日中国交正常化45周年記念「李徳全」オリジナル切手発売。
日本僑報社は、今年の日中国交正常化45周年と来年の日中平和友好条約締結40周年を記念して、『李徳全――日中国交正常化の「黄金のクサビ」を打ち込んだ中国人女性』の表紙をデザインしたオリジナル切手(82円)を作成しました。1シート20枚、定価は2050円。李徳全の1954年10月30日の来日記念と合わせて、10月30日に発売されます。

「李徳全」とは?
李徳全は、河北省出身の中国の女性政治家。日中戦争期には南京や重慶で女性運動を指導しました。第二次大戦後、戦犯とされた約1000人の日本人を帰国させることに尽力し、1954年と1957年に来日。1958年に中国共産党に入党し、1965年に中国人民政治協商会議副主席となった人物です。
知られざる日本人の帰国秘話が初刊行!
日中国交正常化から遡ること18年前。戦後初の中国代表団を率いて訪日し、中国大陸に残された日本人居留民とB・C級戦犯の日本人を無事に帰国させた、李徳全の知られざる秘話が刊行されました。戦犯とされた1000人前後の生存者がなぜ無事に帰国できたのか?日中国交正常化のために李徳全が打ち込んだ「黄金のクサビ」とは何なのか?日中関係を語る上で欠かすことの出来ないエピソードが満載の一冊となっています。
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1972年当時の国際情勢とは?
1972年9月に行われた日中共同声明の発表、および日中国交正常化。日本の東アジア外交におけるターニングポイントとなりました。ここでは日中国交正常化当時の世相を振り返ってみたいと思います。
中国による「パンダ外交」
「パンダ外交」という言葉を耳にしたことのある方は多いと思います。中国共産党が外交を円滑に進めるため、相手国にパンダを贈るというものです。1972年にアメリカに「リンリン」と「シンシン」が贈られたのが最初であり、日本にも「ランラン」と「カンカン」が贈られました。

当時の上野動物園の模様はこちら。1972年10月28日にランランとカンカンが日本に到着し、11月5日から上野動物園で公開されました。ありえないほどの長蛇の列が出来ています。
金日成が国家主席に
1972年は金日成が国家主席に就任した年です。それまでは「首相」でした。12月27日の朝鮮民主主義人民共和国社会主義憲法によって国家主席の地位が新設されると、金日成は国家主席に就任します。この憲法は国家主席に権力が集中させる内容であり、金日成による独裁体制が確立されました。

金日成
韓国が第四共和国体制に移行
1972年は韓国が「第四共和国」に移行した年でもあります。朴正煕時代の後期、1972年10月17日から1979年10月26日までを指し、維新体制とも呼ばれます。第三共和国憲法の「大統領の多選禁止」の規定が撤廃され、朴正煕の永久執権を目的とした体制でした。

朴正煕
そして日本では・・・?
1972年7月7日、第1次田中角栄内閣が発足しました。日中共同声明の発表、および日中国交正常化が最大の功績となっています。周恩来との歴史的な握手が印象的でした。一方、それまで国交のあった中華民国(台湾)とは断交を行いました。

田中角栄
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