清水由貴子の生い立ちや自殺の真相

清水由貴子の生い立ちや自殺の真相

明るくポッチャリしたイメージの清水由貴子の生い立ちや歌手活動について。自殺についての詳細や、あまり知られていない理由。49歳で自ら命を絶った、不安と無力の要因について調べてみました。


清水由貴子さんの生い立ち、父の他界から、デビューまで

清水由貴子(1959年9月7日 - 2009年4月20日)
愛称は「ユッコ」。

1959年(昭和34年)9月7日、東京の浅草出身。1965年(昭和40年)に足立区の竹ノ塚団地に転居、その後再び浅草駒形へ転居。

1968年(昭和43年)、9歳の時に父が他界。
1972年(昭和47年)に蔵前中学校入学。卓球部副部長を務め、区大会個人戦三回戦まで出場しました。アルバイトをして中古ギター購入するほどフォークソングが好きの少女でした。

清水由貴子

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裕福とは言えない家庭の経済状況の中で、清水由貴子は、最大限の努力を惜しまず、自分の道を切り開いてきました。

1975年、東京都立京橋商業高等学校に入学した、由貴子に転機が訪れます。学校内でオーディション番組に応募した生徒がいるという話を耳にした由貴子は、9月に『スター誕生!』に応募、10月に予選大会に出場し合格します。

この決戦大会には、後に「ピンク・レディー」としてデビューする根本美鶴代と増田恵子も参加していました。清水由貴子は二人を制し、グランドチャンピオンに輝いたのです。

芸映に所属して歌手デビューを果たすが…。

清水由貴子は芸能プロダクションの芸映(げいえい)に所属が決まりました。

当時の芸映プロダクションには西城秀樹や浅田美代子が所属していました。1975年に岩崎宏美が、1976年には角川博がデビューしています。また清水由貴子がデビューした1977年に、岸本加世子もデビュー、TBS・水曜劇場「ムー」に出演しています。

清水由貴子は、新人賞レースに破れていた

清水由貴子は、同じ年にデビューした榊原郁恵・高田みづえと共に「フレッシュ3人娘」と呼ばれていました。

1977年の新人賞レース、清水健太郎・高田みづえ・狩人、太川陽介・榊原郁恵で争われました。清水由貴子は、第8回日本歌謡大賞新人賞ほか数々の新人賞を受賞したものの『日本レコード大賞』には、わずかな差でノミネートされませんでした。

清水由貴子が新人賞候補に落選したときに最後まで戦った相手が所属する事務所は、最大手のサンミュージック(太川陽介)とホリプロ(榊原郁恵)でした。

最優秀新人賞は、清水健太郎が受賞しました。

その年の第19回『日本レコード大賞』は、沢田研二の『勝手にしやがれ』が受賞。第8回日本歌謡大賞、第10回日本有線大賞も受賞しています。

狩人&フレッシュ3人娘

狩人,高田みづえ,榊原郁恵,清水由貴子,他 Myojo/月刊明星 1978年1月号 [雑誌]/アイドルグッズのカルチャーステーション

ビデオリサーチによる第19回『日本レコード大賞』平均視聴率は50.8%、日本レコード大賞史上最高の視聴率を記録しました。昭和の時代の大晦日といえば日本レコード大賞と紅白歌合戦が一大イベントでした。
また、この当時から、大賞受賞曲の選定についての疑惑が持ち上がりました。

清水由貴子の水着画像

清水由貴子さんの水着姿はあまり見たことがありません。
いくつかの水着画像が残されています。

横顔は一大人っぽく美人なのに、水着写真を見るとぽっちゃりというより、子供体型に近い清水由貴子。

貴重な清水由貴子のビキニ画像です。

清水由貴子自身は、水着姿に自信がないのでしょうか?脚がながいです。
笑っているユッコが可愛いです。

清水由貴子のテレビCM「ヤクルトCM」

清水由貴子は、明るく健康的なイメージです。カルビー「かっぱえびせん」、ヤクルト「ヤクルト」、ライオン「ディスポ、ピロフィックス、キッチンブライト」他、数々のTVCMに出演しています。

清水由貴子は芸能界を引退せざるを得なかった?!

