マイアミの奇跡
1996年7月22日 マイアミ・オレンジボウルにて
日本代表メンバー
監督
西野朗
先発
GK 川口能活
DF 松田直樹
DF 田中誠
DF 鈴木秀人 75分に警告 75分
MF 路木龍次
MF 伊東輝悦
MF 服部年宏 87分に警告 87分
MF 遠藤彰弘 75分に交代退場 75分
MF 前園真聖 キャプテン
FW 中田英寿 82分に交代退場 82分
FW 城彰二 86分に交代退場 86分
控え
GK 下田崇
DF 白井博幸 75分に交代出場 75分
DF 上村健一 82分に交代出場 82分
MF 森岡茂
MF 廣長優志
MF 秋葉忠宏
FW 松原良香 86分に交代出場 86分
一方のブラジルは、ジュニーニョ、ロベルト・カルロス、リバウド、ベベット、アウダイール。そして控えにはあのロナウドが。
ピッチ全体にスター選手をちりばめたようなダントツの優勝候補でした。
事前のテストマッチでは、ブラジルA代表をも撃破していた最強チーム。
アトランタ五輪男子サッカー
圧倒的なブラジル代表
ブラジル戦は五輪開催都市のジョージア州アトランタではなく、フロリダ州マイアミのアメリカンフットボール球技場マイアミ・オレンジボウルで開催。
ワールドカップ1994年大会でW杯史上初の4回目の優勝を成し遂げたブラジルは、五輪ではまだ金メダルを獲得したことがなかった。ブラジルはワールドカップ1998年大会の予選が免除されていたことで真剣勝負の場がなく、代表チームの強化の意味合いも含め、A代表監督のマリオ・ザガロが五輪代表の監督も兼任。
正規の23歳以下の選手としてロベルト・カルロス、ジュニーニョ・パウリスタ、サヴィオ、ロナウジーニョ、フラビオ・コンセイソンといったすでにA代表で活躍している若手選手を揃えた。さらに、この大会から認められたオーバーエイジ枠に当時のA代表のレギュラーであるベベット、リバウド、アウダイールを加入させ、優勝候補の大本命と目されていた。
大会前にはブラジル五輪代表とブラジルA代表が練習試合を行ない、なんと五輪代表チームが勝っている。
一方、日本は西野朗監督の意向でオーバーエイジ枠を使用せず、Jリーグ所属の23歳以下選手、アジア予選を戦ったメンバーで大会に臨んだ。当時の日本A代表経験者は前園真聖と城彰二の2人のみ、怪我で本戦メンバーから外れた小倉隆史を含めても3人だけだった。
唯一勝つための手立ては「守備」
徹底した情報分析を行った試合前まで
ブラジルの強力な2トップの内、スピードがあるFWベベットにはDF鈴木秀人をマークに。
2トップのもう一人は試合が接戦になった場合、FWサヴィオから足元も上手く、高さもあるFWロナウジーニョへ交代することが予想されたため、サヴィオのマークは空中戦も強いDF松田直樹。
司令塔ジュニーニョ・パウリスタ対策としては、左SBが本職である服部年宏のスピードを買って、ジュニーニョに密着マークさせることに。また、GKコーチのジョゼ・マリオは、左足での強烈なシュートを武器にする左SBロベルト・カルロスのシュートパターンやシュートの軌道を、日本の正GK川口能活に徹底的に叩き込んだ。
守備面で万全の手を打つ一方で、攻撃面では打てる手は少なかった。唯一、ブラジル五輪代表にはセンターバックのアウダイールがオーバーエイジとして加入していたが、直前での加入だったためGKジーダとの連係面に不安を抱えていた。
さらに、アウダイールは経験豊富な反面スピードがなく、もう一人のCBロナウド・ギアロ(大会登録名ロナウド)も同様に比較的スピードがなかったため、「ブラジルCB2人の背後のスペースは数少ない狙い目だ」と選手たちに伝えていた。
試合展開
GK川口、神憑りのファインセーブ
ファーストシュートはFW登録された中田のヘディング。ブラジルの出鼻をくじくものの、その後ブラジルは徐々にペースアップし、流動的なポジションチェンジから度々日本ゴールに迫る。しかし、日本の守備陣も冷静に対応し、前半は0-0のまま終了。
ブラジルは後半開始からさらに攻勢を強め、世界最強の攻撃陣が猛然と襲い掛かり、シュートの雨を降らせた。日本はボール保持もままならなくなり、後半はさながら日本サイドだけでのハーフコートマッチと化した。
しかし、日本の正GK川口能活のファインセーブが続き、川口がゴール外に出るだろうと見送ったボールがゴールポストを直撃して難を逃れるなど、日本に運も味方し、両チーム無得点のまま試合は推移していった。
後半19分、ブラジルはFWサヴィオからFWロナウジーニョに交代したが、サヴィオのマークをしていたDF松田が事前の打ち合わせ通り、そのままロナウジーニョにつき、冷静に対応。
