1990年代からの復活
なかなかメインのレコードレーベルが決まらなかった1980年代後半に
オサリバンはヨーロッパや日本の小さいレーベルと少しずつ契約を交わしていきます。
日本では1986年にキティレコードと契約、
日本のファンに向けたベスト盤がリリースされ、
それに続いてイギリスでもベスト盤の販売が開始されました。
国内外で、オサリバン復活を望む声はどんどん高まり、
TVのCMやドラマのテーマに使われたことで、オサリバンの知名度はまた広がり出します。
1991年、自宅スタジオでレコーディングされたアルバム「サウンド・オブ・ザ・ループ」では、
来生たかおとの競演も実現し、
翌92年の初来日にも来生たかおが飛び入り参加するというサプライズもありました。
いつまでも変わらない声とメロディと
オサリバンが破竹の勢いだった1970年代、彼はこのような評価を受けていました。
ポール・マッカートニー
「僕の後に続くアーティストはエルトン・ジョンとギルバート・オサリバンだ」
エルトン・ジョン
「ライバルなんていないけど、しいて言うならギルバート・オサリバンだろうか」
この2人にここまで言わせるのはすごいと思いますが
裁判で音楽活動が止まってしまった時期、この時間がもしあったら
オサリバンはどのような曲作りをしていたでしょうか。
今のオサリバンは、昔と変わらない、哀愁とノスタルジーあふれる音楽を
私たちに送り続けています。
あの空白期間があったからこそ、今もあのころと同じように
なつかしく美しい音楽シーンに、私たちはひたることができるのかもしれません。
