’60年代初期は私の好きな歴史スペクタクル映画の宝庫だ!!

フランス革命の裏側を描いた歴史劇「マリー・アントワネットに別れをつげて」の一場面
1960年も暮れようとする頃、公開された『スパルタカス』(1960)!!

『スパルタカス』(Spartacus)
物語としては、紀元前1世紀、ローマ共和国が隆盛を誇っていた頃――奴隷のスパルタカス(カーク・ダグラス)はバタイアタス(ピーター・ユスチノフ)の剣闘士養成所に売られた。彼はそこで女奴隷バリニア(ジーン・シモンズ)を知った。ローマの名将クラサス(ローレンス・オリヴィエ)がバタイアスを訪ねた。バタイアスは余興にスパルタカスと親友の黒人奴隷ドラバとの真剣勝負を命じた。ドラバは試合に勝ったが、スパルタカスを殺さずクラサスに襲いかかったが殺された。クラサスはバリニアを買い本国に送れと命じた。スパルタカスは悲しんだ。彼は同僚クリクサスと共謀して反乱を起した。首領スパルタカスと奴隷の集団は、つぎつぎに貴族の所領を襲い奴隷を解放し、ベスビアスの山腹に大奴隷軍の本拠をかまえた。バリニアも愛するスパルタカスのもとに戻ってきた。ローマの政界ではクラサスとグラッカス(チャールズ・ロートン)が主動権を争っていた。グラッカスはクラサスの勢力を駆逐するため、彼の部下グラブラス(ジョン・ドール)のローマ警備隊を奴隷軍攻撃に派遣し、かわりに友人ジュリアス・シーザー(ジョン・ギャビン)を守備隊長に任命した。奴隷軍はグラブラスを撃滅し、グラブラスは単身逃げ戻った。クラサスは責任をとって引退した。奴隷軍は南海岸に迫った。グラッカスはクラサスに再起を頼み、クラサスは成功したら執政官になることを条件に引き受けた。スパルタカスは元クラサスの召使アントナイナス(トニー・カーティス)を参謀にした。彼の悲願は奴隷を解放することで、沿岸の海賊と奴隷送還の契約をした。これを知ったクラサスは海賊を買収し、奴隷軍の後方に味方を上陸させた。奴隷軍は海賊の裏切りと前後の敵に挟まれ、スパルタカスはローマへの進撃を命じた。カプア近郊の大平原で両軍は戦火を交えた。一時は優勢だった奴隷軍は逆転された。バリニアは再びクラサスの奴隷になった。スパルタカスはアントナイナスと決闘を命じられた。しかも勝ったものははりつけになるという。2人は涙をのんで戦い、アントナイナスは死に、スパルタカスは城門の外の十字架にかけられた。独裁者クラサスにも悩みはあった。バリニアは貞節を守り、クラサスの意に敢然として従わなかった。失脚したグラッカスはクラサスの弱点をつき、バタイアスに命じてバリニア母子を誘拐させた。彼は最後の職権を行使して、母子を解放し自由を与え、国外に逃してやり、自分は自殺した。バタイアスはバリニア母子と戦車に乗って城門を出た。スパルタカスは十字架の上でまだ生きていた。十字架の下に立ったバリニアは子供を高くさし上げ、自由になったことを知らせた。死の直前に、妻子の自由になったことを知ったスパルタカスは、昇る朝日に向かって走り去る戦車を、いつまでもいつまでもみつめていた。
作品は3時間を越える大作ですが、全然飽きを感じさせないワクワク感がありました。
『スパルタカス』出演陣の横顔紹介

カーク・ダグラス(Kirk Douglas)

ローレンス・オリヴィエ(Sir Laurence Kerr Olivier)

ピーター・アレクサンダー・ユスティノフ(Sir Peter Alexander Ustinov)
後の「ミッション・インポッシブル」に通じるものがある『ナバロンの要塞』(1961)

