「ホーセス」は、初期ニューヨーク・パンクのアーティストとしては最初にレコード・レーベルとの契約を得てリリースしたアルバムとなりました。
アルバムからは、ゼムのカヴァー曲「グローリア」がシングルカットされています。
この美しいアルバム・ジャケットを撮影したのはロバート・メイプルソープです。
この時期メジャーデビューしたとはいっても、まだアンダーグラウンドでの存在にしか過ぎなかったパティ・スミス同様に、ロバート・メイプルソープもまだ無名に近い存在でしたが、このジャケット写真は既にメイプルソープらしさが確立されています。
そして何より2人の友情は続いていたのですね。
その後、1975年「ラジオ・エチオピア」、1978年「イースター」と素晴らしいアルバムを連続して発表し、パティ・スミスの評価は高まります。
「イースター」からシングルカットされたブルース・スプリングスティーンとの共作「ビコーズ・ザ・ナイト」は、全米13位というヒットを記録しパティ・スミスはメジャーの仲間入りを果たしました。
一方のロバート・メイプルソープが写真家として花開くのは80年代に入ってからです。
ドリーム・オブ・ライフ
ロバート・メイプルソープは80年代のアートシーンを牽引したひとりといっても過言ではないでしょう。それほどまでに各メディアでセンセーショナルに捉えられ、多くの芸術家にも多大な影響を与えました。
人物を冷徹に物として捉えたような凄みを感じさせる作品ですね。そして、一躍ロバート・メイプルソープを有名にしたのが、リサ・ライオンとのコラボレーションによる作品です。
ボディビルダーのリサ・ライオンをモデルにした一連の作品は日本でも大きな話題となりました。
こうして成功を収めたロバート・メイプルソープですが、不孝が彼を襲います。1986年にエイズと診断されたのです。
その時、もしかするとロバート・メイプルソープは死を受け入れたのかもしれません。亡くなる直前に 自らの生涯を振り返ったかのような1冊の作品集を発表します。
タイトルは「Robert Mapplethorpe Patti Smith」。
80年代に入るとパティ・スミスは音楽活動から離れ、結婚をし幸せな生活を送っていました。カムバックは1988年。結婚・引退・出産を経て9年ぶりのアルバム「ドリーム・オブ・ライフ」を発表します。
ロバート・メイプルソープがエイズに侵されもう先が長くないと知らされたパティ・スミスは、この記念すべきカムバック作のジャケットの撮影を彼に依頼します。
家庭に入り幸せな生活を送っていたパティ・スミスと死を目前に控えたロバート・メイプルソープの最後のコラボレーションです。そこには、パンクの女王と言われた面影はなく、なんとも儚げな表情をしたパティ・スミスが写っています。
ドリーム・オブ・ライフ
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ロバート・メイプルソープは1989年に此世を去ります。アルバム「ドリーム・オブ・ライフ」発表の翌年のことでした。
「パティ、僕らみたいに世界を見る奴なんて、誰もいないんだよ」ロバート・メイプルソープの声が聞こえてきそうですね。
パティ・スミス&ロバート・メイプルソープ