当時萩尾望都が竹宮惠子と同居していた通称【大泉サロン】に
山岸凉子が訪ねて行ったときのことが、対談で語られています。
初対談 山岸凉子×萩尾望都 出会いと秘密とヨモヤマ話 page2/3 - 太田出版
それから『小夜の縫うゆかた』(1971年「少女コミック」夏の増刊)
『秋の旅』(1971年「別冊少女コミック」10月号)
『11月のギムナジウム』(1971年「別冊少女コミック」11月号)
これらの作品は
日常のシーンのひとこまひとこまをつなげながら
底に流れる生活や文化や意識を背景に
登場人物の心の揺れや気持ちのあやをていねいに描く、文学性の高いものでした。
絵柄は地味、お目目キラキラを期待するムキの少女たちには、受けは悪かったと思います。
でもマンガと同時に小説も読みだしている多感な世代には
「少女マンガでここまで表現ができる!」
というのは、事件であり、衝撃であり、大きな喜びでもありました。
『ポーの一族』の大ブレイク
コミックス第1巻扉絵
フラワーコミックス『ポーの一族』① 1974.6 小学館
1972年『すきとおった銀の髪』によって始まるオムニバス形式の『ポーの一族』の連載は
当時のマンガ好きの少女たちを熱狂させました。
「年を取らない子ども」というアイディアから生まれた「エドガー」という少年の物語は
当初の構想の3部作(『ポーの一族』『メリーベルと銀のばら』『小鳥の巣』)を超えて
スケールの大きなドラマになっていきます。
1976年には、第21回小学館漫画賞(少年少女部門)を受賞しています。
『グレンスミスの日記』(「別冊少女コミック」1972年8月号)より
フラワーコミックス『ポーの一族』① p171 1974.6 小学館
100年以上生き続ける美しきバンパネラの物語、萩尾望都「ポーの一族」2016年40年ぶりに連載再開 - Middle Edge(ミドルエッジ)
SFが描きたくて
それでも萩尾望都の描きたいものは「SF(サイエンス・フィクション)」でした。
『ポーの一族』も、ある意味タイムリープめいたファンタジーではあるのですが
萩尾望都が志向しマンガで描きたいと熱望したSFは
「どうせならアシモフ、ヴォークト、ハインラインだ」
(『10月の少女たち』その2・真知子 登場人物の米山行のセリフ「COM」1971年10月号)
というセリフに代表されるような、スペースオペラ的なSFでした。
1973年「別冊少女コミック」8月号 1ページ劇場
少女マンガの宇宙 SF&ファンタジー1970-80年代 (立東舎) p57
『ポーの一族』で広い読者層や編集者に受け入れられた萩尾望都でも、
当時認知度の低かったSFを、さらにジャンル的に苦しい少女マンガの世界で描くのは
相当に難しかったらしく
読者アンケート結果がよくないと、おいそれと描かせてはもらえない状況だったようです。
『デクノボウ』(「別冊LaLa」1983年オータム)より
萩尾望都作品集15『モザイク・ラセン』p197 1986.4 小学館
その状態からやっと発表できたのが
『11人いる!』です。
『11人いる!』(1975年「別冊少女コミック」9~11月号)より
小学館文庫『11人いる!』p85 1976.7 小学館
今となっては説明不要の古典的名作ですね。
SFファンをうならせたのはもちろん、サスペンスミステリーとしても秀逸なこの作品は
「少女マンガ」のワクを大きく超え、多くの「大人の」読者の裾野を広げました。
1976年、『ポーの一族』と同時に小学館漫画賞(少年少女部門)を受賞、
アニメはもちろん、TVドラマや映画化、舞台化もされました。
続編『東の地平 西の永遠』(1976~77)も翌年発表されています。
その後、『百億の昼と千億の夜』(光瀬龍原作 1977~78「週刊少年チャンピオン」)や
『スター・レッド』(1978~79)など
次々とSFの話題作を発表していきました。
萩尾望都は『ポーの一族』だけではなく、多くのジャンルで秀でた表現者として
世間に周知され今に至っています。