アカデミー賞って何だったっけ??

それでは、“映画芸術科学アカデミー協会”とはどういう団体なの??
“映画芸術科学アカデミー協会”とは本来、当時のMGM撮影所のボス、ルイス・B・メイヤーが労働組合に頭を痛めていたことから計画した、調停目的の組織であった。創立時、会員の3分の2以上が撮影所とプロデューサーの大物たちに占められていたことからも、それは明らかであろう。
では賞そのものを発案したのは誰かというと、初代会長の俳優ダグラス・フェアバンクスである。当初、投票権を持つのはたった5人の中央選定委員会のみであり、選定方法に疑問を持つ声も少なくはなかった。第1回の特別賞チャールズ・チャプリンの「少数の人間の決めた賞など、たいした名誉ではない」という発言もそうだし、第2回の女優賞メアリー・ピックフォードが全員を自宅で接待していたスキャンダルなどが、それに輪をかけることとなった。第3回からは公平を期すためと賞を盛り上げるために、全員が投票権を持つようになっている。
アカデミーに入会するには、映画芸術、科学に貢献したと認められ、同会員の推薦を必要とする。創立時は275名だった会員も現在では5000人を越え、今後も増え続けていくのだろう。開催は毎年3月か4月で、ロサンジェルス地域で年内に一週間以上、有料で上映された35ミリ以上の作品に限られる。記念すべき授賞式の第1回はローズヴェルト・ホテルで200人だけが集まり、わずか12部門、授賞式はたったの4分22秒で終わったという。だが年々会員も増え一般参加者も加わることとなり、会場を変え、第25回からはテレビ中継されるようになりショウ的要素も強まることとなった。
数ある部門の中でも歴史が古く、かつ名誉あるのは、作品、監督、脚本、主演男優、主演女優の五部門で、いわゆる五冠と呼ばれているものだ。また授賞式と言えば、その司会者とプレゼンターの華やかな顔ぶれも見どころの一つだが、どちらも第3回からで、初の司会は俳優のコンラッド・ネイゲルが務めた。
なお受賞者に贈られる黄金像には正式な名前はなく、“オスカー”とはニックネームである。アカデミー側は、女子事務員がおじさんのオスカーにそっくりだと言ったことに由来するとしているが、それはハリウッド流のジョークであろう。
作品賞を獲ったからと言っても必ず優れた物とは限らない!!
その年のアカデミー賞作品賞を獲ったからと言っても秀作とは限らない場合が多々あります。何故か?? それは、その時々の政治背景や諸々の”大人の事情”がからみあっているからです。このアカデミー賞にノミネートされた、されないは別として(大体の場合、されているようですけどね!?)、作品賞は逃してしまった「名作・傑作」をご紹介したいと思ってます。読者の方も思い出のある映画があるのでは・・・
これを書く前は簡単にサクッと書けると思っていたのですが、検索してみると、出るわ出るわのオンパレード、「名作・傑作」の数々に少々困惑してしまいました。一応、年代順に列挙しました。
では、ごゆっくりお楽しみ下さい。
チャールズ・チャップリンが監督・脚本・製作・主演したコメディ映画『街の灯』

『街の灯』の一場面
米国版”トラさん ”と言っても過言ではない!!
世の中は極端に不景気。小男で風彩もあがらず、服装もみすぼらしく、職もなく住むところもないチャーリーは、職にありつけそうもなく、毎日あちこちさすらい歩いてフーテン暮らしをしていた。そんな彼が一人の娘に恋をした。街角で花を売っている、盲目の貧しい娘だ。彼は彼女の目を治す為に、金を稼ごうと一大決心をするが・・・。
当時、チャップリンには批判が多かった!!
私がこの映画を見た時期は、勿論1931年ではなく、高校生の頃にTVの深夜映画枠で見たのが最初であったが、何気なく見ている内についには引き込まれて、最後の方では感動の涙を流してた記憶がある。
チャップリンはコメディアンとして知られているが、単純におかしな物語を描いているのではなく、笑いと涙の人情劇であるということ、もしかしたら悲劇と喜劇のあいだには実はそれほどの大差はないのではないか?ということを漠然と考えさせられた。
おそらく、今見ても全然遜色ないであろう。このような秀作がなぜ、アカデミー賞を受賞できなかったのか??「赤狩り」(共産主義者排斥運動)の影響もあったのかもしれませんね!?
ちなみに、同年のアカデミー賞受賞作品は、エドマンド・グールディングが監督し、グレタ・ガルボ、ジョン・バリモアなどが出演した、『グランド・ホテル』だった。
ヒットラーを強烈に風刺した『独裁者』

