清水由貴子さんの生い立ち、父の他界から、デビューまで

清水由貴子
Amazon | ほたる坂/野菊の墓[EPレコード 7inch] | 清水由貴子 | ミュージック | 音楽
裕福とは言えない家庭の経済状況の中で、清水由貴子は、最大限の努力を惜しまず、自分の道を切り開いてきました。
1975年、東京都立京橋商業高等学校に入学した、由貴子に転機が訪れます。学校内でオーディション番組に応募した生徒がいるという話を耳にした由貴子は、9月に『スター誕生!』に応募、10月に予選大会に出場し合格します。
この決戦大会には、後に「ピンク・レディー」としてデビューする根本美鶴代と増田恵子も参加していました。清水由貴子は二人を制し、グランドチャンピオンに輝いたのです。
芸映に所属して歌手デビューを果たすが…。

清水由貴子は、新人賞レースに破れていた

狩人&フレッシュ3人娘
狩人,高田みづえ,榊原郁恵,清水由貴子,他 Myojo/月刊明星 1978年1月号 [雑誌]/アイドルグッズのカルチャーステーション
ビデオリサーチによる第19回『日本レコード大賞』平均視聴率は50.8%、日本レコード大賞史上最高の視聴率を記録しました。昭和の時代の大晦日といえば日本レコード大賞と紅白歌合戦が一大イベントでした。
また、この当時から、大賞受賞曲の選定についての疑惑が持ち上がりました。
清水由貴子の水着画像
清水由貴子さんの水着姿はあまり見たことがありません。
いくつかの水着画像が残されています。



清水由貴子のテレビCM「ヤクルトCM」
清水由貴子は、明るく健康的なイメージです。カルビー「かっぱえびせん」、ヤクルト「ヤクルト」、ライオン「ディスポ、ピロフィックス、キッチンブライト」他、数々のTVCMに出演しています。
清水由貴子は芸能界を引退せざるを得なかった?!
1977年3月から 1985年9月21日までに シングル10枚アルバム2枚をリリースしています。

清水由貴子 自殺の真相!
2009年4月20日に静岡県の冨士霊園で清水由貴子は、遺体で見つかりました。

21日午後1時20分ごろ霊園の男性職員が発見。
母親も衰弱して倒れていましが、すぐ病院に運ばれ、一命を取り留めました。
清水由貴子の頭の下には洗面器の入ったポリ袋が置かれ、硫化水素が検出されました。
他にも複数の液体洗剤などが入っており、自宅から持ってきた洗面器で硫化水素を発生させ被ったと思われます。「迷惑をかけて本当にごめんなさい」と遺書が残されており警察は自殺と断定しました。
清水由貴子の自殺があまり知られていない理由
22日午後7時58分配信YAHOOニュース配信、夜NHK「ニュースウオッチ9」もトップで報じました。
ところが、その晩。深夜に別の事件が起きました。
2009年4月23日日午前3時頃、東京都港区でSMAPの草なぎ剛が公然わいせつで逮捕されます。
有名人SMAPの逮捕により、清水由貴子さんの自殺報道はカムフラージュされてしまいました。
葬儀はユッコの好きな「イエスタデイ・ワンス・モア」でお別れ

最後に清水由貴子が好きだった、カーペンターズの「イエスタデイ・ワンス・モア」が流れる中、出棺。御殿場市内の玉穂斎場で荼毘にふされました。
清水由貴子49歳の無力感とは、
清水由貴子は芸能界を引退した後、入力オペレーターの契約社員をしていました。自殺する前の週に契約を解除しています。前々日の18日夜には母親、妹の良子さんと3人で普通に食事をしています。

デビューするきっかけとなった番組『スター誕生!』の司会をつとめていた萩本欽一は、当時の清水由貴子について、立っているだけで哀愁を感じ、同時に彼女の執念を理解したという。
同じ年にデビューして、仲の良かった「フレッシュ3人娘」の榊原郁恵と高田みづえは歌手としてヒット曲に恵まれ『NHK紅白歌合戦』に出場。結婚もして子供もいます。
清水由貴子には、他の二人が持っている幸せが一つもありません。TVCMや女優、レポーターなどで活躍していましたが、引退しました。母子家庭に育ち、結婚せずに最後まで、家族を支えた頑張りやのユッコ。あと10年生きていたら、歌手として女として、少しは自分の人生を歩めたのではないかと思います。
49歳で亡くなった、清水由貴子さんのご冥福をお祈りします。