ミドルエッジ読者の皆様は「大日本プロレス」をご覧になった事がありますか。
まるで夜店のように親しみやすいプロレスから、大会場が騒然となる戦慄のデスマッチ、時代の最先端のVRを駆使したプロレスまで、実に幅広く様々な展開で観客を魅了する大日本プロレス。
大日本プロレス official website
94年に全日本プロレス出身のグレート小鹿選手が設立した同団体を現在率いているのはプロレス業界歴26年、旗揚げからの生え抜きである登坂栄児代表。
91年、最初の就職先がプロレス団体SWSという、当時のプロレスを知るファンにとっては実に興味深い道を歩まれた登坂代表に、ミドルエッジ編集部(ミド編)はお話を伺う機会を頂戴しました。
下町育ちの近鉄ファン!登坂代表の少年時代
大日本プロレス・登坂栄児代表
ミド編)まさにプロレス一筋で26年、いまや大日本プロレスを率いる登坂代表です。そもそもプロレスの道を志したきっかけは少年時代にあったのでしょうか。
ミド編)まるで「巨人の星」の世界ですね(笑、お父様の影響でやはり巨人ファンでいらっしゃいましたか?
ミド編)東京で近鉄ファンってけっこう珍しかった気がします。
ここからしばらく、往年のプロ野球談議に花が咲く登坂代表とミド編。
当時の選手と出来事、どこが好きだったかなど同世代の他愛もない話が止まりません。
ただ、なんとなく登坂代表によってクローズアップされるポイントには共通点があります。
それは「プロ野球でもっとも印象に残っている名シーン」を熱く語る様に凝縮されているようでした。
【1988年の「10.19」川崎球場で行われたロッテVS近鉄!】
まさに死闘だった「10.19」のダブルヘッダー、読者の皆様でも憶えている方は多いかもしれません。
※「10.19」の詳細については下記Wikipediaをご参照下さい
10.19 - Wikipedia
例えるならそれは「在野精神」か
「野武士球団が管理野球に勝てない!」(1982年、西武VS中日の日本シリーズ)
「負けて負けて…やっぱり負ける…」(阪急、近鉄を率いた西本幸雄監督の日本シリーズ)
登坂代表が挙げられる、印象に残るシーンの多くには”弱者が強者に立ち向かう、でも勝てない”そんな悲哀や哀愁、噛み締める様な男の生き様が多く「柵や定めに抗い散ってゆく美学」に在野の精神とでもいうべき登坂代表の本質が宿っているような気がします。
「散り際の儚さ、美しさ」を語る登坂代表
そんな登坂代表のイメージは好きだった特撮ヒーローやキャラクター、アニメや映画や音楽といった話の隅々からも伝わって来るかのようです。
仮面ライダーならX、ガンダムならドズルにランバラル、特撮ヒーローではアクマイザー3、アニメならサイボーグ009。七人の侍、寅さんに中島みゆき。更にはサッカー日本代表、ドーハの悲劇から4年を経て初のワールドカップ進出決定時のカズ…。
いかがでしょう、まるで滲み出る様な「ソレ」が伝わってくると思いませんか?
ここまでくると「だとすれば〇〇はお好きでしたよね」「□□□といったらやっぱり△△△のシーンでしたよね」そんな会話がそれこそエンドレスに展開します。
野球の話から始まった、少年時代から今に至る「心に残っているモノ」談義。
話は中学卒業後に働いていた後楽園球場での売り子、ゲームセンターでのアルバイト時代へと続きます。