1970年代の子供の遊び

1970年代の子供の遊び

70年代と80年代の決定的な違いはゲームの普及でしょう。70年代は外遊びが中心でした。遊びの価値観が大きく変動していく高度経済成長の終了とファミコン(1983年)普及前であった70年代の子供の遊びをざっくりと振り返ってみましょう。


1970年代に全国各地に広まった「カプセルトイ」(当時の俗称は「ガチャガチャ」もしくは「ガシャガシャ」)の流行。当時は20円。

日本には1965年にアメリカから輸入され、1970年代に全国各地に広まった。

初期は10円機が主流で、73年のオイルショックを機に20円以上が登場したという。

ガチャガチャにも73年のオイルショックの影響が出ていたようです。20円になったのは、そこからなんですね。

駄菓子屋やおもちゃ屋やスーパーなどで「20円のガチャガチャ」を楽しみました。

1980年代半ばから消えていった「20円のガチャガチャ」。現代のカプセルトイは、各社が「大人向けの商品開発」で活路を見いだしている。

駄菓子屋の店舗は小学校の近くにあることが多く、学校や塾の帰り道に立ち寄るように、何かのついでに寄ることができた。

当時は子供が何かのお手伝い数回分で貰ったお駄賃を握り締めて行けば、1~2時間は面白おかしく楽しめるだけのお菓子・玩具が買えた。

1980年代以前、子供たちの社交場・文化基盤となっていた「駄菓子屋」

埼玉県川越市元町(末広町との区域境近く)。自営の小規模な製造業者の直売で、軒を連ねている。

埼玉県川越市の「菓子屋横丁」

野原・草原・河川敷・近所の空き地で遊ぶ(日本の場合「草原」と呼べる地帯は激減を続けている)

70年代には近所の広い野原や空き地で、駄玩具などを投げる・飛ばして遊ぶ

時間がゆっくり流れた平和で穏やかな時代。

私もこのライトプレーンを作って飛ばしましたが、子供では作るのが大変だったかもしれません。

ゴム動力の竹ひごの模型飛行機「ライトプレーン」を飛ばす。

ツバメ玩具の「ソフトグライダー」は、ゴム動力なしでも、驚くほどよく飛び、実機をモデルにしてデザイン種類も豊富で、作るのもライトプレーンなどと比べて簡単であり、たちまち飛行機玩具の代名詞となる画期的な商品だった。

また「ソフトグライダー」は、駄菓子屋で発売されていたため、子供たちが気軽に買えたので大ヒットした。

1973年、ツバメ玩具の「ソフトグライダー」が大ヒットした。

ツバメ玩具の「ソフトグライダー」のゴムとばしバージョン

ツバメ玩具の「ソフトグライダー」のプロペラ付

1959年にフリスビー・パイ・カンパニーの "frisbie" のスペルを変えた "frisbee" で商標登録され世界で推計2億枚が売れた。

フリスビー

現代だと危険な遊び扱いとなってしまいます。

ブーメラン(写真上)とパチンコ(写真下)

『秘密戦隊ゴレンジャー』(ひみつせんたいゴレンジャー)は、1975年(昭和50年)4月5日から1977年(昭和52年)3月26日までNET(現・テレビ朝日)系列で毎週土曜19:30 - 20:00(JST)に全84話が放送された、NET・東映制作の特撮テレビドラマ。

