俺ら東京さ行ぐだ
この歌のヒットで各テレビ局で放送されていた歌番組に出演しています。夜ヒットやトップテンなど王道の歌番組に出ています。トークは今とさほど変わらずちょっと訛ったおっちゃんです。
この頃からシンガーソングライターとして活動してるので演歌歌手へと変更した後も違和感なく作ることができたのしょう。自分で作る歌詞と曲で歌うと思い入れもテイストも自分の思ったようにできるので吉幾三という歌手のイメージを壊すことなく進められるのでしょうね。
こんな曲も歌っていました。リアルタイムで見ていた筆者としては懐かしいのですが、「俺ら東京さ行ぐだ」で吉幾三の存在を知ったばかりだったので、この歌を歌っているのも吉幾三だとは当時は気づかずに見ていましたね。今聞けば吉幾三の他にはないと気づくのですが・・・。
演歌の王道で勝負
コミックソングばかりの吉幾三が演歌界へと足を踏み入れたのは1984年に演歌歌手、千昌夫に提供した「津軽平野」がヒットし作曲家として注目を集めたことが発端だったのではないでしょうか。同年に大ヒットした「俺ら東京さ行ぐだ」路線では先が見えていたでしょうし、実際、千昌夫には演歌の王道、正統派の演歌で曲を出すのは反対だと言われたそうですが、その意見を押して演歌歌手としてデビューとなったようです。
12枚目のシングルだったこの曲の大ヒットでコミックソングの吉幾三から演歌歌手、吉幾三となり子どもの人気者だった吉幾三が大人の人気者となりました。
そしてこの曲は演歌界はもちろんジャンル問わずたくさんの人に歌われるようになります。
終いには娘のKUもカバーして歌うという幅広さで愛された演歌の逸曲となりました。
長女で吉プロモーション所属のKU
ヒット曲連発
「雪國 」の大ヒットから出す曲出す曲がヒットし演歌歌手、吉幾三としてのイメージは確立されアイドル歌手としてデビューした吉幾三はもちろんコミックソングを歌っていた吉幾三も影を潜めていきました。