『ナバロンの要塞』(THE GUNS OF NAVARONE)
物語としては、1943年の第二次大戦下のエーゲ海。ケロス島に取り残されたイギリス兵2000人の救出作戦は、困難を極めていた。ドイツ軍の誇る、ナバロン島の2門の巨砲が、エーゲ海を行き交うイギリス艦隊を待ち受けていたのだ。
連合軍は、ドイツ軍の作戦を1週間前に察知していたため、その後の6日間が、運命を決する日々となる・・・。
登山家キース・マロリー大尉(グレゴリー・ペック)を含めた5人の男達が、イギリス艦隊を守るため、ドイツ軍の誇るナバロン島の2門の巨砲の破壊に向かう。
悪天候で物資を失い、負傷者を出し、スパイの妨害に遭いながらも目的地に達したマロリーらは、イギリス艦隊が迫る中、難攻不落の要塞に侵入する・・・。
成功の可能性がない、難攻不落の要塞破壊作戦に、一癖ある精鋭達が命をかけて立ち向うという、戦争映画としては、当時空前のスケールで製作された超大作で、戦争をテーマにした作品ではあるが、サスペンス・アクションとしても、映画史上に残るの傑作。
戦争映画の迫力に加え、多彩な登場人物の人物描写、推理とサスペンスも入り混じる、娯楽の要素が満載されたストーリーは、切れのいいJ・リー・トンプソンの演出で、見事な仕上がりを見せている。
第34回アカデミー賞では、作品賞をはじめ6部門にノミネートされ、特殊効果賞を受賞した。
『ナバロンの要塞』出演陣の横顔紹介

エルドレッド・グレゴリー・ペック(Eldred Gregory Peck)


アンソニー・クイン(Anthony Quinn)
シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を元にした同名のブロードウェイ・ミュージカルの映画化作品が登場(1961)!!

『ウエスト・サイド物語』(West Side Story)
物語の舞台は1950年代のニューヨーク・ウェストサイド。若者で溢れるこの街でポーランド系アメリカ人の少年非行グループジェット団とプエルトリコ系アメリカ人の少年非行グループシャーク団が毎日のように勢力争いを繰り広げていました。
きっかけさえあれば今にも爆発しそうな空気のなかでのダンスパーティー、そこで一目で愛し合うようになった二人、マリア(ナタリー・ウッド)はシャーク団の首領ベルナルド(ジョージ・チャキリス)の妹であり、トニー(リチャード・ベイマー)はジェット団の首領リフ(ラス・タンブリン)の親友だった。しかし、ジェット団とシャーク団はついにぶつかってしまった。マリアの必死の願いにトニーは両者の間に飛びこんで行ったが、血気にはやる彼らはトニーの言葉に耳をかそうとしなかった。そしてリフはベルナルドに刺されて死んだ。親友リフの死に我を忘れたトニーはベルナルドを殺してしまった。ベルナルドの恋人アニタ(リタ・モレノ)に責められてもトニーを忘れられないマリアは、トニーの高飛びに同意する。シャーク団のひとりチノはベルナルドの仇を打とうとトニーをつけ狙い、警察の手ものびてくる。アニタはマリアの愛の深さを知り、トニーと連絡をとるために街へ出ていくがジェット団に倒された怒りからマリアはチノに殺されたと言ってしまう。絶望して夜の町へ飛び出したトニーの前へ拳銃を構えたチノが現れた。急を聞いて来たマリアの腕の中で、トニーは絶命してしまった。
『ウエスト・サイド物語』出演陣の横顔紹介

ナタリー・ウッド(Natalie Wood)

リチャード・ベイマー(Richard Beymer)

ジョージ・チャキリス(George Chakiris)
年が明けた1962年は歴史超大作が3本も公開される!!
まずは、『エル・シド』ですね!!

