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セゾンからアイドル【東池袋52】セゾングループの歴史を調べてみた。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
パルコとは。

パルコ
パルコ - PARCO
パルコは、それまでにないまったく新しい業態の、未知の商品分野を開発した、革新的企業です。
池袋の西武百貨店に隣接する「丸物百貨店」という企業をセゾンの前身:西武流通グループが買収します。(丸物百貨店側からの要請。)
村野藤吾 - Wikipedia
1969年、パルコ誕生。
若い世代向けのファッションビルとして、パルコは開業します。
そしてパルコは、東急グループが拠点としていた渋谷への進出を狙います。
渋谷は、成長する消費市場として後背地に高所得層の存在する地域であり、ここに、劇場を持った専門店の集合体である「ファッションの文化館」を設計しました。
「公園通り」の名づけ親。
パルコは、渋谷駅から少し離れた場所に、意図的に用地を確保し、1973年に開店します。
そして、パルコにつながる人通りの少なかった道を、「公園通り」と名付けて、ストリートごとファッションの街にしてしまいます。
渋谷にパルコが登場したことにより、ファッションの街としての渋谷が急速に発展し、その勢いは、大阪心斎橋や岐阜、札幌などにもパルコが設立されるもとにもなりました。
1975年にパート2、1981年にパート3が渋谷に開設されるなど、急速に発展し、店舗の集合体という新しい業態を確立します。
「西武劇場」の併設。
PARCO劇場 - Wikipedia

PARCO劇場。
PARCO劇場 - Wikipedia
この、既に東急グループというライバルのいる渋谷という街へ進出し、新しい街を作るというパルコの執念、すごいですね。
宣伝のうまさにより発展するパルコ。
それまでの、いわゆる「老舗」「名門」というテナントが軒をつらねる百貨店ではなく、パルコは、パルコとしての主張性を持ち、パルコ自体がテナントを選ぶという業態を作り出します。
デザイン感覚は極めて斬新なものであって、「パルコ文化」とも言われるアイデンティティを確立しました。
「じゃあね」のかわりに、みんなで踊れ。3年先で、待ってるよ。
https://www.cinra.net/column/201605-parcolastdance渋谷パルコ一時休業。渋谷の街ごと変えた43年を街の達人が分析 - コラム : CINRA.NET
稀代のコピーライターの存在も大きい。
糸井重里「おいしい生活」☆1980年代、西武池袋本店 - Middle Edge(ミドルエッジ)
「物の消費」から、「サービスの消費」への時代の変化。
1990年代前半までイケイケドンドン状態のパルコでしたが、バブル経済崩壊による消費の低迷により、時代の波に乗った拡大が一段落します。
パルコは比較的影響は少なく、現在までそのステータス自体は崩れてはいませんが、それまで蓄積したパルコの利益は、セゾングループの一員として、他のセゾングループの支援に資金が回され、パルコは縮小に向かいます。
セゾングループからの脱却。
他のセゾングループの支援が一段落してスリムになったパルコは、新たに「森トラスト」を大株主に迎え、新しいスタートを切ります。
これからも続いてほしい「パルコ文化」。
パルコは、これまでにない「オシャレ」という新しい文化を作り上げた功労者と言えるでしょう。
モノに依存しすぎたセゾングループの企業は、一部を除いて清算されてしまいましたが、パルコはその中では、きちんと独自の文化を作り上げたことで、新たな支援者を得て、今もファッションの先端を作り上げています。
この「安ければいい」という世の中の風潮の中で、せめてパルコは、「消費上等。オシャレに投資し、カッコイイ人間になろう!」という欲求を刺激し続ける存在でい続けて欲しいと思います。