番組冒頭で上半身を右に傾けてお辞儀をするテレビ用挨拶が、視聴者の話題に →『夢であいましょう』!!

『夢であいましょう』の一場面
私はまだ当時小学校低学年だったので、学校がある期間にはこの番組のオープニング曲が流れ始めると決まっておやじ、お袋が「もう寝なさい!!」とせかされていた。結局、寝床の中で微かに聞こえるテレビ音声を子守唄代わりにしていた記憶が蘇る。私の人生、「夢であいましょう」を今でも追い続けているのかも・・・?!(泣)。
でも、休み期間中(夏休みとか・・・)には何とか見ていたんですよ!!。
あまりにも有名な伝説の音楽バラエティ・テレビ番組だった『シャボン玉ホリデー』!!

『シャボン玉ホリデー』で「スターダスト」を歌っている場面
こりゃまた失礼しました。!!!ドン !! - YouTube
主役級出演陣二組の横顔
”元祖コミックバンド”って言ったら「クレージーキャッツ」でしょう!! - Middle Edge(ミドルエッジ)

究極盤 ザ・ピーナッツ~スーパーベスト~の表紙
名古屋のショーレストランで“伊藤シスターズ”として歌っていたところを渡辺プロダクションにスカウトされて上京したのは17歳の時。当時の社長だった渡邊晋の家に寄宿し、作曲家・宮川泰の下でレッスンを積んでデビューに備えた。渡邊晋・美佐夫妻が正に手塩にかけて育て上げたふたりは、娯楽の殿堂と呼ばれていた有楽町・日本劇場のショウ『第2回 日劇コーラス・パレード』で1959年2月に初ステージを踏む。そしてキングレコードの所属となり「可愛い花」でレコードデビューを果たしたのは同年4月のことであった。その年6月にスタートしたフジテレビ『ザ・ヒット・パレード』と、2年後に始まった日本テレビ『シャボン玉ホリデー』にレギュラー出演して全国区の人気を獲得する。「情熱の花」や「悲しき16才」といったカヴァーや、「ふりむかないで」「恋のバカンス」などのオリジナルのヒットを連ねながら、歌謡界のトップスターとなっていったのは、歌もパフォーマンスも超一流だったふたりの実力はもちろんのこと、急成長を遂げていたメディア、テレビの力も大きかったといえるだろう。『シャボン玉ホリデー』では歌とダンス以外にコントにも果敢に挑み、後のアイドル歌手の在り方の基盤を築いた。
最高視聴率64.3%を記録した公開バラエティ・コメディ番組『てなもんや三度笠』!!

『てなもんや三度笠』の主人公たち
てなもんや三度笠 [F4-6]
1962年5月6日、最高視聴率64.3%を記録した公開コメディ番組『てなもんや三度笠』の放送が開始 【大人のMusic Calendar】 | ニッポン放送 ラジオAM1242+FM93
前田製菓一社提供の生コマーシャルとして、藤田が劇中で寸劇の最後に商品を出しながらの台詞「おれがこんなに強いのも、当たり前田のクラッカー」や、藤田のギャグ「耳の穴から手ェ突っ込んで奥歯ガタガタいわしたるで」、財津の「ヒジョーにキビシーイッ!」などは流行語となった。
私は、藤田まことをコメディアンとして認識していた訳ですが、「必殺・・・!!」を見て、彼のポテンシャルの高さに驚いたことを覚えている。
現在のテレビでは絶対放映不可能な伝説の番組『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』!!

『コント55号の裏番組をぶっとばせ!』の一場面
欽ちゃん、二郎さんのコント55号が、毎回、ゲストに迎えた女優や女性歌手と野球拳をやり、ジャンケンで負けた方が、1枚1枚、着衣を脱いでいく(ここまでは、普通の野球拳のやりかた)というものだが、「野球ケン」は、ここからがスゴイ!この脱いだ着衣を1枚1枚、「せり(いわゆるオークション!)」にかけて、会場の観客に売っていくのだ!!。
だが、お目当てはその女性歌手であったり女優であったり、彼女らが、会場で惜しげもなく、1枚1枚、着衣を脱いでいくところが注目なのだが、今のテレビでは、絶対放送できないだろうし、ましてあの時間帯(最初は、日曜夜8時代)では到底有り得ない!!(単純に放送禁止でしょう!!)。
1990年代の一時期、この番組のリメイク版的位置づけで、ダウンタウンの野球ケンが同じ日テレで不定期に放送されたが、元祖の迫力を知るものにとっては、比較の対象には成り得ない。まあ、今の人だと、そもそも「野球ケン(野球拳)」自体、知らない人が多いかも。逆に、古い人でも、この「コント55号の野球ケン」を知らない人は、お座敷での芸者遊びの「♪やぁきゅう、すぅうるなら、こうゆう具合にしやしゃんせぇ。アウト、セーフ、ヨヨイノヨイ♪」を連想する方も多いかもしれない。
当時伊予鉄野球部のマネージャーをしていた川柳作家の前田伍健(1889年 - 1960年)が、元禄花見踊りの曲をアレンジし即興で作詞・振付けをしたものであった。なおこの時はじゃんけんではなく宴会芸由来であったことから狐拳であったと言われている(1947年の伊予鉄忘年会でじゃんけんに改められた)。
テレビ界に革命を起こしたコント・バラエティ番組だった『巨泉・前武のゲバゲバ90分!!』!

巨泉・前武のゲバゲバ90分!!
ゲバゲバとは、当時学生運動が盛んであったため、ドイツ語で‘暴力’を表し当時の流行語であった「ゲバルト(暴力)」からもじったそうな・・・。
5秒から数十秒のコントVTRを90分間に約130本も詰め込み、その間、大橋巨泉と前田武彦の両司会者が生で掛け合いを入れる手法で数々の流行語を生みだした。