『エル・シド』(El Cid)
物語としては、狂信的な回教徒ベン・ユーサフ(ハーバート・ロム)は、アフリカからヨーロッパ侵略の機会を窺っていた。彼はムーア人の諸公を煽動しては、カスティール国境の村を脅かした。ある小競り合いの折、ムーア人の大公たちはカスティールの若き武将ロドリーゴ(チャールトン・ヘストン)に捕らえられたが、彼の思いやりから全員釈放された。感激した大公の1人は彼にエル・シドの称号を贈った。だが、ムーア人を釈放したことから、彼は王をはじめ恋人シメン(ソフィア・ローレン)からさえ非難を受けた。そのことでエル・シドと争ったシメンの父ゴルマスは、彼の剣にかかって死んだ。息をひきとる父から復讐を頼まれたシメンは苦しんだが、父を殺された憎しみは愛を押し流すのだった。それからのエル・シドは、戦うごとに勝利を勝ち取り勇名を馳せるのだったが、ことごとにシメンが自分をおとし入れようとするのを知り心が重かった。だが、シメンを思いきれないエル・シドは、王に彼女との結婚を願い出た。婚儀の日、心を固く閉ざしたままのシメンは夫にすべてを許さないことこそ復讐と、翌朝修道院へこもってしまった。そのころ、王の急逝により王子サンチョとアルフォンソ(ジョン・フレイザー)の間で王位継承の争いが起こった。やがて王位に就いたアルフォンソは、事の真相を知るエル・シドを追放しようとはかった。追われたエル・シドは寂しく城を旅立ったが、彼の偉大さを知ったシメンは後を追った。それから数年、エル・シドは再び勇将として返り咲いた。一方、バレンシアでは、ベン・ユーサフが侵略に余念がなくアルフォンソ王にも挑戦してきた。旗色の悪くなった王は、エル・シドを呼び戻した。彼の働きでバレンシアは陥落し、エル・シドはバレンシアの大公から王冠を受けた。城外ではベン・ユーサフの率いる一隊が待ちかまえていた。やがてエル・シドの軍と戦闘が始まり、愛馬にまたがり指揮するエル・シドは胸に矢を受けた。英雄エル・シドはついに生涯を閉じたのだが、その翌朝馬上にまたがる彼の勇姿をみた敵は浮足立った。彼の遺言により死体が馬上にすえられていたのだ。かくて戦いは勝利に終わり、スペインの国土からは侵略者が一掃された。そして、エル・シドの名は歴史の流れに輝かしく残ったのであった。
普段、私たちはスペインの歴史などに触れたことすらなかったのだから、子供心にもそれは新鮮に写ったと思います。
『エル・シド』出演陣の横顔紹介

チャールトン・ヘストン(Charlton Heston)
![ソフィア・ローレン(Sophia Loren イタリア語: [soˈfiːa ˈlɔːren], 英語: [soʊˈfiːə ləˈrɛn], 1934年9月20日 - )は、イタリアの代表的な女優である。アレッサンドラ・ムッソリーニは彼女の妹アンナ・マリアの娘である。
本名はソフィア・ヴィラーニ・シコローネ(Sofia Villani Scicolone)。母妹と共にナポリで貧しい生活を送る。当時から素晴らしいプロポーションだったが50年、“海の女王コンテスト”で12人の中に選ばれ、その賞金で演劇学校に通う。その後残りの賞金でローマに移住。同年「クォ・ヴァディス」で映画デビュー(エキストラ)。しかし依然生活は厳しく、ヌードで映画出演したり、モデルになったりしていた。だが次第に運も味方につき、「ナポリの饗宴」に出演してイタリアで火が着き始め、55年「河の女」の野性的な魅力で世界的にも名前が知られるようになる。そしてそれを見たスタンリー・クレーマーによって57年「誇りと情熱」でハリウッドデビュー。以降、演技面でも実力を発揮して数々の賞を受賞。イタリアを代表する大女優となった。現在でもその美貌は決して失われてはいない。57年、下積みの頃から知り合いであり、良きアドバイザーだったプロデューサーのカルロ・ポンティとメキシコで結婚。しかしローマ・カトリックの布教されていないメキシコでの、既婚者だったカルロの離婚と結婚を教会は許可せず、逆にカルロを重婚罪で告訴、戸籍上は不成立となった。その後長い同棲生活の末、66年パリで結婚成立。イタリアの上告裁判でも重婚罪は却下された。以降二人とイタリアの関係はあまり良くないと言われている。68年に長男、73年に次男を出産している。
私は彼女の映画と言えば、『エル・シド』も勿論印象深いのですが、1970年の『ひまわり』が一番印象に残っています。](/assets/loading-white-036a89e74d12e2370818d8c3c529c859a6fee8fc9cdb71ed2771bae412866e0b.png)
ソフィア・ローレン(Sophia Loren)
次に、『西部開拓史』ですね!!
出演陣や製作スタッフの超~豪華さにぶっ飛んだ映画「西部開拓史(How the West Was Won)」は私の映画概念を完全崩壊させた - Middle Edge(ミドルエッジ)
’62年の最後の超大作は『史上最大の作戦』だ!!!