1977年3月から 1985年9月21日までに シングル10枚アルバム2枚をリリースしています。

女優として映画・ドラマ・舞台で活躍。バラエティ番組にも出演していました。
1994年に推定1億円の自宅を都内に新築。

2006年3月には母親の介護を理由に所属事務所の「芸映」を退社しました。
2007年には、完全引退となりました。

清水由貴子 自殺の真相!

2009年4月20日に静岡県の冨士霊園で清水由貴子は、遺体で見つかりました。

東京・武蔵野市の自宅から富士霊園に向かい、午後3時30分ごろ、御殿場駅でタクシーに乗車しています。お墓まで乗ったタクシーの運転手は『自殺するように見えなかった』と言っています。4時25分実父の墓に到着。

20日午後5時ごろ、実父の墓の前硫化水素を吸い込み自殺をはかり死亡。傍らには介護をしていた母親が車椅子に座り残されていました。

21日午後1時20分ごろ霊園の男性職員が発見。
母親も衰弱して倒れていましが、すぐ病院に運ばれ、一命を取り留めました。

清水由貴子の頭の下には洗面器の入ったポリ袋が置かれ、硫化水素が検出されました。
他にも複数の液体洗剤などが入っており、自宅から持ってきた洗面器で硫化水素を発生させ被ったと思われます。「迷惑をかけて本当にごめんなさい」と遺書が残されており警察は自殺と断定しました。

清水由貴子の自殺があまり知られていない理由

22日午後7時58分配信YAHOOニュース配信、夜NHK「ニュースウオッチ9」もトップで報じました。

ところが、その晩。深夜に別の事件が起きました。
2009年4月23日日午前3時頃、東京都港区でSMAPの草なぎ剛が公然わいせつで逮捕されます。

有名人SMAPの逮捕により、清水由貴子さんの自殺報道はカムフラージュされてしまいました。

葬儀はユッコの好きな「イエスタデイ・ワンス・モア」でお別れ

清水由貴子さん葬儀・告別式は25日に静岡・御殿場市の青葉ホールで密葬として行われました。

「欽ちゃんファミリー」で共演した佐藤B作や歌手の角川博、「芸映」関係者など約40人が参列しました。「東京では葬儀をあげないで下さい」という本人の遺志により、静岡県で葬儀が行われました。

最後に清水由貴子が好きだった、カーペンターズの「イエスタデイ・ワンス・モア」が流れる中、出棺。御殿場市内の玉穂斎場で荼毘にふされました。

清水由貴子49歳の無力感とは、

清水由貴子は芸能界を引退した後、入力オペレーターの契約社員をしていました。自殺する前の週に契約を解除しています。前々日の18日夜には母親、妹の良子さんと3人で普通に食事をしています。

前所属事務所「芸映」の富士原光男氏によると、清水由貴子が自殺する決意に至った背景は、介護疲れだけではなく、自分がこれまでやってきたことや今後の不安。普通の女性として恋をすることもなく結婚もできなかったという悩み。また芸能活動を諦めざるをえなかったことなど人生について悩んでいたと示唆しています。

デビューするきっかけとなった番組『スター誕生!』の司会をつとめていた萩本欽一は、当時の清水由貴子について、立っているだけで哀愁を感じ、同時に彼女の執念を理解したという。

同じ年にデビューして、仲の良かった「フレッシュ3人娘」の榊原郁恵と高田みづえは歌手としてヒット曲に恵まれ『NHK紅白歌合戦』に出場。結婚もして子供もいます。
清水由貴子には、他の二人が持っている幸せが一つもありません。TVCMや女優、レポーターなどで活躍していましたが、引退しました。母子家庭に育ち、結婚せずに最後まで、家族を支えた頑張りやのユッコ。あと10年生きていたら、歌手として女として、少しは自分の人生を歩めたのではないかと思います。

49歳で亡くなった、清水由貴子さんのご冥福をお祈りします。

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