明日香 健二(あすか けんじ) / ミドレンジャーの武器のブーメラン(遠近用万能武器ミドメラン)にあこがれた

駄菓子屋で買った「パチンコ」で銀球や石を飛ばしたり、かんしゃく玉(後述)を飛ばす。

懐かしいテレビドラマ「少年探偵団 」(BD7)のパチンコの名人「ゴムカン」にあこがれました。

凧揚げ、羽根つき、書き初め・・・昔は冬の遊びといえば凧揚げが中心でした。1970年代は、凧揚げは日本の冬の風習として残っていたといったところでしょう。

1970年代は、まだ近所に凧揚げができるほどの空き地がいっぱい残っていたのでしょう。

ゲイラカイトが発売される前は、奴凧(やっこだこ)など紙凧が中心でした。

ビニール製三角だこのゲイラカイトは、既存の凧と比べて驚くほど空高く上がりました。

ゲイラカイトの当時の販売価格は750円から1200円でした。戦後、「フラフープ」、「抱っこちゃん」に並ぶ大ヒットとなりました。

日本中の子供たちを夢中にした「ゲイラカイト」(当時の販売価格は750円から1200円・1974年発売開始)を空高く飛ばす。ゲイラカイトはとにかくよく揚がる。

ゲイラカイトが人気になる前は、奴凧(やっこだこ)などが中心。電柱に凧がひっかかるというのもお決まりの行事でした。

駄菓子屋で買ったポリバルーン・バルーンふうせんを飛ばす

「爆竹」もバンバン鳴らしまくりました。

70年代にはスマホはなかったけど、「糸電話」でも友情は深められたし、愛も伝えられました・・・。

70年代は携帯カメラもないけど、「オリガミのパッチン・カメラ」で心で撮影をすることもできた・・・。

草原や野原での昆虫採集に夢中になった

日本の場合「草原」と呼べる地帯は現在、激減を続けていますが、70年代はカマキリがいるような野原・草原などが近所にいっぱいありました。現代だと河川敷が中心になってしまいます。

カマキリ採り

カマキリの巣

トノサマバッタ採り

ショウリョウバッタがよく採れた

トンボ採り

昆虫採集セット

昆虫採集セット

「虫さされ・かゆみ」にはキンカンですね。

ポピーから発売された「超合金マジンガーZ」(1974年)は男の子を中心に大人気となった。

超合金(ちょうごうきん)は、株式会社ポピー(現: バンダイボーイズトイ事業部及びコレクターズ事業部)から1974年2月以降発売されたロボットアニメ・特撮作品のダイキャスト製キャラクター玩具のシリーズブランド名。

1972年末に放映が開始されたテレビアニメ『マジンガーZ』は、パイロットが搭乗して操縦する巨大ロボットものの元祖とされ、さまざまな玩具展開がなされた。その中で特にポピーから発売された超合金マジンガーZは男の子を中心に大人気となった。

ポピーから発売された超合金マジンガーZ

ジャンボマシンダー「マジンガーZ」(1973年ごろ)
ジャンボマシンダー「グレートマジンガー」(1974年ごろ)

子供にとって憧れの存在だった「ジャンボマシンダー」シリーズ(ポピー製)

現代とは違って、道路で遊ぶことは多かった。昔は子供たちの騒音に対して寛容だった。

竹馬

ロウ石で道路に落書きする

駄菓子屋で買った昔懐かしい「ロケット弾」(ジャンプ弾)を道路で鳴らす。

地面にたたきつけたり、踏んだりすると「パン」と大きな音を立ててはじける。

駄菓子屋で買った昔懐かしい「かんしゃく玉」を道路で鳴らす

パチンコでかんしゃく玉を飛ばす遊び。

じゃんけんを行い、勝った者が出した手に応じて進む。

グーで勝った場合 :「グリコ」(一部地方では「グスベリ」)と言いながら3歩進む。

チョキで勝った場合:「チヨコレイト」と言いながら6歩進む。

パーで勝った場合 :「パイナツプル」(一部地方では「パラシュート」)と言いながら6歩進む。

進む際には「グ・リ・コ」と一音節ずつ明確に発声、発声するごとに一歩ずつ進む。

グリコ (遊び)

私の地元だけのネタかもしれませんが、「リングにかけろ」の必殺ブローでコマを投げて回す遊びがありました。

コマが壊れないで回ると成功です。ブーメランスクエアーと叫び、コマを投げる。遠くに投げて
回るほどすごい。

後方に投げて回す技は、大車輪。

こま回し

ホンダコレクションホールに展示されている「ローラースルーGOGO」

ローラースルーGOGO(ローラースルーゴーゴー)とは1974年に日本で発売された乗用玩具。

1974年「ローラースルーGOGO」(ローラースルーゴーゴー)が流行する

ローラースルーGOGO - Wikipedia

ブリヂストン モンテカルロ 1978年発売

どこへ行くにも憧れの多段変速自転車

1975年、コカ・コーラ社によるラッセルヨーヨープロモーション実施

1975年、コカ・コーラ社のプロモーションキットだった「ラッセルヨーヨー」で遊びました。

コカコーラのプロモーションキットだった「バンバンボール」でも遊びましたね!

増田屋コーポレーションが1975年に発売した玩具の「モーラー」

モーラーは、増田屋コーポレーションが1975年に発売した玩具である。発売直後に爆発的なヒットとなり、初年度に200万個を売り上げた。また、あまりの売れ行きから数々の類似品が発売された。その後にブームは衰えたものの、21世紀になっても売れ続けているロングセラー商品である。

