まずは、「淀殿」の基礎知識をおさらい!!

『伝淀殿画像』(奈良県立美術館所蔵)
歴史的うんちくを言い出すと止まらなくなりそうなので、重要なことだけ簡略に書くと、叔父にあたる織田信長と父である浅井長政の戦で、1573年(天正1)信長に包囲された長政の居城である小谷城から母に伴われて妹2人とともに脱出し,信長の尾張清須城に入る。1582年柴田勝家に再嫁した母に従い,越前北ノ庄(福井)城に入る。1583年豊臣秀吉に攻められて北ノ庄は落城,勝家に殉じた母と別れ,秀吉に庇護された。1590年頃に秀吉の側室となり,山城の淀城に移り,淀の女房と呼ばれた。これが「淀殿」とよばれた所以である。1592年(文禄1)頃大坂城二の丸に移り,二の丸殿と呼ばれた。同2年男児お拾 (ひろい,のちの秀頼) を産み,まもなく伏見城西の丸に移り,西の丸殿と呼ばれた。1603年(慶長8)徳川秀忠と小督の間に生れた千姫が秀頼に嫁し,1605年秀忠が征夷大将軍に,秀頼が右大臣となった。1614年京都方広寺大仏殿の造営に伴う鐘銘事件が起り,さらに大坂冬の陣が起った。1615年(元和1)1度は東西和議が成立したが,続いて夏の陣が起り,ついに大坂落城となって淀殿,秀頼は自刃し,豊臣氏は滅亡した。
ほんとは呼び名を「淀の方」とするのが妥当!!
私が記事にしようとしている女性には、「淀君」と言う呼び名もあるが「君」というのは遊女に付ける呼び名で、江戸時代につけられた蔑称であり、戦国時代の史料には一切見られず、現在はあまり使われないそうだ。
しかし、淀殿と言う呼び名も、戦国時代の史料には見られず、淀の方と通称されていたようだが、この記事では便宜上「茶々」、「淀殿」として記述することにする。
私は学生時代、淀殿を「日本三大悪女」の一人として習った!!
大坂冬の陣の前には戦を回避しようと働きかけていた片桐且元や織田有楽斎を追放し、更に徳川方が提示した和睦案を蹴るという無謀な行動も取ったとし、また、家臣団を騙し、豊臣家世継ぎの母として権力を行使する、といったようなことをまことしやかに教えていました。
ちなみに「日本三大悪女」とは、北条政子、日野富子、淀殿!!

北条政子木像(安養院蔵)
源頼朝が他の女性と接することを好まず、結果的に後継者不足となり、源氏が棟梁を務めたのは3代将軍までとなってしまった。
源氏の嫡流が絶えた後は、北条政子と北条家が政治の実質的な権限を握った。
朝廷と争い、上皇などを流罪に追い込んだ。
このようなことが、北条政子を日本三大悪女の一人に数える要因になったものと思われる。

日野富子木像(宝鏡寺蔵)
日野富子は室町幕府の将軍が意のままにならないと、次から次へと首を挿げ替えし、自分だけのマイ関所を設置し、徴収した関銭は自分のおこづかいしていた。富子は応仁の乱(1467~1477)のきっかけとなるキーパーソンであり、戦国時代を招いた張本人であり、「悪女」と言われている所以である。また、貸金業やコメの投機にも積極的だったため、「守銭奴」としても名高いとされている。
しかし最近の研究では戦乱を収めるために奔走し、権威の傾いた室町幕府を立て直すために、政治に関心のない夫に代わって活躍したことが、江戸時代の朱子学者などにより歪められて伝えられたものであり、戦国時代を懸命に生き抜いた孤独なその生涯が評価し直されてきている。
古より”できる女性”に対する男の「嫉妬」は実にすさまじい物があるんですよ・・・!!
さて基礎知識はこの位にして、本題へ!!
「淀殿」を演じる女優を見るにはテレビ・映画の時代設定が戦国時代になるのである(当たり前だ!!)が、同時代に活躍した歴史上の英傑たちが余りにも多いため、例えば、NHK大河ドラマでも戦国時代の誰々を主人公にしたドラマを放映したとしても、必ずと言って良いほど「淀殿」が出演するシーンが見られる。これは逆に考えれば「淀殿」がこの時代において、どれほど重要な人物なのかを物語っているのではないか・・・!!。
1965年、テレビ史上初めて「淀殿」が画面に登場 → 『太閤記』

