少女マンガの概念を変えた「24年組」をあらためて振り返ってみよう

少女マンガの概念を変えた「24年組」をあらためて振り返ってみよう

「24年組」と言われる萩尾望都、竹宮惠子、大島弓子など、それまでの少女マンガから一線を画した作風と表現力でムーブメントを起こしたマンガ家たちの軌跡を振り返ります。


いわゆる少女向けの「少女マンガ」が、より幅広い層に受け入れられる「文化」となる、ちょうど過渡期にマンガを読んできた人間として、当時のことを語ってみたいと思います。

24年組とは?

1970年前半に、少女マンガはひとつの転換期をむかえます。
むかえる、というより、マンガの作り手たちからのムーブメントが起こり
それを受け入れる読者が増えてきた、そういう時代です。
そしてその作り手の中心にいたマンガ家が、だいたい昭和24年前後生まれだったことから
「24年組」もしくは「花の24年組」と称されました。

それまでの少女マンガ 24年組の台頭まで

キラキラおめめの少女マンガ

およそ当時掲載されていた「少女マンガ」は、このように世間的には思われていました。

・目が大きい、まつ毛が長い
・目の中に星、しかも不自然なほど
・アップが多い(なおかつ、左向きばかり)、全身像は少ない
・人物の描き分けができていない
・男性(特に成年、老年)が描けない、登場しない
・過剰な装飾(バックに花など)
・描画が平面的
・背景が描かれていない、もしくは下手
・ストーリー性がない、あるいは類型的
 (学園ラブコメ、スポ根、薄幸な美少女ものなど)

当時のすべての少女マンガがこうだったとは思いませんが
「少女マンガ」とレッテルがつくとき
それは上記のようなことを揶揄して切り捨てるかのような扱いをされていました。
「少年マンガ」と比較して、語るべきほどのものもないとされていたのです。

選択肢がない、表現の幅も広がらない

なぜこういった内容のものが多かったのか。
出版側が「こういうものが受けるから」と思い込んでいるため、
誌面にほとんど選択肢はなく、読者アンケートも似たようなものを選ぶしかありません。
出版社側もアンケート結果を見て、さらに決めつけを強化し
たとえ描き手が、実験的なものを描きたいと思っても
編集者にダメを出されてしまうわけです。

そういう膠着した状態が、きっと続いていたのだと思います。

はじまりは、後発誌「少女コミック」の苦肉の策から

当時の少女漫画誌は「少女フレンド」「マーガレット」が中高生向け2大誌。
「なかよし」「りぼん」は、ターゲットの年齢層の若干低い2大誌でした。

そこへ後発誌として出てきたのが「少女コミック」(小学館)です。発刊は1968年。

当時「マーガレット」では『アタックNO.1』、「少女フレンド」では『サインはV!』が連載されていて、バレーボールスポ根ものの全盛期。
その後「マーガレット」では
池田理代子『ベルサイユのばら』、山本鈴美香『エースをねらえ!』、
「なかよし」では『キャンディ♡キャンディ』の連載を開始、
「少女マンガ」という、これまでのワクからは出ない世界ながら、少女マンガの業界は興隆していきます。

少女マンガ界が盛り上がる結果、執筆する作家の確保に難儀した「少女コミック」は、
後発誌で、まだ少女マンガ誌として形ができていなかったことを逆手に取り、
作家に自由に描かせるという方法で、意欲のある描き手を集めて行きました。

その筆頭が、萩尾望都でした。

とにかく「SF」を描きたい 萩尾望都

萩尾望都は1949(昭和24)年大牟田市生まれ。「望都」は本名。
高校時代にマンガ家を志し、卒業後専門学校に学びながら投稿を続け、
「なかよし」(講談社)1969年夏の増刊号にて『ルルとミミ』でデビュー。

しかしながら「なかよし」編集部の意向は従来通りの「少女マンガ」。
自分の描きたいものを描かせてもらえない状態が続いたところ
「少女コミック」編集部から声がかかります。

