バブル期受験生の駆け込み寺!?現在は廃止された有名大の二部(夜間)学部!!
団塊ジュニア世代にとって切っても切れないのは、同世代人口の多さから来る「受験戦争」ではないでしょうか。都内の有力私大は軒並み競争率が高くなり、浪人するのが当たり前の状況が続いていました。そんな受験勉強に疲弊する受験生にとって、駆け込み寺として注目されたのが「二部」ではないでしょうか。受験戦争から20年以上経過した現在、その二部の多くが廃止されているのをご存知ですか?
早稲田大学
「夜間の雄」といえば早稲田大学!!
全国区の知名度を誇る大学のひとつ、早稲田大学。かつては二部が充実しており、苦学生の憩いの場としても受験生の間では有名でした。90年代前半の私大バブル期には一部の偏差値があまりにも高騰したのが理由で、一部に合格できそうにない受験生がどうしても早稲田に入学したい場合、二部も受験するケースが目立ちました。
第二文学部
早稲田の中でも独特の存在感があった第二文学部。設置は1949年で、2006年を最後に学生の募集を停止、2014年に正式に廃止となりました。その後、第一文学部・第二文学部は「文学部」「文化構想学部」に改組されています。
早稲田の一文といえば、文学部の最高峰として多数の文化人を輩出していたことであまりにも有名ですが、二文も負けず劣らず著名人を輩出しています。吉永小百合が有名ですが、タモリ、大瀧詠一、最近「ひふみん」として有名な加藤一二三も二文の出身者です。
社会科学部
ミドルエッジ世代にとって、二文と並ぶもうひとつの夜間の顔といえば社会科学部でしょう。1966年に、第二政治経済学部、第二法学部、第二商学部を統合した社会科学系の夜間学部として設立されました。その後、1998年には昼夜開講となり、2009年から完全な昼間学部へ移行し夜間ではなくなりました。
私大バブル期、社学の偏差値は政経などの主要学部と比べ低めに設定されており、それでいて社会科学系の学問全般を総合的に学べるとあって、受験生にとっては穴場だったと記憶しています。社学出身の著名人としては小室哲哉がいます。
他学部にも夜間は存在した!!
前述の通り、社会科学部は第二政治経済学部、第二法学部、第二商学部が統合されて発足したものであり、1966年以前はそれぞれの夜間学部が独立していました。その他、第二理工学部(1968年廃止)も設置されていました。
明治大学
早稲田に負けず劣らず存在感を示している明治大学。1949年には法学部・商学部・政治経済学部・文学部、1950年には工学部にそれぞれ二部が設置されました。その後1989年には理工学部設置に伴い工学部が募集停止、2004年には法学部・商学部・政治経済学部・文学部の二部が募集停止となっています。