『太閤記』
高橋幸治演じる織田信長にも人気が集まり、「信長を殺さないで」という投書がNHKに殺到し、本能寺の変の放送回が延期されたという逸話がある。平均視聴率は31.2%、最高視聴率は39.7%を記録した(10/17放送分 ビデオリサーチ調べ・関東地区)。大河ドラマが初めて日曜午後8時台の放送となった作品でもある。

1965年 NHK大河ドラマ『太閤記』の「淀殿」役で出演した三田佳子
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たしか、この『太閤記』はNHK大河ドラマでは3本目にあたり、それまではそんな人気がなかったのが、一気に人気に火が付いた作品であり、私はこれ以前の物は頭の中に残っていない。
主人公である豊臣秀吉に故人の緒方拳が扮していて、三田佳子扮する淀殿の絡みで見た目のアンバランス(美女と鼠か? 失礼!!)に当惑していた覚えがある。
ちなみに、三田佳子はNHK大河ドラマで三大悪女の中の二人(『太閤記』の「淀殿」と『花の乱』の「日野富子」)演じた唯一の女優だが、北条政子も見てみたい気がする!!
民放では、岩下志麻が初の「淀殿」役を好演!!
『戦国艶物語』(せんごくつやものがたり)は、TBS系で1969年12月6日から1970年5月16日にかけて、毎週土曜22:05 - 23:00(途中、放送時間の変更あり。詳細は後述)に放送された連続テレビドラマである。カラー作品。全24回。
お市、淀君、千姫、3人の女性の愛憎と運命を虚実取り混ぜて描いた歴史ドラマ。各8回の3部構成で、同一の登場人物にはリレーキャストが組まれた。(画像がありませんでした!!泣)

1969年 朝日放送『戦国艶物語』の「淀殿」役で出演した岩下志麻
ここでは秀吉役を三国連太郎が扮していて、岩下が今の言葉で言うと、”ツンデレ”の淀殿を好演していた覚えがある。
1968年の『大奥』の好評を受けて、関西テレビ・東映で製作された『大阪城の女』

1970年 関西テレビ『大坂城の女』の「淀殿」役で出演した木暮実千代
大坂城の女(おおさかじょうのおんな)は、豊臣政権下における大坂城の築城から落城までの32年間にそこに関係した女性像を描いた、東映・関西テレビ製作の連続時代劇テレビドラマ。フジテレビ系列にて、1970年1月3日 - 9月26日に毎週土曜日22時30分からの60分枠(本編+予告編部約48分)で放送された。
豊臣秀吉には進藤英太郎が扮し、見た目が似合わない気もするが、このお話の秀吉はほぼ悪役。
木暮実千代の淀殿は憎態ぶりが凄絶、注目は金銀サイド毛(こんなのある訳ない!!)。
『春の坂道』で極め細かいリアルに徹した演技で私を虜にした岸田今日子の「淀殿」!!

グラフNHK 春の坂道 昭和46年3月15日号[雑誌]

1971年 NHK大河ドラマ『春の坂道』の「淀殿」役で出演した岸田今日子
今までのテレビや映画に出演した「淀殿」役の女優を見ると、大体美人の方が演じているのが当たり前だった。なのに決して”ブス”(失礼!!)ではないが、美人とは言えない岸田今日子が「淀殿」を演じていたので、初めはちょっと違和感もあったが、見て行く内に彼女の心拍の演技力に”恐ろしさ”さえも感じた覚えがある。