「恋愛」要素のない、抒情の小品

もちろん編集部側としては、恋愛要素を排除してと依頼したわけではないと思います。
萩尾望都も、恋愛要素のある、ミュージカル的な展開のものも描いています。
ですがやはり、恋愛のない、ストーリー性に満ちた、短編小説に近い形のものを
当時から発表していました。
「自由にわがままに思い切り描かせる」というのが、編集部の方針だったそうです。

たとえば『かわいそうなママ』(1971年「別冊少女コミック」5月号)

「母と娘」ものは少女マンガの定番でしたが
母と息子、というのがまず珍しかった。
そしてその展開も衝撃的でした。

『かわいそうなママ』「別冊少女コミック」5月号より

小学館文庫『11月のギムナジウム』p172 1995.12 

当時萩尾望都が竹宮惠子と同居していた通称【大泉サロン】に
山岸凉子が訪ねて行ったときのことが、対談で語られています。

それから『小夜の縫うゆかた』(1971年「少女コミック」夏の増刊)
『秋の旅』(1971年「別冊少女コミック」10月号)
『11月のギムナジウム』(1971年「別冊少女コミック」11月号)

これらの作品は
日常のシーンのひとこまひとこまをつなげながら
底に流れる生活や文化や意識を背景に
登場人物の心の揺れや気持ちのあやをていねいに描く、文学性の高いものでした。

絵柄は地味、お目目キラキラを期待するムキの少女たちには、受けは悪かったと思います。
でもマンガと同時に小説も読みだしている多感な世代には
「少女マンガでここまで表現ができる!」
というのは、事件であり、衝撃であり、大きな喜びでもありました。

『ポーの一族』の大ブレイク

コミックス第1巻扉絵

フラワーコミックス『ポーの一族』① 1974.6 小学館

1972年『すきとおった銀の髪』によって始まるオムニバス形式の『ポーの一族』の連載は
当時のマンガ好きの少女たちを熱狂させました。
「年を取らない子ども」というアイディアから生まれた「エドガー」という少年の物語は
当初の構想の3部作(『ポーの一族』『メリーベルと銀のばら』『小鳥の巣』)を超えて
スケールの大きなドラマになっていきます。

1976年には、第21回小学館漫画賞(少年少女部門)を受賞しています。

表題作『ポーの一族』のサイドストーリー『ポーの村』の後日譚にあたります。軸になるグレンスミスの記した「日記」は、約100年の時を経て「ポーの一族」の存在をうっすらと浮き彫りにします。

『グレンスミスの日記』(「別冊少女コミック」1972年8月号)より

フラワーコミックス『ポーの一族』① p171 1974.6 小学館

100年以上生き続ける美しきバンパネラの物語、萩尾望都「ポーの一族」2016年40年ぶりに連載再開 - Middle Edge(ミドルエッジ)

SFが描きたくて

それでも萩尾望都の描きたいものは「SF(サイエンス・フィクション)」でした。
『ポーの一族』も、ある意味タイムリープめいたファンタジーではあるのですが
萩尾望都が志向しマンガで描きたいと熱望したSFは
「どうせならアシモフ、ヴォークト、ハインラインだ」
(『10月の少女たち』その2・真知子 登場人物の米山行のセリフ「COM」1971年10月号) 
というセリフに代表されるような、スペースオペラ的なSFでした。

萩尾望都の「心の叫び」満載のページだと思います。

1973年「別冊少女コミック」8月号 1ページ劇場

少女マンガの宇宙 SF&ファンタジー1970-80年代 (立東舎)  p57

『ポーの一族』で広い読者層や編集者に受け入れられた萩尾望都でも、
当時認知度の低かったSFを、さらにジャンル的に苦しい少女マンガの世界で描くのは
相当に難しかったらしく
読者アンケート結果がよくないと、おいそれと描かせてはもらえない状況だったようです。

『デクノボウ』(「別冊LaLa」1983年オータム)より

萩尾望都作品集15『モザイク・ラセン』p197 1986.4 小学館

その状態からやっと発表できたのが
『11人いる!』です。

『11人いる!』(1975年「別冊少女コミック」9~11月号)より

小学館文庫『11人いる!』p85 1976.7 小学館

今となっては説明不要の古典的名作ですね。
SFファンをうならせたのはもちろん、サスペンスミステリーとしても秀逸なこの作品は
「少女マンガ」のワクを大きく超え、多くの「大人の」読者の裾野を広げました。

