山本 晋也 プロフィール

山本 晋也(ヤマモト シンヤ)
本名 伊藤 直(いとう ただし)
別名義 立川 談遊
生年月日 1939年6月16日(78歳)
出生地 東京市神田区(現:東京都千代田区)
職業 映画監督
タレント
俳優
リポーター
ジャンル 映画
バラエティ番組
情報番組
活動期間 1964年 -
著名な家族 児嶋都(娘)
経歴

羽仁進
実は「すごいですねぇ~」なんです。
早稲田高等学校(早稲田実業とは別)を経て、1963年に日本大学芸術学部演劇学科(日芸と呼ばれ学科によっては入学希望者が多く、入学が困難な学部)を卒業。
日本教育テレビ(現:テレビ朝日)のアシスタントディレクターを務めた後、
1964年、岩波映画製作所にて羽仁進に師事して助監督となる。
監督デビューは?

愛染恭子の未亡人下宿
初監督作品は成人映画で1965年公開の『狂い咲き』
以後多数の成人映画作品を手がける。
1960年代から1970年代にかけて、約250本の作品を撮影しました。
中でも「未亡人下宿」シリーズは外部買取作品ながらもにっかつのドル箱作品となり続編も多数作られ、ピンク映画のヒットメーカーとして一躍脚光を浴びる。
ピンク映画から一般映画に進出した先駆者の一人。

チラシ「愛染恭子の未亡人下宿」
ピンク映画以外も!!

下落合焼とりムービー [DVD]
成人映画のみならず、『下落合焼とりムービー』(1979年、企画・脚本:赤塚不二夫)や『欽ちゃんのシネマジャック』(1993年、企画:萩本欽一)などの一般作品も制作した。
映画監督時代の山本は「怖かった」との人物評で共通し、門下生の井筒和幸など山本監督を尊敬する者もいると言われています。

欽ちゃんのシネマジャック
俳優もこなす

(日活ロマン)「宇能鴻一郎の貝くらべ 」DVD
1980年、山本晋也監督、40代の頃は、「宇能鴻一郎の貝くらべ」で俳優として活動し始めます。
「キネマの天地」「カンゾー先生」「理由」などの多くの作品に出演すると、
1984年にはテレビドラマ「暴れん坊将軍」にも出演。
その他にも2006年の「映画監督ってなんだ!」2008年の「帽子」にも出演をされています。
「ほとんどビョーキ」監督(暴れん坊将軍)にグラサンかけたままの出演。
山本監督と言ったら「トゥナイト」
監督と言ったら、若い頃、よく見たイヤお世話になった番組『トゥナイト』『トゥナイト2』ではないでしょうか。
主に性風俗関係の話題をリポートし監督のコミカルなトークも話題になりました。
元々ピンク映画のプロですから風俗レポートも映画監督ならではツッコミなど、ひと味違う切り返しなど評価されていたと思います。
また番組で生まれた「すごいですねぇ」、「ほとんどビョーキ」などの監督のギャグと言うかフレーズは流行語に取り上げられるほど有名となりました。
今ではもう見れない番組。残~念!!
『トゥナイト2』終了後の監督
1990年には、厚生省エイズ撲滅広報委員に就任し、『トゥナイト2』終了後、テレビ朝日のワイドショー『ワイド!スクランブル』にコメンテーターとして出演し、水曜特集コーナーでは「山本晋也の人間一滴」(かつては通称「監督のコーナー」)と題して自ら取材している。社会問題や芸能、在日コリアンの現状を扱うことが多い企画。
また2003年、番組の企画で北朝鮮へ渡り平壌の様子を伝えて以来、エイズなどの社会問題に少なからず関心を持っていたこともあってジャーナリストを自称する。
番組では北朝鮮関連の話題を中心に伝えるようになった。
2004年9月12日から20日まで平壌で開催された第9回平壌映画祭にも出席し、同映画祭を評して「商業主義的なアメリカのアカデミー賞とは歴然の差があり、理想を持った祭典でアジアの誇りである」と語っている。
落語家?

落語家
2002年よりブロードバンド映像コンテンツ『山本晋也のランク10国』を開設し、『トゥナイト』時代の同僚リポーターであった乱一世らと風俗や映画、社会現象などのサブカルチャー的内容を配信する。
7代目(自称5代目)立川談志の創設した落語立川流Bコース(著名人コース)に入門して、立川談遊との高座名を名乗った時期もあります。
まさかの「死亡説」
2008年頃からからでしょうかメディアで見る機会も少なくなった頃から、監督の「死亡説」が流れる様になりました。
ガセネタです。監督は亡くなられていません。
じゃ~干された?病気?
「トゥナイト2」などでTVで放送できるかできないか、ギリセーフ(今の時代ならアウト)なコメントも多く「干された」のでは?と言う声が多くありましたが調べてみると「干された」ような事実は無く、病気説もありませんでした。
では何故TVから消えたの?
色々調べてみた結果、ただ単にTVでの仕事を減らして、ゆっくり仕事をする様になったと言う事みたいですね。
御年78歳、普通に考えたら高齢です。
今までヒット作品を多く手掛けて、TVなど何十年も活躍していたので、金銭的にも余裕があります。
知名度もある監督ですから今でも番組出演などのオファーは沢山あると思います。
身体の事を考えて仕事を選んでいるのかもしれませんね。
確かに80歳手前でバリバリ働かなくても、普通と言えば普通ですね。
むしろお身体には気を付けてほしいです。
現在の監督は?
2017年4月2日(日)に放送された『ザ・インタビュー~トップランナーの肖像~』では 元TBSアナウンサー小島 慶子さんがインタビューをされていました。
その中で監督は1964年の東京オリンピックの年は巨匠・市川崑監督の記録映画の撮影助手として監督自らファインダーをのぞいて撮影した映像が本編でも使用されている事から、東京オリンピックには思い入れがあるそうです。
監督の現在の目標は「人生2度目となる2020年に東京オリンピックで取材をする」という事だそうです。
あと2年、81歳になられる監督の元気な姿が東京オリンピックで見られるかもしれませんね。
独特なコミカルなリポートを楽しみにしています。
テレ朝POST » 鬼才・山本晋也に小島慶子が迫る!監督の「映画作りの原点」「現在の目標」とは?
最後に・・・
いかがだったでしょうか?
また面白そうなネタがあったらまとめてみたいと思います。
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