7対29の歴史的敗戦。
東海大山形 001 000 015= 7 PL学園 254 362 52X=29
http://www.plus-blog.sportsnavi.com/maniac/article/41PL学園の甲子園成績を振り返る(第2回 最強PL時代) | マニアック高校野球倶楽部 | スポーツナビ+
東海大山形高校 傷だらけのエース。

山形県大会で強力なライバル、日大山形を決勝で7-6で破り、晴れて1985年の甲子園出場を果たした東海大山形高校ですが、よりにもよって甲子園での相手は、現在でも史上最強とも言われるPL学園。
しかも、エースの藤原投手はこの時故障を抱えていました。
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どんな試合だったのか。

PL学園 初回からホームラン
1985【記録ずくめ】PL学園×東海大山形 - YouTube
初回から、ホームランを打たれ、東海大山形の地獄の1ページが始まります。
ホームラン連発ではなく、つなぐ野球で点を取られた。

ヒットが止まらない
1985【記録ずくめ】PL学園×東海大山形 - YouTube
asahi.com:PL、震撼させた記録破りの猛打 - 第87回全国高校野球選手権大会「記録が語る大会史」
この年は、「桑田・清原のいたKKコンビのPL学園」とひとくくりにされがちですが、この試合に関しては、清原だけで取ったわけではなく、ナインのヒットに次ぐヒットで得点を重ねていったという試合だったのですね。

20点取ってもまだセーフティーバントを決めるPL学園。
1985【記録ずくめ】PL学園×東海大山形 - YouTube
東海大山形がだらしなかったわけではない。

東海大山形の一番右上の数字に注目。
1985【記録ずくめ】PL学園×東海大山形 - YouTube
この後、惜しくもエラーが出てしまうのですが、7回まで、両チームのエラーは「0」です。これだけの点差がついても、両チームともだれることなく、真摯にプレーをしていたことがうかがえます。
最終回は桑田投手に替わって「清原投手」。

清原「投手」。
1985【記録ずくめ】PL学園×東海大山形 - YouTube
なんと、清原が「投手」に。
これを単に見ただけでは、「あまりにもスコアが開きすぎて、PL学園は遊びに出た」という非難がありますが、どうもそうではなさそうです。
この点差があるので、さすがに桑田投手を温存したかったのか、あるいは桑田がなんらかの不調があったのかはわかりませんが、桑田を降板させ、2番手の投手を送ります。
しかし、この投手が東海大山形打線に捕まります。
この点差でも最後まで野球を続けようという、東海大山形の打線には敬意です。
そのため、収拾がつかなくなり、PL学園はあわてて、かつて投手経験のあった清原を投手として送ったという説が有力です。
そして、清原投手から押し出し四球を出させ、PL学園から7点の得点を、東海大山形はもぎ取ります。
この試合でPL学園が作った記録

29点、毎回得点。
1985【記録ずくめ】PL学園×東海大山形 - YouTube
この試合が後世にもたらした意味。
テレビだけ見ていては、山形県に住んでいる人、山形県出身の人はあまりの負けっぷりに情けなくなった人も多かったのではないかと思います。
県議会にまでこの議題が上がったというのもわかります。
山形県を含む東北地方だけは、長い高校野球の歴史で、今まで一度も全国制覇をした県がありません。
あのダルビッシュ投手を擁した東北高校、大谷翔平選手を擁した花巻東高校など、非常に有力な高校がありながら、決勝までは何度もいきながら、どうしても深紅の大優勝旗は「白河の関」を超えることができていません。

大谷翔平選手
大谷翔平 - Wikipedia

ダルビッシュ有投手
ダルビッシュ有 - Wikipedia
東海大山形・藤原投手について。
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非情なまでに容赦なく得点をもぎ取ったPL学園。しかし、決して相手を見下すことなどなく、相手のことを気遣う桑田投手。おそらく桑田投手以外の選手も、同じ気持ちだったと思います。7回まで両チームのエラーが0というのが、大差がつきながら引き締まった試合だったのを物語っています。
また、夏の高校野球の季節がやってきます。