『独裁者』の一場面
ヒットラーを徹底的にコケおろす!!
1918年の第一次大戦末期、トメニア(ドイツ)のユダヤ人一兵卒チャーリーは飛行機事故で記憶を失い入院する。ここまでの痛快なドタバタの中に戦争諷刺を盛り込むタッチは、チャップリン映画に親しんだ方なら想像がつくと思う。さて、それから数年後のトメニアは独裁者アデノイド・ヒンケルの天下で、ユダヤ人掃討の真っ最中。そんな時、退院したチャーリーは生まれ育ったユダヤ人街で元の床屋の職に戻る。親衛隊の傍若無人ぶり、特にそれが恋人ハンナ(ゴダート)に及ぶに至り、彼は勇猛果敢かつ抱腹絶倒のレジスタンスを開始。それがどういうわけかヒンケル総統の替え玉を演じさせられることになる展開の妙、素晴らしいギャグの数々はとてもここには書ききれない。ただ目をみはるのは、かの風船状の地球儀と戯れる場面の前に見られるような狂人ヒンケルを“神”としようとする勢力の存在の示唆だ。独裁者の孤独をも憐れみをもって表現する、作者が得た神の視点といったものを感じさせる。傑作という言葉では当然その意義を言い尽くせない神話的作品だ。
当時の作品に対する批評は散々だった!!
台頭著しいナチの独裁者ヒトラーを徹底的に笑いものにした勇気ある作品であり、三部門にノミネート(作品賞、主演男優、助演男優賞)されたが、「赤狩り」(共産主義者排斥運動)の影響もあり無冠に終る。
ちなみに、同年のアカデミー賞受賞作品は、アルフレッド・ヒッチコックが監督し、ジョーン・フォンテイン、ローレンス・オリヴィエなどが出演した、『レベッカ』だった。
映画のモデルとなった本人から上映妨害運動を受けた映画『市民ケーン』

『市民ケーン』のポスター
“バラのつぼみ”の意味とは??
新聞王ケーンが、“バラのつぼみ”という謎の言葉を残して死んだ。新聞記者のトンプソンは、その言葉の意味を求めて、生前のケーンを知る人物にあたるが……。様々な人物の証言から、新聞界に君臨した男の実像が浮かび上がる、斬新な構成と演出で評判を呼んだ、ウェルズ弱冠25歳の処女作。決して時代の動乱に翻弄された訳でもなく、運にも才気にも恵まれ、望む物全て手に入れることが出来たはずなのに、虚無に囚われたまま、結局、何一つ得ることのできなかった哀れな男の生涯。人生を誤った敗北者の虚しい姿が、ラストで明かされる“バラのつぼみ”の正体によって、観る者の胸をえぐるが如く、赤裸々に浮かび上がる。
”新聞”という第4権力にメスを入れようとした!?
主人公のケーンが実在の新聞王ウィリアム・ランドルフ・ハーストをモデルにしていたことから、ハースト自身によって上映妨害運動が展開され、第14回アカデミー賞では作品賞など9部門にノミネートされながら、脚本賞のみの受賞にとどまった。しかし、通常の時間配列を無視した大胆な構成や、パン・フォーカス、長回し、ローアングルを多用した斬新な映像表現などにより、現在に至るまで世界映画史上のベストワンとして高く評価されている。
言論界を敵に回すと恐ろしいですね!!。放送界を含めて言論界は第4の権力とも言うそうです。
ちなみに、同年のアカデミー賞受賞作品は、ジョン・フォードが監督し、ウォルター・ピジョン、モーリン・オハラなどが出演した、『わが谷は緑なりき』だった。
大元が映画からだった『雨に唄えば』!!?