当時、みんな持ってた「モーラー」

京都辺りの銭湯でもくまなく探せば見つけられるかもしれませんよ。

ユーミー(youme)は、1967年に塩野香料の後援で誕生した「ユーミー会」が展開していた飲料ブランドです。関東ではなかなか見かけないブランドでした。

70年代の子供のおやつとしては「ハウスのシャービック」は最高峰。1968年にハウス食品から発売開始された40年以上のロングセラー商品。

70年代の銭湯の大定番!明治のゴールド牛乳・フルーツ・イチゴ牛乳・パンピー・メイピス・コーヒー牛乳

公園の遊具で遊ぶ。小学生の時は危ない遊びしまくってましたね。怪我して学ぶ。スポ根的に無茶苦茶な方がむしろ昭和らしかった。

日都産業が初めて造った地球儀型の回るジャングルジムです。

中にみなが入り、吹っ飛ばされないように踏ん張り、とにかく超高速で回す。

回転ジャングルジム(グローブジャングルジム)

回旋塔に頭をぶつけるのは頻繁にあることで、事故数も多く、現在ではほぼ絶滅したようです。

自分の身体的な限界を知ったり、サバイバル能力を高めるために、危険な遊具に立ち向かうのも意義があるものかとは思いますが。

「回旋塔」は危険な遊戯道具ではありましたが、小学生にとって大人気でした。昼休みになると競って回旋塔にダッシュしました。

下の方にいた児童が手を放してしまい、上の方にいた児童が急速落下して骨折するといった事故が多く、現在ではほぼ絶滅したようです。

「ぶら下がり式シーソー」的な遊具が大人気だったのはまさに70年代らしさが出ているところ。

「ぶら下がり式シーソー」はデスマッチ的な危険性があり、子供には人気だった。

うんてい。みなが猿のように頑張った。手が長い人が有利でしたね。

昔はタイヤがよく落ちてた気がします。

タイヤ飛び。当時、運動部のお兄さんたちは、タイヤを引きずってランニングしていましたか。

ブランコ・靴飛ばし。とにかく靴を遠くへ吹っ飛ばす。

スーパーカー消しゴムは当時の男子小学生の間で大流行し1970年代末期にはピークに達した。

ボールペンやシャープペンシルのノック機構を利用して弾き、相手方にぶつけて机の上から落としたりひっくり返したりする「相撲形式」や、床の上で到達順位を競う「レース形式」などがあり、ボールペンでは三菱鉛筆製のBOXYが平面の部分を机に密着できる点で重宝された。

スーパーカーブームに続き、ウルトラマン(怪獣)消しゴムやキン肉マン消しゴムなどの商品も登場した。

玩具メーカーのコスモスが、はずれ商品として自社の自動販売機(20円程度のカプセル式ガチャガチャ)で販売し一大ブームとなった。

『サーキットの狼』(サーキットのおおかみ)は、漫画家の池沢さとしが1975年(昭和50年)から1979年(昭和54年)にかけて「週刊少年ジャンプ」(集英社)に連載した漫画作品。

当時、誕生パーティーで友達を呼ぶのが風習で、70年代のスーパーカーブーム時期は、サーキットの狼シリーズが大量にプレゼントされました。

日東化学のサーキットの狼シリーズが人気に。モーター付で当時400円から500円と安かったからでしょう。

1978年発売 「ポピー(バンダイ) キングザウルスシリーズ」のソフビ人形。ソフビ再ブームの火付けを担った。

1978年から79年にかけてウルトラシリーズの再放送が活発に行われていました。

1978年 ウルトラマンレオ(再放送・月曜日から金曜日・6:25)

ウルトラマンA(1979年(4月)再放送・TBS・月曜日から金曜日・6:20)

1979年・土曜日・7:00から「ウルトラセブン」(1979年(4月)再放送)

ウルトラマン(1979年(10月)再放送・TBS・月曜日から金曜日・6:20)

など。

1978年発売 ポピー キングザウルスシリーズ「ウルトラマンA」

1978年から79年の再放送のウルトラシリーズを見ていた人は、このポピー(当時、超合金などバンダイのキャラクター事業を担当していた)のウルトラシリーズのソフビを沢山持っていたと思います。

1978年発売 ポピー キングザウルスシリーズ 「ウルトラマン・セブン・エース・タロウ・レオ・キング」(バンダイ)

バンダイ(さらば宇宙戦艦ヤマト)宇宙戦艦ヤマト テレサパネル付(1978年ごろ・当時700円) 復刻版希望します!