1976年、『ポーの一族』と同時に小学館漫画賞(少年少女部門)を受賞、
アニメはもちろん、TVドラマや映画化、舞台化もされました。
続編『東の地平 西の永遠』(1976~77)も翌年発表されています。

その後、『百億の昼と千億の夜』(光瀬龍原作 1977~78「週刊少年チャンピオン」)や
『スター・レッド』(1978~79)など
次々とSFの話題作を発表していきました。
萩尾望都は『ポーの一族』だけではなく、多くのジャンルで秀でた表現者として
世間に周知され今に至っています。

「ジルベール」を描くために 竹宮惠子

竹宮惠子(竹宮恵子を1980年ごろ改名)は1950(昭和25)年徳島市生まれ。
石ノ森章太郎に心酔し小学校低学年からマンガ家を志します。

その後「週刊マーガレット」(集英社)に『りんごの罪』で1968年佳作デビュー、
親の反対、大学での勉学、学生運動などでの1年間の充電期間のち、
「週刊少女コミック」の編集者からの勧誘を受けて上京、
『森の子トール』で「少女コミック」での連載を始めます。

大泉サロンでの切磋琢磨

多くの原稿依頼をうけおい、カンヅメにもなるような多忙な状態になった竹宮惠子は
当時の萩尾望都の文通の相手で、マンガ家志望でもあった増山法恵の
自宅の向かいの長屋に住み、本格的に活動を開始。
そして、
同じくマンガ家として上京を決意した萩尾望都を誘い、同居を始めます。
これが、少女マンガ界での「トキワ荘」、【大泉サロン】のはじまりです。

竹宮、萩尾、増山の3人で
あるいはサロンに遊びに来た(アシスタントもしに来た)マンガ家を志す女子たちとで
少女マンガのあるべき姿についての切磋琢磨が繰り広げられ
「少女マンガで革命を起こす!」と気炎が上がりました。

少年愛のプロット

大泉サロンが始まる前、竹宮惠子は、ある強烈な啓示を得ていました。

部屋の中にあるポスターを見ながらいきなりわき出てきたイメージ。
それを何とか形にしようと、増山法恵と深夜から明け方まで長電話をしながら
その啓示は少しずつ肉づけされ姿を表していきます。
それは後年『風と木の詩』というタイトルで発表される
竹宮惠子のライフワークとも言うべき作品の発露の瞬間でした。

ジルベールという名の少年

「少年の名はジルベール」竹宮惠子|小学館

もともと少年を描くのが好きだった竹宮惠子
「少女コミック」でのデビュー作の『森の子トール』でも
少女よりは少年をクローズアップして描いています。
そこに同好の志である増山法恵との共感が拍車をかけて
「少年同士の恋愛を描きたい」という思いがふくれあがります。

ところが世間は「お目目キラキラの少女マンガ」の時代。
萩尾望都のSFですら困難をきわめたのに
少年愛のまかり通るすきまは全くありません。

竹宮惠子は、長期連載の合間に受けた読み切りに対し
どうしても少年が描きたい、と思いつめ
少年同士の恋愛の短編『雪と星と天使と・・・』をすり替えて提出してしまいます。
これが『風と木の詩』の最初の習作となる作品でした。

1970年 別冊少女コミック12月号
のちに『サンルームにて』と改題されました

『雪と星と天使と・・・』 扉絵

神田神保町 古典籍 自然誌関係古書専門 ふくべ書房

たまたま代原(代わりに掲載する原稿)がなかったため
このごり押しは通ってしまい掲載されますが
担当に叱られ、自分自身の信用も下がり、
理解を得るにはまだ遠い道のりであることを、あらためて認識することになります。