『史上最大の作戦』(The Longest Day)
物語としては、1944年6月、フランス、ノルマンディー。第二次世界大戦は佳境に差しかかろうとしていた。この地では、司令官ロンメル率いるドイツ軍が、英仏海峡を挟んで戦機をうかがう連合軍の攻撃に備えている。敵には人数で圧倒されているが、天候を味方につけて堅固な防御態勢を敷いていた。一方英国では、アイゼンハワー司令官率いる連合軍が、ノルマンディー上陸作戦の日であるDデイを何日にするか最終的に絞り込んでいた。こうして6月6日の早朝、連合軍の空挺部隊が降下したのを皮切りに、いよいよ熾烈を極めた上陸作戦が始まるのだった…。
1944年6月6日、連合軍によるノルマンディー上陸作戦に材を取ったコーネリアス・ライアンのノンフィクションを基に、名プロデューサー、ダリル・F・ザナックが製作費36億を投じて作り上げた一大戦争パノラマ。米・英・仏・独のトップスター総出演と、大画面いっぱいに展開される戦場の再現は、映画的興奮に満ち溢れ、至福と驚嘆の3時間である。
ラストの上陸シーン空撮は何回見ても”凄い”の一言だ。特に飛行機で上空から見たシーンは圧巻である。今ならCGでコピペしてこの映像を作っちゃうのかな~といらんことも考えたりします。これだけカネがあるのに、どうしてカラーフィルムで撮らなかったのかは不思議であるという人々もいるのであるが、私個人の意見としては、戦争という”惨たらしさ”を薄め、”虚しさ”や”空虚感”を強調するために、わざと白黒にしたのではなのかと思っている。さて、真相は??。
この映画に出演した”スター級俳優”があまりにも多いため、ここでは、その中でも”超”が二つ程付くスター級俳優を紹介することとしよう。
『史上最大の作戦』出演陣の横顔紹介

ジョン・ウェイン(John Wayne)

ロバート・ミッチャム(Robert Mitchum)

ショーン・コネリー(Sir Thomas Sean Connery)
1963年も歴史物超大作の嵐だった!!
’63年夏に『大脱走』が公開

『大脱走』(だいだっそう、原題: The Great Escape)
物語としては、第二次大戦中、ドイツ軍は各地に捕虜収容所を設置し連合軍の捕虜を収容していたが彼らの脱走による後方支援に戦況は混乱していた。そこで建設されたのが脱走不可能といわれるルフト第三空軍捕虜収容所であり、そこに「脱獄王」との異名をとるヒルツ(スティーブ・マックイーン)ら他の収容所からの脱走の常習者が移送されてきた。ルフト第三空軍捕虜収容所は監視がしやすい広い敷地に作られており、最も近い森までは最低でも100メートルもの距離があるという立地。しかも周囲は鉄条網に覆われ常に歩哨が監視にあたっている。捕虜のひとりで「ビッグX」と呼ばれる大物・バートレット(リチャード・アッテンボロー)は収容所の地下にトンネルを掘って250名もの捕虜を脱走させる計画を立てる。ヒルツも加わり脱走計画が始まった・・・!
その題材の面白さもさることながら、見せ場に次ぐ見せ場を盛り込んだ脚色と、ダイナミックな演出によって類稀な娯楽作品になっている。特に、公開時にスティーブ・マックイーンがドイツ軍から奪い取ったバイクで草原を疾走するシーンがその爽快さとともに話題となり、この映画の代表的なシーンとしてその後長く記憶されている。
『大脱走』出演陣の横顔紹介

テレンス・スティーブン「スティーブ」マックイーン(Terence Steven "Steve" McQueen)


チャールズ・ブロンソン(Charles Bronson)
’63年の年末は二本の歴史超大作が封切され、最初に『クレオパトラ』が観客獲得で先行逃げ切りを図る!!

『クレオパトラ』(Cleopatra)
物語としては、皆様もよ~くご存知のはずです。最後にはクレオパトラはコブラに噛まれて人生を終えます。

『クレオパトラ』の一場面
『クレオパトラ』出演陣の横顔紹介

エリザベス・テイラー(Elizabeth Taylor)

リチャード・バートン,CBE(Richard Burton,CBE)

レックス・ハリソン(Rex Harrison)
’63年の年末にはもう一本の歴史超大作が封切られた。その名も『アラビアのローレンス』!!

『アラビアのローレンス』(Lawrence of Arabia)

『アラビアのローレンス』(Lawrence of Arabia)あらすじ
『アラビアのローレンス』出演陣の横顔紹介

ピーター・オトゥール(Peter O'Toole)

オマー・シャリフ(Omar Sharif)