『雨に唄えば』の一場面
サイレントからトーキーへ移行した際のドタバタを風刺する描写!!
トーキーの出現でハリウッドは大騒動。それまでスターだったリナ(ジーン・ヘイゲン)もその悪声から将来が危ぶまれる。パートナーのドン(ジーン・ケリー)はリナの吹き替えに採用されたキャシー(デビー・レイノルズ)に目をつけ、親友のコズモ(ドナルド・オコナー)と一緒に、彼女を次代のスターに担ぎ出そうとする。サイレントから新たなる時代に突入した映画界の楽屋裏を軸に、ジーン・ケリーとデビー・レイノルズのロマンスを描いた名作ミュージカル。
監督の知名度??
どしゃ降りの雨の中、『雨に唄えば』をケリーが歌い踊るシーンは今さら説明のないほどの名シーンだが、それ以外にもケリー、オコナー、レイノルズの3人が陽気に歌う『グッドモーニング』など数々のナンバーが楽しめる。
ちなみに、同年のアカデミー賞受賞作品は、セシル・B・デミルが監督し、ベティ・ハットン、コーネル・ワイルドなどが出演した、『地上最大のショウ』だった。監督の名声に負けてしまったようですね。
日本の股旅時代劇と共通する西部劇映画『シェ-ン』 !!
![『シェーン』(Shane)は、1953年公開のアメリカ映画である。パラマウント映画製作・配給。監督はジョージ・スティーヴンス、主演はアラン・ラッド。カラー、118分。
ジャック・シェーファーの小説の映画版。映画批評家のアンドレ・バザンは「sur-Western(新たな西部劇)」と位置づけ[2]、普及したばかりのシネマスコープで西部の風景を壮大に描き、興行的にも成功した。第26回アカデミー賞で撮影賞(カラー部門)を受賞。](/assets/loading-white-036a89e74d12e2370818d8c3c529c859a6fee8fc9cdb71ed2771bae412866e0b.png)
『シェーン』の一場面
孤独なガンマンとワイオミングの美しい山間風景の相対!!
舞台は緑麗しいワイオミングの高原地帯。流れ者のガンマンが縁あって開拓移民のスターレット一家に厄介となる、旅人シェーン。折しも、この地では開拓移民と牧畜業者の間で土地をめぐる諍いが起こっていた。やがて、スターレット一家にもその騒動が飛び火してきた時、世話を受けていたシェーンは、彼らの間に割って入っていく……。西部の股旅物としてはまことにオーソドックスな展開なるも、全てのスタッフ・キャストによる奇跡のコラボレーションがこの名作を造りあげた。風景描写・人物描写共に丹念かつリアルな演出を施した監督のG・スティーヴンス。J・シェーファーの原作を基に、あくまでも子供の視点から物語を構築させ、英雄譚と人情劇を融合させた脚本。ワイオミングの美しい山間風景の中にキャラクターを確実に捉えた撮影。そして、主題曲『遥かなる山の呼び声』の余韻も忘れ難い、調べの数々。シェーンに扮するA・ラッドは一世一代と言っていい快演を見せ、その早撃ちシーンと相俟って観客に永遠に記憶されるであろう主人公となり、一家の父=V・ヘフリンと母=J・アーサー、この映画の語り手でもある少年ジョイ=B・D・ワイルドも正に適役。そして、実は少ない登場シーンながらも強烈なインパクトを残して消えていくJ・パランスの黒づくめのガンマン。語るべき要素は枚挙に暇がない。優れた西部劇は少なくないが、ここまで多くの人に愛された作品はそうあるものではない。大衆性と娯楽性の両方を持ち合わせているからこそポピュラーとなるのだ。それは10年以上経ってから、同名のTVシリーズ(主演はデヴィッド・キャラダイン)になった事でも明らかであろう。
「シェーン!! カムバック!!」は当時の流行語になる!!
シェーンが家に来てから彼を慕い、憧れていたジョーイは犬とともに酒場まで追いかけてきたのだったが、傷ついた身体を心配して一緒に家に帰ろうと呼びかけるジョーイに、シェーンはもう戻れないと言って、馬に跨りワイオミングの山へと去っていった。必死に呼びかけるジョーイの声はやがて「シェーン!! カムバック!!」と山にこだまするのであった。
あまりにも有名なフレーズは当時の日本で、流行語にもなった。
この映画もなぜアカデミー賞作品賞を逃したのか、まったく理解できない。
ちなみに、同年のアカデミー賞受賞作品は、フレッド・ジンネマンが監督し、バート・ランカスター、モンゴメリー・クリフトなどが出演した、『地上より永遠に』だった。気持的には、アラン・ラッドの演技が若干弱いような感じがするのだが、まさかそんな理由ではないでしょう!!?
ミステリースリラーの最高峰の一つとして数えられる『裏窓』