この作品が発表されたあと
当時集英社で描いていた山岸凉子が、大泉サロンを訪ねてきます。
「自分もやってみたいと思っていたことを発表した人がいて驚いた」と。

少年愛の世界を描くのは遠い道のりではあるけれど
間違いなく需要があることを確信し
少年が主人公ではあるものの
少年の動きにこだわりリズミカルに描く作品を、ミュージカル的な仕立てで連載しはじめます。
編集サイドの理解を広げる意味もあったのかもしれません。

1971年 週刊少女コミック12~21号

男の子が主人公で女の子が脇役でしか出てこない作品です。
これも掲載までに編集とすったもんだがあったようですね。

『空がすき!』プチコミックスカラーイラスト

ライバルへの嫉妬と苦悩

しかし一方で、竹宮惠子は
大泉サロンで一緒に住み一緒に活動する萩尾望都との差を、痛切に感じ始めていました。
萩尾望都の表現力、構成力、素材を扱う新鮮な視点
そしてその結果得られる業界内外の評価が、竹宮惠子を少しずつ苛んで行きます。

萩尾望都の描く世界、
ヨーロッパの映画のように、説明もないままに静かに情景からはじまり、
導入へと至る表現は、これまでの少女マンガにはないものでした。
その形が、いつの間にか大島弓子や他の作家にも表れてきて
竹宮惠子は「自分の作品スタイルは古いのではないか」と思い悩みます。
あれだけ革命を起こしたい、突破したいと反発した古い形に
自分が陥っているのではないかと。

大泉サロンの解散

竹宮惠子にとって、【大泉サロン】という場所は
萩尾望都との差をいやがおうにも見せつけられる
精神的に非常にきつい場所になってしまっていました。

ちょうど賃貸の更新時期にあたることもあり、
竹宮惠子は「一人暮らしをしたい」と言い出します。
それはすなわち、大泉サロンの解散を意味しました。
少女マンガ界の「トキワ荘」【大泉サロン】は、2年間で終了となりました。

『ファラオの墓』という踏み切り板

ちょうどそのころ、竹宮惠子の担当編集者が代わります。
それまで少年誌にいて、少女マンガのセオリーにはこだわりのない新担当は
「読者アンケートで1位を取ったら描きたいものを描かせる」と提案をしてきます。

すべては、ジルベールを描くために。
ジルベールの物語を世に出すために、
読者アンケートで1位を取れる作品を描こうと竹宮惠子は決心します。

では1位を取れる内容の作品とはどのようなものか?
ラブコメがまだ大きなシェアを持っている世界の中で
ラブコメを描きたくない竹宮惠子が見せられる世界とは何か?
増山法恵に相談してたどりついたものは「貴種流離譚」。
高貴な生まれの人間があるきっかけで流され
苦労しながらも周囲の人心を得ながら復活するドラマです。

こうして生まれた作品が『ファラオの墓』でした。

「週刊少女コミック」1974年9月~1976年3月
連載71回の大作です

『ファラオの墓』第一巻

ファラオの墓(1) / 竹宮惠子 | 中古 | 少女コミック | 通販ショップの駿河屋

『ファラオの墓』は、エジプトを舞台にした
それまでの少女マンガにはない、スケールの大きな世界を持っています。
ですが最初から完成された構造は持っていませんでした。

アンケートの結果があまりはかばかしくないことを受け
自分の作品に対するテコ入れを、途中から始めたのです。

どんな要素を入れれば読者は喜ぶか
どう登場人物を動かせば、リアルな心情や表現が生まれるか
そのための「脚本」が必要なのだと、竹宮惠子は気づきます。
ただ流されるように絵を話を描くのではなく
人心を掌握するに足る主人公の、説得力のある行動やエピソード
魅力的な悪役や脇役
政治的な背景や世界観
張り巡らせた伏線をカタルシスに導く筋道
これらを、少女マンガの読み手に、わかりやすく、かつ魅力的に読ませる力を
竹宮惠子は『ファラオの墓』を描くことで、獲得していきます。

『ファラオの墓』は結局、読者アンケートの1位は取れなかったのですが
この作品を作り上げたことは、竹宮惠子の作家としての実力と信用の獲得につながりました。
そして『風と木の詩』の連載が決定します。

