まさに怪物ばりの圧倒的強さで君臨
超世代軍の壁として君臨
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【三沢光晴】これぞプロレス!全日本プロレスのトップからプロレスリング・ノアを立ち上げたエルボーの貴公子、最強プロレスラー三沢光晴。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
天龍が新天地を求めて全日を離脱した後、ライバルとして名乗りをあげたのは弟子の三沢光晴であった。1990年6月、三沢はシングルマッチで鶴田越えを果たすが、この試合は「丸め込み」合戦を制してのもので、真に鶴田越えを果たしたとは言い難いものだった。以後も三沢ら超世代軍の前に圧倒的な壁として君臨。
1991年1月19日、三冠ヘビー級王者に返り咲く。この年は三沢、川田、スティーブ・ウィリアムスが鶴田の三冠王座に挑戦するが、全て完勝といっていい内容で退けている。
「超人」ハルク・ホーガンとの対戦を望んでいたジャンボ鶴田
この年の鶴田は全日本プロレス中継内の三沢との三冠戦後のインタビューで「一回でいいから、世界最強といわれるハルク・ホーガンと、負けてもいいから思いっきり闘いたい」と発言したことがある。当時ホーガンが所属するWWF(現WWE)と全日本とは全く団体間の交流はなく、しかも、全日は選手のスタンド・プレーに厳しかった。
1990年、東京ドームで行われた日米レスリングサミット!新日本プロレス、全日本プロレス、WWF(現:WWE)の合同興行に当代きっての人気レスラーが大集結!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
ナチュラルに強いジャンボ鶴田
主な得意技
恵まれた体躯から繰り出される技はどれも強烈!!!
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※以後、wikipediaの解説が詳しいため引用
バックドロップ
この技自体は若手時代から使用していた技なのだが、当時は相手の股へ手を差し込んだ抱え式のバックドロップであった(馬場やドリーのバックドロップと同じ形)。しかし1982年の夏頃から反り投げ式のバックドロップ(現在でいう投げっぱなしジャーマンのようなスタイル)をフィニッシュに使用しはじめ、そして同年秋にバックドロップの祖であるルー・テーズから「ヘソで小さく弧を描くように投げろ」とアドバイスを受け、自分の頭を相手の脇下にいれ、相手の胴を両手でクラッチしてブリッジを効かせて投げるルー・テーズ型バックドロップに磨きをかけるようになる。1983年4月にルー・テーズ杯のためにテーズが再度全日を訪れた際には本格的なマンツーマン特訓も受け、以後はジャーマン・スープレックスに代わる鶴田の絶対的な切り札となる。
最初はつま先をマットにつけたまま素早く低く叩きつける低空高速型(渕正信や蝶野正洋が使用しているタイプ)だったが、観客の見栄えを意識してか徐々につま先を流しながら高く持ち上げ落下させるスタイルに変化させていく。つま先をつけたまま低い体勢で素早く叩きつけるスタイルの低空高速型バックドロップは後のバックドロップ・ホールドへと昇華されていく。ニック・ボックウィンクルとのAWA世界ヘビー級戦でバックドロップ・ホールドでフォールしてベルトを奪取して以降、鶴田の代名詞と呼ばれるようになり、また、AWA世界王座奪取の決め手のなったことから「世界を獲ったバックドロップ」とも言われていた。身長2m、体重190kgの超肥満体型選手だったワンマン・ギャングも綺麗に投げてみせた事もある。
相手の受身の力量によって落とす角度を変えており、三沢光晴や川田利明に対しては、とんでもない角度で落としていた。別名「岩石落とし」。
ジャンピング・ニー・バット
普段は相手の顔の横を狙って放つが、怒った場合は真正面に向かって放つことがある。一時期は「鶴田が相手をロープに振ったら90%この技」といわれた。決まった後は右手を高々と掲げ「オー!」と叫んでアピールする事がほとんど。現在では秋山準が鶴田から直接教わったことを明言して使用し、女子でも西田夏(NEO)が習得し、仲村由佳(NEO)・里歩(我闘雲舞)へと伝承されている。バスケの経験から得た跳躍力を活かしている。
若手時代は「相手に考慮し」当たる瞬間体を横に向け太もものあたりを当てるようにしていたが、天龍との抗争からそのまま真っ直ぐ飛んで鋭角的な膝を顔面に叩き込むようになった。重要な一戦ではコーナーポスト最上段から放つダイビング式(ダイビング・ニー・アタックと呼ばれた)、ランニング式も使用し、スタン・ハンセンを失神させた事もある。
ダブルチョップ
ダブルハンマーとも。頭上から両手を揃えて相手の背中へ張り手の様に放つチョップ。超世代軍相手に放つことが多く、その威力と大きな音で場内がどよめくことも多かった。技自体は単純だが、相手に格の違いを見せ付ける色合いが強い打撃技である。