ブラジルの選手たちに疲労の色が見え始めた後半27分、左サイドにいたウイングバック・路木龍次が、ブラジルのディフェンスラインとGKの間のスペースを目掛け、山なりのボールを放り込む。
そのボールを狙って、FW城彰二が逆サイドからゴール前に走り込む。それに気づいたブラジルのCBアウダイールが城のチェックに向かったその時、ボールをキャッチしようと飛び出したブラジルGKジーダと激突。
ゴールに向かって転がったボールにボランチの伊東輝悦が走り込み、そのままゴールマウスに押し込んだ。数少ない狙い目であるブラジル代表CB2人の背後のスペースを見事に突いた得点であった。
まさかの失点に焦るブラジルはその後も一方的に攻め続けるが、GK川口の神懸ったセービングと、日本DF陣の抜かれても最後まで諦めずに食らいつく粘りの守備、さらにブラジルのシュートが数本ゴールポストに当たる幸運もあり、無得点に抑えた。ロスタイム2分30秒ほどブラジルの猛攻が続いたが、日本は最後まで守り切った。
最終的にブラジルが放ったシュートは計28本。対する日本のシュートは、たったの4本だった。日本サッカー史上、最高のジャイアントキリングの典型である。
試合の反響
ブラジルでは「マイアミの屈辱」
ブラジルにとって格下と目されていた日本の、しかも2軍扱いしていたチームに敗れたことは番狂わせの最たるものだった。ブラジルのテレビ生中継番組の解説者は、ボールがブラジルゴールに吸い込まれていく際に「あーっ、入っちゃう…」と絶望にも似た声でつぶやき、試合終了直後の実況は「こんなことがあっていいのか。大変な教訓になりました。日本はお祭りです。ブラジルは悲しんで……」と絶句した。
この試合後、ブラジル国内ではテレビ局が特別番組を組み、国内の有識者たちが屈辱的な敗戦の要因を徹底討論した。また、フル出場したベベットは試合後、この試合のビデオを見返したが、「なぜ、僕たちが負けたのか今でも分からない」と発言した。この試合のブラジルにおける呼称は「マイアミの屈辱」である。
アトランタ五輪サッカーの結果
金メダルはナイジェリアの手に
試合開始から身体能力を生かし、ロングボールを多用するナイジェリアに日本は圧倒され続けることに。
数少ない日本の攻撃時も、人数がかけられないため、決定機は数本。ハーフタイムのロッカールームでは、中田が守備陣に対してもっと攻撃参加するよう要求。西野監督はチーム戦術に反した中田を叱責し、チームの武器であった団結力に亀裂が生じた。
後半もナイジェリアの優勢が続く中、負傷した田中誠と交代した秋葉忠宏がオウンゴールを犯し、後半37分にナイジェリアに先制を許す。さらに後半44分、DF鈴木秀人が自陣ペナルティエリア内で判断ミスでハンドの反則をとられ、駄目押しのPKを決められ、0-2で日本は敗れた。
日本の最終戦は、ハンガリーを相手に大量得点で勝利することが命題であった。日本は中田をスタメンから外し、3-5-2の攻撃的布陣で臨んだが、開始3分にハンガリーに先制点を与えた。
前半40分に前園のPKで追いつくが、後半4分にカウンターを許し、1-2と再びリードされた。攻めながらも得点を奪えず、迎えた後半ロスタイム、交代出場したばかりのDF上村健一が同点ゴールを決め、その直後にも前園が決勝点を決めて日本が3-2で逆転勝利。同時刻に開始された最終戦のもう一方の試合はブラジルがナイジェリアに1-0で勝利した。
その結果、日本はブラジル、ナイジェリアと2勝1敗(勝ち点6)で並んだものの、得失点差で両国を下回ったためグループリーグ通過はならなかった。「グループリーグで2勝を挙げながら敗退」という記録は史上初の出来事であった。
ブラジルとナイジェリアは準決勝で再度対戦し、ナイジェリアが4-3で勝利。ナイジェリアが決勝戦で金メダルを獲得し、ブラジルも3位決定戦で銅メダルを獲得したことから、グループDが非常に厳しい組であったことが分かる。
その後
守備的サッカーからの脱却が課題に
西野は「将来の日本代表監督候補」と言われながらも、アトランタ後はナショナルチームを離れ、Jリーグのクラブ監督を務めた。攻撃的サッカーを標榜し、柏レイソルやガンバ大阪でタイトルを獲得して、Jリーグ最多勝監督となった。
マイアミの奇跡から4年後、2000年のシドニー五輪男子グループリーグD組最終戦でも日本とブラジルが対戦。この時はブラジルが1-0で勝利し、4年前の雪辱を果たす形となった。2013年現在、A代表でのブラジル戦勝利は果たせていない。
ドーハの悲劇 あの時のメンバーは今 - Middle Edge(ミドルエッジ)