エポックメイキングとしての『風と木の詩』

今でこそBL(ボーイズラブ)が市民権を得た世界になっていますが
当時は少年同士の性愛(性愛ですよ!)は相当なタブーでした。
(「薔薇族」「さぶ」といった雑誌はありましたが、超マニアな世界でした)

「少女コミック」という少女マンガの一般誌で
これが発表された時の衝撃は忘れられません。

ただ、元祖BLとかいろいろ言われてはいますが
『風と木の詩』で描かれているのは「人が人を求めるということ」だと
わたしは思います。
少年同士の性愛はその手段にすぎません。

「少女マンガ」は少女を、少女の世界を描くもの
というワクを大きく突破し
少女が嗜好する耽美で濃密な世界を、ある意味冷徹な眼で描きながら
人間のドラマとして昇華したこの作品は
1977年1月~1980年5月「月刊マンガ少年」連載の『地球へ・・・』と合わせて
第25回(昭和54年度)小学館漫画賞少年少女部門を受賞しました。

大泉サロン 増山法恵という「美意識のパトロンヌ」

【大泉サロン】の成り立ちや、竹宮惠子の『風と木の詩』が世に出る背景には
「増山法恵」という人物が存在します。
この方はマンガ家を志望してはいましたが、マンガ家ではありません。
(萩尾望都や竹宮惠子の絵を見て断念したらしいです)
この人物を語らずして【大泉サロン】は語れません。

増山さんは旗を持って先頭に立つガイドのような存在だった。

『少年の名はジルベール』p62 竹宮惠子 小学館 2016.2

増山法恵は【大泉サロン】を「女性版トキワ荘」とするために
訪れてくる人間をセレクトしていました。
少女マンガに対する革新的な気概があるかどうか
そして何よりも、上手い絵を描くかどうか。
人選と話題の提供、少女マンガの地位向上へのあくなき追求
サロンのいわば「パトロンヌ」として、厳しい意見もたくさん出していたようです。
少女マンガの革命を成功させるため、
よい作品を作り、世間に認められるような立場に立って、要求を通していくためには
「作家であるあなたたちの質そのものが問われている」と。
【大泉サロン】は、少女マンガ界の梁山泊でもあったわけです。

萩尾望都の『ポーの一族』『トーマの心臓』、竹宮惠子の『風と木の詩』の
「少年」というアイコンは
増山法恵のそもそもの嗜好との共感から生まれたものです。
親にピアニストになることを強要されていた彼女は、ウィーン少年合唱団や
稲垣足穂の『少年愛の美学』などの世界の、マンガでの表現を望んでいました。
『風と木の詩』とほぼ同時期に連載をしていた
早世する天才音楽家を描く『変奏曲』のシリーズの原案・原作は、増山法恵です。

クレジットに「原作:増山法恵」とあります

変奏曲 vol.1

変奏曲 vol.1 (1) | 竹宮 惠子, 増山 法恵 |本 | 通販 | Amazon

今では原作つきマンガは珍しくありませんが、
原作および原案、舞台装置やシチュエーションのプロデュースにまで関わることは
当時は非常に特殊な状況でした。

『風と木の詩』を世に出すために1位を取れる作品をどうするか悩む竹宮惠子に
「世の中にコビを売るのか」と怒りながらも
「貴種流離譚がいい」とアドバイスをしたり
ファンクラブやサイン会の設定・運営等の全面的なバックアップを行うなど
有能で有力なサポーターとして、そして友人として、増山法恵は存在しました。

今回、竹宮惠子さんと増山法恵さんについて
この本からたくさんの情報をいただきました。
竹宮先生の苦労話もたくさん。
それにしても竹宮先生、文章も素晴らしいです。一つとして無駄な文がない。

少年の名はジルベール 2016/1/27 竹宮 惠子 (著)

