-それを伺うと、杉浦選手が格闘技に出られた時の姿勢とリンクします。
これまでに4度、総合格闘技のマットで戦った杉浦選手
-そんな杉浦選手ですが、全日本プロレスの最後からプロレスリング・ノア(以下「ノア」)へ…という動きをとられますが、ノア入団の時は練習生として?
プロレスリング・ノア最初の新人レスラーとしてデビュー
-私たちプロレスファンもそんな風にブラウン管を通して見ていた記憶があります。2000年にノアが立ち上がっていった中、杉浦選手は緑のマットのド真ん中目掛けてキャリアを重ねていかれます。
全日本プロレスから移り、1990年代から2000年代、2010年代と時代とともにリングの中で表現するモノ・求められるモノが変化したということはございますか?
一方、キャバクラ好きの杉浦選手だからこその企画も?
-あの、ファンとして憶えていることがありまして、杉浦選手のGHC(キャバクラ)というのがあったと思うのですが、GHC(キャバクラ)は自ら立案なさったのですか?
-話題性を高めたかったという狙いもあったのでしょうか?
緑のマットを駆け上がり、団体を牽引する立場へ
-2010年代になると、団体の看板選手としてノアを引っ張っていくようになりました。キャバクラ企画をされていた頃から5~6年ほどの間で団体を背負うほどに立ち位置の変化がありました。この変化はどうお感じになっていましたか?
遅咲きのプロレスデビューとご家族の支え
-ちょっとデビューの頃にお話を戻しますが、ご家族もいらして生活もある中で自衛官からプロレスラーになる決断をされたと思います。当時ご家族からは反対や心配などあったのでしょうか?
-プロレス団体からお声がかかっていた、とか?