知っているかな?「日本サッカーの父」呼ばれた日本代表監督を!!

知っているかな?「日本サッカーの父」呼ばれた日本代表監督を!!

昨日(2018年4月9日)、日本のサッカー代表監督だったハリルホジッチ氏が電撃的にその職を解任され、日本サッカーはどうなるのか?と内心心配でたまらないのだが、かつて1960年代、今よりももっと酷い状況で日本のサッカーを栄光の道へと導いた「日本サッカーの父」と呼ばれた名監督がいたことをご存知だろうか?こんな状況で彼のような名監督が再来してほしいと願うばかりだ。


ヴァヒド・ハリルホジッチ(Vahid Halilhodžić, 1952年5月15日 - )は、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身の元・サッカー選手、サッカー指導者である。元ユーゴスラビア代表(現在はボスニア・ヘルツェゴヴィナ国籍以外にフランス国籍も取得)。ディヴィジオン1、1982-83, 1984–85シーズン得点王2回。1976年欧州選手権、1982年ワールドカップに出場した。身長182cmのフォワード。2015年3月から2018年4月まで日本代表監督を務めた。

ヴァヒド・ハリルホジッチ(Vahid Halilhodžić)

昨日(2018年4月9日)、サッカー日本代表監督だったハリルホジッチ氏が電撃的にその職を解任された。日本サッカー協会はハリル本人とは極秘裏に交渉をしていたのだろうが、ついに昨日協会側の発表となり、日本国民全員が知るところとなった。W杯わずか2ヶ月前ということで特にサッカーファンには衝撃が走ったに違いない。私なんかやっとこの頃になって”ハリルホジッチ”という名前を噛まないで言えるようになったのに・・・!!。
ちなみに初めてこの人の名前を聞いた時、「ハナヲホジッチ(鼻をほじっち)」に聞こえてしまい、”にやり”としたことがある!!。

実は私も「サッカー少年」でした!!

日本ラグビーの聖地として有名な秩父宮ラグビー場ですが、1964年の東京オリンピックではサッカーの会場として使用され、準決勝・ハンガリー対アラブ連合共和国戦(写真)などが開催された。

秩父宮ラグビー場

1964年の東京オリンピック時にはサッカーはまだまだ日本ではマイナー競技でしたが、確実に人気は上昇傾向にあった。当時マスコミでもそんなに大きく報道しなかったが、日本代表がアルゼンチンを破って準々決勝に進出する健闘を見せたこともあって、その後の日本におけるサッカーの普及発展につながっていくことになった。1968年のメキシコ大会には東京オリンピック出場のメンバーが中心で出場し、見事に銅メダルを獲得している。その頃はそんな日本サッカー界に2人のスーパースターが君臨していた。MF杉山隆一とFW釜本邦茂である。

杉山 隆一(すぎやま りゅういち、1941年7月4日 - )は、静岡県清水市 (現:静岡市) 出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

現役時代は強烈な左足のシュート、クロスを武器とする俊足の左ウイング(昔のポジション名であり、現在のMFに相当、正確にはFWとMFの中間的なポジション)として活躍。晩年はトップ下としてプレーすることが多かった。日本代表では釜本邦茂との名コンビで知られた。

この画像の右に写っている外国人が何を隠そう、「日本サッカーの父」と呼ばれているデットマール・クラマー元日本代表監督だ!!。

杉山隆一

釜本 邦茂(かまもと くにしげ、1944年4月15日 - )は、日本の元サッカー選手、元サッカー指導者、元参議院議員、実業家。日本サッカー協会 (JFA) 顧問。京都府京都市右京区太秦出身。現役時代のポジションはFWで、日本サッカーリーグでは、251試合出場し、通算202得点(歴代1位)、通算79アシスト(歴代1位)を記録。得点王7回、アシスト王3回、年間優秀11人賞14回、日本年間最優秀選手賞7回受賞(歴代1位)と傑出した活躍を見せた。また、サッカー日本代表として国際Aマッチ76試合75得点(総通算231試合153得点)を記録し、1968年メキシコオリンピックでは、アジア人初の得点王となった。

釜本邦茂

私がサッカーをやろうとした理由は、勿論釜本や杉山の影響も大きかったことは事実であるが、当時一番人気だった”野球”がへただったことと、サッカーだったら玉も大きいし、野球と違い、手を使わないから”楽”なように見えたためだった(大体、動機は不純でした!!)。
ただ、動機は不純だったかもしれないが、中学以降は”サッカー漬け”の毎日を送るようになり、自分なりに充実した中高6年間を過ごしたのではないかと思っている。

キャプテン翼は1970年末期より連載が始まった漫画だが、私の時代にもこんな本があれば・・・

キャプテン翼の必勝!サッカー (満点ゲットSPORTS)

だいぶ話がそれたので元に戻そう!!

「ウルトラの父」がいるように「日本サッカーの父」もいる!!

デットマール・クラマー(ドイツ語: Dettmar Cramer, 1925年4月4日 - 2015年9月17日)は、ドイツのドルトムント出身のサッカー選手、サッカー指導者。デトマール・クラマーと表記されることもあった。
クラマーは日本サッカー界初の外国人コーチであり、サッカー日本代表の基礎を作り日本サッカーリーグの創設にも尽力したことから「日本サッカーの父」と称されている。

「日本サッカーの父」ことデットマール・クラマー元日本代表監督

1960年、クラマーは1964年東京オリンピックを控えたサッカー日本代表を指導するため、その代行監督として招聘された。日本サッカー協会は代表強化のために初めて外国人監督を招いた。

クラマーも、自ら手本となるプレーを見せて実技指導を行った。初歩的な練習の繰り返しに対しては批判もあったが、方針を変えることはなかったという。当時のクラマーの教え子に釜本邦茂、杉山隆一らがいた。
当時日本では知られておらず、専用の道具もなかったテーピングを岡野が入手した大きな絆創膏を代用して行ったり、自ら選手用の薬を調合することまでしていた。練習は厳しかったが選手を大事にしていたことから、選手達はクラマーに心酔していた。

1.強いチーム同士が戦うリーグ戦創設。
2.コーチ制度の確立。
3.芝生のグラウンドを数多く作り、維持すること。
4.国際試合の経験を数多く積むこと。代表チームは1年に1回は欧州遠征を行い、強豪と対戦すること。
5.高校から日本代表チームまで、それぞれ2名のコーチを置くこと。

クラマーのこれらの提言は、1965年の日本サッカーリーグ発足など長沼健らによって全て実行に移された。クラマーはその後も釜本のドイツ留学を実現させるなど、日本のサッカーに貢献した。そのクラマーの指導を受けた選手・コーチを中心に構成された長沼健監督率いる日本代表は、メキシコオリンピックで銅メダルを獲得した。

1975年から1976年、クラマーはFCバイエルン・ミュンヘンを率いてUEFAチャンピオンズカップで優勝した。その際、人生最高の瞬間ではないかと問われたものの、「最高の瞬間は日本がメキシコ五輪で銅メダルを獲得したときです。私は、あれほど死力を尽くして戦った選手たちを見たことがなかったのです。」と答えた。

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今週の月曜日(2018年4月9日)に、日本サッカー界は勿論、スポーツ界に衝撃が走った。日本サッカー協会は電撃的にサッカー日本代表監督のハリルホジッチ氏をその職から解任したのだ。W杯までにわずか2ヶ月あまりしか残っていないこの時期にである。お隣の国、韓国や中東などの国ではこのような”電撃解任”事は多々あったが、日本では大変めずらしいことだ。


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