少年の名はジルベール | 竹宮 惠子 |本 | 通販 | Amazon

反転する視点と驚きと祝福と 大島弓子

もともとは「悲劇担当」

大島弓子は1947(昭和22)年、栃木県生まれ。
1968年、「週刊マーガレット春休み増刊号」(集英社)にて『ポーラの涙』でデビュー。

比較的早い時期に執筆陣の仲間入りをしたものの
「ヒゲタン(悲劇担当)」という枠内に入れられ、作品内容を制限されてしまいます。
とはいえ普通の悲劇だけでは終わりません。
1970年の『誕生!』という作品では、女学生の妊娠をテーマにしていますが
目の前に展開するめまぐるしい(しかも昼メロ的理不尽な)状況に翻弄されながらも
登場人物たちが、心情に心情を重ねながら「誕生」に向けて動いていくさまに
その後の大島弓子の作風の片鱗を見ることができます。

「週刊マーガレット」52号  1971年8号

状況変化の理不尽さは「悲劇担当」ならではなのですが
たたみかけるような展開にひるまないテーマが、一本通っているように思います

『誕生!』 サンコミックス

誕生 (サンコミックス) | 大島 弓子 |本 | 通販 | Amazon

繊細な線を保ちながらも

「少女コミック」に移ってからは
『ミモザ館でつかまえて』での、高校女教師と男子生徒の激しい気持ちのすれ違い
『ジョカへ・・・』での悲劇的な性転換
『ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ』(原作ドストエフスキー『罪と罰』)の
主人公のきつい心理描写など
どれも感情の振り幅が大きくなり、選ぶ題材や舞台装置がどんどんと変化していきます。
移籍後しばらくは、大島弓子の従来の繊細な線を保ちながらも
自由にジャンルを拡大できたのではないでしょうか。

大島弓子の線の描き方は独特です。
この細い描線から「少女マンガ」を起想する方もいると思います。

『ジョカへ・・・』 1973年「別冊少女コミック」4・7・9月号

朝日ソノラマ 大島弓子選集第3巻『ジョカへ・・・』p131 1986年

日常のなかに、普段は見えていない「スキ」がある

「少女コミック」誌での掲載が安定してくると
感情の振り幅はそのままながら、舞台装置が少しずつ「日常」に近くなってきます。
大きな仕掛けはなくなり、
そのかわり、ごく普通の日常の中に「不用意さ」「気づかないスキ」が
ぽっかりと口を開けているのを見るような、ぎょっとする感覚が
登場人物たちの感情や行動を促すエネルギーになってきています。
描写が「日常」であるからこそ、際立って見えるのだと思います。

舞台は女子高。
マンガ家を目指し授業中も投稿作品制作に明け暮れる
まだネンネの主人公に対する
親友からのこの暴言(笑

『さようなら女達』 「JOTOMO」9月号 1976年

小学館フラワーコミックス『さようなら女達』p41 1977年

大島弓子というとこれが物議をかもす『バナナブレッドのプディング』

大島弓子の作品について人に聞くと
『バナナブレッドのプディング』を挙げる方がけっこういます。

「大島弓子 バナナブレッドのプディング」でググると
いろいろな感想が出てくるんですよ。
いわく「男性にはわからない」「男性でこれが分かると言っているのがキモい」

まあどっちでもいいんですけど(笑
たしかなのは、この作品は
当の女性にここまで言わせるほどの、とてもとても微妙であやういところを突いた
マンガだと言うことです。

作品冒頭、転校生として登場した主人公に教師が
なぜそんな世界の終わりみたいな顔をしているのかと聞いた時の答え
「きょうはあしたの前日だから、だからこわくてしかたないんですわ」
そこだけでやられた女子もいるようです。

『バナナブレッドのプディング』 「月刊セブンティーン」11月号 1977年

朝日ソノラマ 大島弓子選集第7巻『バナナブレッドのプディング』p170 1986年

主人公の衣良(いら)の言動は、はっきり言ってぶっ飛んでいてエキセントリックで
しかも繊細。
読んでいる自分は「いくら思春期女子でもここまで顕著じゃない」と
思ってはいても
自分の中に確かに「一瞬でくるりと狂気に反転しそうな危うさと脆さ」があり
それが、暗闇の中で綱渡りをしていて、ひやりと湧き上がってくるような
そんな自分自身のこわさがほの見える。