『裏窓』の一場面
趣味は”のぞき”!?
カメラマンのジェフ(J・スチュワート)は足を骨折し、ニューヨークはグリニッチ・ヴィレッジのアパートで療養中、身動きの取れない彼にとって退屈しのぎの楽しみは、窓から見える中庭と向いのアパートの住人たちを眺める事だけ。だが、その中で、セールスマンの夫(R・バー)と激しい口論をしていた病床の妻の姿が見えなくなった事に気づいた。セールスマンの様子を窺う内に、ジェフはその男が女房を殺したのではないかと推測、恋人のリザ(G・ケリー)と看護人ステラ(T・リッター)の協力を得て調査を始めるのだが・・・。
グレース・ケリーのため息が出るほどの美しさも見物の一つ!!
全編ほとんど、ジェフの部屋から出ることのないカメラは、観客と主人公を完全に一体化させる効果を生み、緊迫感とリアリティを作り出している。そして主人公が“動けない”という究極のハンディキャップ。小出しのサスペンスが重ねられ、やがて疑っている相手がこちらを意識した時に、その波は最高潮に達する。しかし、ヒッチコックの妙味はサスペンス部分だけではない。冒頭、ジェフがカメラマンであり、どういう事故に遭った事かなどを1カットで説明する辺りにもそれは発揮されており、向かい側のアパートの住人たちの点描などもユーモアを交えた巧みな作り方である。さすがヒッチコック先生。スチュワートの個性、リッターの達者な芝居も見どころだが、ケリーのため息が出るほどの美しさは特筆ものだ。
この映画はアカデミー賞では無冠だったものの、ニューヨーク映画批評家協会賞の主演女優賞にグレース・ケリーが受賞している。
ちなみに、同年のアカデミー賞受賞作品は、エリア・カザンが監督し、マーロン・ブランド、エヴァ・マリー・セイントなどが出演した、『波止場』だった。
世代間の断絶や葛藤を描いた作品の代表作である『理由なき反抗』

『理由なき反抗』の一場面
元祖”やんちゃ”映画!?
酔った17歳の少年ジム(ジェームズ・ディーン)が警官に捕まった。その晩に起こった集団暴行事件の容疑者として警察に連行された彼は、そこで美しいジュディ(ナタリー・ウッド)と、まだ子供のようなプラトー(サル・ミネオ)と知り合う。間もなく二人は帰宅を許され、ジムも温情ある少年保護係のレイ(エドワード・プラット)主任の取り計らいで帰ることができたが、この三人の出会いは、やがて彼らの持つやり場のない苛立ちを露呈する事件へと結びついてゆく・・・。
”アウトロー映画”はまだ早かったのか??
ハイ・ティーンの持つ、社会や大人といったものに対する漠然とした苛立ちを、巧みな心理描写、繊細なタッチで描いた秀作。映画の主人公のキャラクターと主演のディーンとが、見事にダブっていて印象深い。
ちなみに、同年のアカデミー賞受賞作品は、デルバート・マンが監督し、アーネスト・ボーグナイン、ベッツィ・ブレアロッド・スタイガーなどが出演した、『マーティ』だった。この映画は前年にテレビドラマが全米でヒットし、作成されたため、人気を独占された。
どうも『理由なき反抗』のような”アウトロー映画”に対しては、当時の米国で受け入れずらかったのではないか!?