2のプロレスゲーム「オールスタープロレスリング」にて、この伝説の決闘である「巌流島の戦い」を再現することが出来ます。あの死闘をゲームでも体感したい方は、まずは動画をご覧ください。
ご紹介した「巌流島の決闘」だけでなく、プロレス界における数々の名勝負を残してきたマサ斎藤さん。その雄姿はファンの記憶にいつまでも残り続けることは間違いありません。ご冥福をお祈り申し上げます。
公式サイト(所属事務所)
株式会社健介オフィス | 佐々木健介、北斗晶の所属事務所、健介オフィスの情報
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