『バナナブレッドのプディング』にインスパイアされた女子が
「男にはわかんねーよ」と言ってしまうのは
きっとそんなところに理由があるのではないかと。

パニックを起こした衣良に対することば。
「そうしたら きみはおちついて うなずいて
 またあしたね というだろう」
これは冒頭の「きょうはあしたの前日だから」の
答えでもあるわけですね。

『バナナブレッドのプディング』 「月刊セブンティーン」3月号 1978年

朝日ソノラマ 大島弓子選集第7巻『バナナブレッドのプディング』p354 1986年

『すばらしき昼食』(「ASUKA」6月号 1981年)の中に
「固いつぼみが
 くるりと花になるように
 みなれた日常が
 ぽっかり形を変えそうな
 春の夜は
 なにやらこわい」
というモノローグがありますが
こうした、日常にひそむ「見えないもの」を掘りおこす
「視点の反転」「発想の転換」的なファクターが集約したものが
次に発表された『綿の国星』なのではないでしょうか。

ただの擬人化マンガではない『綿の国星』

元祖「猫耳」ですよ~!
チビ猫は自分が人間だと思っているので、この姿で登場します。
毛皮は「立派な服」だと思っているのです。

『綿の国星』 「LaLa」5月号 1978年

MFコミックス『大島弓子が選んだ大島弓子選集』2 p4 2008年

擬人化が普通に行われている現在と違い、確かに当時は新鮮な表現だったでしょう。
ですが、ただの可愛い生後3か月の仔猫の擬人化なら、
これほどのブームは起きなかったろうと思います。

ここで「チビ猫」の眼を通して語られる人間の世界は
人間が見ているものからは思いもよらない「驚き」があふれています。
普通に見慣れた日常の風景や
交わしている習慣やしぐさやことば
それが実はこんなにびっくりするような、
キラキラした、ドキドキするような世界なのだと。

「チビ猫」飼い主の時夫。予備校生。
チビ猫と出会い共に過ごすことで
世界に対する目と
自分の心構えがガラッと変わります。

『綿の国星』 「LaLa」5月号 1978年

MFコミックス『大島弓子が選んだ大島弓子選集』2 p93 2008年

橋本治は『花咲く乙女たちのキンピラゴボウ』の中で
大島弓子を「ハッピーエンドの女王」と呼び、
川上未映子は「読んだ人をひとり残らず抱きしめる」と評しました。
大島弓子の描くマンガは
思いもよらない視点やことばや行動によって、新しい世界を見せてくれて
その世界で新生した自分を、ふんわりと抱きしめてくれるような
そんな祝福に満ちた作品が多いと思います。

ムーブメントを背景に花開いた作家たち

人間の身体の描線と狂気と 山岸凉子

山岸凉子は1947(昭和22)年、北海道空知郡生まれ。
異常に甘いもの好きの家族の中で育ちます。本人は甘いものが苦手。

山岸凉子は、萩尾望都の項でも竹宮惠子の項でも登場しましたが
「りぼん」(集英社)という、少女マンガ枠を逸脱しない方針の場所で描いていたため
作品の筋立ての独特さを発揮するのは、少し遅れます。
しかしながら、1971年に「りぼん」で連載を開始した『アラベスク』は
「バレエスポ根」という従来の少女マンガカテゴリの中で描きながらも
独自の描線、独自の身体のライン表現、登場人物の設定など
リアルを追求した本格的な「バレエ」の世界を描き、注目を集めました。

大泉サロンのメンバーがヨーロッパ旅行に行った際、同行した山岸凉子は
「編集部からは(『はいからさんが通る』の)大和和紀のような絵をと指導されたが
 新しいバレエマンガは、筋肉がゴツゴツしたような絵で描きたい」
と語っていたそうです。

1974年6月「花とゆめ」創刊号です。
集英社から白泉社に移って、さらに描きやすくなったのでは?
山岸凉子の肉体描写メソッドはもう完成形に近いですね。

『アラベスク』第二部開始回の見開き扉絵

くだん書房:目録:マンガ:雑誌・白泉社:花とゆめ

それまでの常識を覆し、最高峰のバレエ大国ソビエトを舞台に描かれた、本格バレエマンガ「アラベスク」 - Middle Edge(ミドルエッジ)

