「1984年 その1」はこちら。
1984年ー歌謡曲華やかなりし頃【その1】スージー鈴木さん著書より。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
わらべ「もしも明日が」
1984年のオリコン第1位という、バケモノのような大ヒット曲(97.0万枚)。
「めだかの兄妹」の続編という位置づけの方もいると思いますが、同じ「わらべ」でも、高部知子が抜けた2人のわらべで歌っているところが相違点。
【ニャンニャン事件からピアスヌード!】「高部知子」の積木くずし人生…。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
この曲を、佐藤準さんがアレンジしたものと言われています。
この曲は、1963年の曲。そこから20年以上たった1984年(「もしも明日が」の発売は1983年)、日本でアレンジされ1位になったわけですね。
作詞が荒木とよひさ、「四季の歌」を踏襲した歌詞に、1982年の「待つわ」でヒットした「輪唱」にヒントを得たコーラスを三木たかしが組み合わせた、かなり複合的な作品です。
そして、何といっても当時のお笑いのトップ番組「欽どこ」で作られたということ。
これらの様々な要因が、年間1位という輝かしい実績を作ったということです。
お笑いビッグ3と欽ちゃんが共存していた時代。
たけしさん、タモリさん、さんまさんという、のちの「お笑いビッグ3」はすでにこの年には、「おれたちひょうきん族」や、「タモリ倶楽部」などの番組をヒットさせていました。
このビッグ3のみならず、これ以降のお笑いは、PTAから注意されそうな「品のなさ」があり、また「テンポが速い」という特徴に対し、欽ちゃんはどこか「ゆっくり笑える」安心感があります。
やがて欽ちゃんはビッグ3にトップの座を奪われていくのですが、この1984年は、両者が共存していた時代というのが、大きな特徴と言えるでしょう。
さらに、お笑いビッグ3からは、特にヒット曲は出ていませんが、欽ちゃんの番組からは、「ハイスクールララバイ」「北酒場」「僕笑っちゃいます」など、ヒット曲をわんさか輩出するなど、音楽的価値は非常に高いタレントであることも特徴です。
この動画では、欽ちゃんのとっさのアイデアが、「北酒場」をヒットさせた逸話を細川たかしさん自身が話しています。
リンク切れの場合がありますので、要約します。
欽ちゃんに、「細川さんは歌手だから、番組でも何か歌ったほうがいいよね」と言われ、まだ細川さん自身が覚えていない新曲「北酒場」を欽どこで歌うことになります。
細川さんが「まだ歌詞を覚えていない」と言うと、欽ちゃんはなんと「カンペを見ればいい」と提案。
しかし、いざ番組本番となると、ステージにスポットライトが当たりカンペが光って見えない!
歌につまる細川さん。
すると欽ちゃんはすかさずアドリブで「今日はここまで!」と歌を切ってしまいます。
この後、番組で同じように少しフレーズを進ませたところで「今日はここまで!」と切ることを続け、欽どこで北酒場を歌いきるまで6週間くらいかかったそうです。
視聴者は、細切れに歌われる曲を「早く全曲聞きたい」とじらされ、結果その要求に見事応え、北酒場は大ヒットします。
テレサ・テン「つぐない」
カラオケ好きの50代男性上司に「何か歌え!」とOLが言われたら、この歌を歌えば間違いないと思われる名曲。
テレサ・テンは一説にはビートルズやマイケル・ジャクソンを超えて、「世界で最もファンの多いシンガー」とも言われています。
この曲も作詞荒木とよひさ、作曲三木たかしのコンビ。
この本の評では、「愛人歌謡」と称されています。
この曲のみならず、翌年1985年のテレサ・テン「愛人」や、小林明子「恋におちて」など、この年代はよほど不倫、愛人が盛んだったのかと思わせるほど、これ系の歌が輩出されました。