挫折から立ち直るべく、全女の松永会長に会いに行き頭を下げて出戻りさせてもらった高橋選手。
代落ちして(翌年オーディションに受かった選手たちと一緒に)やり直したものの、さすがに出戻りの彼女に対して先輩の態度は厳しかったそうです。
ミド編)デビューまで紆余曲折の道でした、でも若くして随分一本気なところがあったのですね!
ミド編)いまはプロレス団体「SEAdLINNNG」社長としてのお立場や役割もおありですしね。
プロテスト後の紆余曲折はあったものの、若干17歳にしての全女マットデビューでした。
全女時代、プロレスラーとしての責任感
ミド編)プロレスラーになるまでの強い意志や現在のお立場などから、昔から強い責任感をお持ちなのだと感じてしまいます。入門後の挫折も意外に思いました。
2004年、全女最強の象徴「赤いベルト」(WWWA世界シングル王座)を戴冠!
2004年、ついに全女最強の象徴「赤いベルト」を戴冠した高橋選手。
ところがその栄冠の代償か、右膝のじん帯断裂という大ケガをしてしまうことに…。
ベルト返上、手術からリハビリの間に全日本女子プロレスが解散…
「あの時の悔しい思いがあったからプロレスを続けたのかもしれない。」
結局、2005年はほとんどリハビリに費やしたという高橋選手。
でもここから彼女のプロレス人生は、更にそのフィールドを拡げていくこととなります。
フリーも経験しながら2度のプロレス団体旗揚げに参画
2006年、プロレス団体「プロレスリングSUN」旗揚げ
「全女」という看板を背負って闘ってきたが故、新たなスタイルを確立する苦悩。
新団体の「顔」である一方、闘いの幅を拡げるための努力。
この後、フリーを経て2011年にプロレス団体「スターダム」旗揚げに参画した高橋選手は同年、自身のデビュー15周年記念大会で「初代ワールド・オブ・スターダム王座」(通称「赤いベルト」)を戴冠。
2015年には同団体を退団し、自身が代表取締役社長を務めるプロレス団体「SEAdLINNNG」を設立します。
2015年、プロレス団体「SEAdLINNNG」設立、代表取締役社長に就任
ミド編)2015年にSEAdLINNNG立ち上げておよそ2年間が過ぎましたが、これまでの団体経営を振り返っていかがでしょうか?
プロレスがどんどん好きになっています!
ミド編)団体経営を始めてから更にプロレスを楽しんでいらっしゃるように見えます。