山岸凉子はその後『メタモルフォシス伝』『妖精王』といった連載と
怖い話やギリシャ神話に題材を取った精神的心理描写の短編で
「狂気もしくはその一歩手前を描かせたら右に出るものはいない」
作家として定評づけられました。
そして1980年
あの『日出処の天子』という、センセーショナルな作品を発表するに至ります。

白泉社「LaLa」1980年4月号~1984年2月号、1984年4月号~6月号にて連載

1983年度、第7回講談社漫画賞少女部門を受賞しています。

『日出処の天子』 (第1巻)

日出処の天子 (第1巻) (白泉社文庫) | 山岸 凉子 |本 | 通販 | Amazon

評論家で翻訳家の山形浩生は、『日出処の天子』について
山岸凉子の描きたいことは歴史ではなく、歴史や歴史的人物という舞台を借りた
きわめて現実的な現代日本人のテーゼだと述べています。

「聖徳太子」として知られる人物の歴史的な行動は、この作品にはほとんど出てきません。
陰惨なほど美しい厩戸王子を突飛な設定の中で描きながらも
現代人にも共通する
人が持つ孤独と、愛を求める狂気に近い心情と、絶望とを
硬質な、でありながら流麗な線で描き出す。

少女マンガは、たった10年で
なんて遠いところまで来てしまったのでしょうか。

24年組は、他にも
青池保子、ささやななえこ、山田ミネコ、木原敏江、樹村みのり
といった作家が名を連ねています。

男の色気と硬派なストーリーと(女は色っぽくない) 青池保子

青池保子は1948(昭和23)年、下関市生まれ。
水野英子にあこがれてマンガ家を志し、水野英子に送った原稿がきっかけで
1963年プロデビューに至りました。
当初の所属は講談社でしたが、1973年秋田書店「月刊プリンセス」に移籍し
ロックスターでゲイの3人組『イブの息子たち』から頭角を表します。
女性のほとんど出てこない内容と
独特の馬面(笑)と肉体美とシュールな笑いを踏襲した『エロイカより愛をこめて』は
当時誰も描かなかった東西冷戦という硬派な展開と
脇役の少佐のキャラクターが受けて、大ヒットとなりました。

「ビバプリンセス」1976年冬号~連載中
もともと脇役だったNATO軍情報部のエーベルバッハ少佐が人気を博しました。
途中東西ドイツの統一やソ連の崩壊などで一時中断していますが
世界情勢や軍事情勢を背景にした硬派な(しかもお笑いあり)作風は変わりません。

青池保子『エロイカより愛をこめて』14巻 秋田書店

エロイカより愛をこめて 14 - 青池保子(プリンセス・コミックス):電子書籍ストア - BOOK☆WALKER -

バンカラな男子たちに花束を 木原敏江

木原敏江(初期ペンネームは木原としえ)は1948(昭和23)年、東京都生まれ。
銀行に一度勤務したものの、1969年「別冊マーガレット」(集英社)でデビュー。
少女マンガのセオリー通り、明るくて前向きでドジな主人公をメインにしますが
1974年『銀河荘なの!』で
吸血鬼の「うるわしのおにいちゃんたち」を脇にすえて
明るく切ない話を描き始めた頃から、どんどん木原ワールドが作られます。
1976年『天まであがれ!』は、題材は新撰組。
時代や世相を背景にした「命の短い」青春時代を、バンカラな男子の群像にこめて描き
それは1977年の『摩利と新吾』で花開きます。
萩尾望都や竹宮惠子の「少年」とはまた違う、「学生」のにおいのする男子たちの話は
いつか必ず終わりの来る「青春」の持つ切なさに満ちていました。

中には「24年組」のカテゴリに入れられることをあまり歓迎しない方もおいでですが
このムーブメントによって、これらの作家はみな
自分の作風を大きく広げ、秀逸な作品とそれに賛同するファンを獲得しており
そういう意味で「24年組」と言っていいのではと思います。

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