ゼンマイやモーター駆動による「玩具」色が強かったキャラクター系キットがディスプレイキット主体に転換されるきっかけとなるのが1978年以降の「宇宙戦艦ヤマト」シリーズ。

1978年7月、劇場版「さらば宇宙戦艦ヤマト」公開時に合わせ、テレサ・パネル付き宇宙戦艦ヤマトが発売される。

私が最初に買ったヤマトのプラモデルはこれでした。懐かしいテレサパネル付。

当時700円。デスラー艦、アンドロメダ、超巨大戦艦なども購入しました。

超巨大戦艦も白色彗星・ズォーダー大帝のパネル付でした。

バンダイ(さらば宇宙戦艦ヤマト)宇宙戦艦ヤマト テレサパネル付

超巨大戦艦も白色彗星・ズォーダー大帝のパネル付でした。

宇宙戦艦ヤマトのすごい成功がガンプラのすさまじい成功につながります。

1979年 「宇宙戦艦ヤマト メカコレクションシリーズ」の大ヒット 当時100円。子供の心を鷲づかみにした。

1979年に登場して電動RCバギーというジャンルを確立した「バギーチャンプ」(1979年11月)当時のキット価格は18,000円。

タミヤ 1/10 RC限定シリーズ XB バギーチャンプ (RCメカレスタイプ)

当時としては本格的なオフロードレースが出来る魅力的なモデルであり、国内外でヒットした。

1979年に登場して電動RCバギーというジャンルを確立し、世界的な人気を集めたバギーチャンプ

1979年の春から夏にかけて日本で流布され、社会問題にまで発展した都市伝説「口裂け女」

夜に家族と寂しいところをドライブしている時も、口裂け女が襲ってくるんじゃないかとビクビクしました。それくらい当時、小学生はビビリまくりました。

当時はUFOやオカルト番組も多く、「口裂け女」の噂を大人も否定ができていなかった。

ゼットンやバードン以上に恐ろしかった1979年の「口裂け女」の流行

川原・用水路・水辺で遊ぶ

昔はザリガニが丸見えになっている水の澄んだプレミアムな漁場が近所にいっぱいありました。

近所の水路でザリガニ釣り

ザリガニ釣り

「Hondaキャンプ」サイト
初心者ガイド:キャンプを楽しむヒント集・【昆虫採集入門】タガメの採り方
http://www.honda.co.jp/outdoor/enjoy/insect-collecting03/

「タガメ」と言えば「少年時代絶対捕まえられなかった虫ベスト3」に必ずランキングされる強者な虫ですね。

タガメを捕まえるのは難しかった。

1973年から10年間、『週刊少年マガジン』(講談社)に連載され、当時の看板作品のひとつであった『釣りキチ三平』の影響が大きかったと思います。

小学館入門百科シリーズ3『つり入門』1970年10月

当時のグラスロッドの釣竿は重かった。3メートル以上のグラスロッドとかは小学生には厳しかった。

1978年発行の小学館入門百科シリーズ81『川釣り入門』(小学館刊)

野鯉釣り用の仕掛け「吸い込み仕掛け」

子供も安心して遊べる浅瀬が多いと子供たちが川遊びを満喫できます。

「深沢渓自然人村」(東京都) 川辺に家族と川遊び・キャンプに行きましたね。

キャンプ場の隣を流れる栗原川では水がとてもキレイ。浅瀬が多いので小さなお子様でも水遊びができます。

「グリーンパーク吹割」(群馬県)

森林で遊ぶ・森林での昆虫採集

夏は、セミ、カブトムシ、ノコギリクワガタ、ヒラタクワガタ、コクワガタ、カナブン、カミキリムシなどの昆虫採集に夢中になりました。

懐かしい昆虫採集を目的のひとつとしたキャンプという選択も。

第2キャンプ場奥の多目的広場に、「昆虫の森」を擁していて、コクワガタをはじめとするクワガタを中心に採集できる。

「黒木キャンプ場」岡山県津山市加茂町黒木646-9

「昆虫の森」でカブト&クワガタをゲットしよう。

週刊ジャンプなども初めて見たのは森の中だった。

森の中で、「リングにかけろ」のギリシア12神のゼウスとの戦いの紙面が私の週刊ジャンプとの初めての出会いでした。

森でエロ本をこっそり見る。

1979年「インベーダーゲーム」の流行。喫茶店やスナックのテーブルの多くがインベーダーゲーム用のテーブルに変わった。

長崎のハウステンボスで常設展示が始まったゲームミュージアムより。

1970年代のゲーム喫茶を再現した『UFOゲーム喫茶』(長崎のハウステンボス)

長崎のハウステンボスで常設展示が始まったゲームミュージアムより。

ビンのコカコーラにナポリタン。昭和の喫茶店ムードがいっぱい。

1980年、電子ゲーム(LSIゲーム・LCD)の流行へ

懐かしい電子ゲーム:LSIゲームとLCDゲームを振り返ります。クレイジークライミング・平安京エイリアン・パクパクマン・ドラキュラハウス・モンスターパニック他 - Middle Edge(ミドルエッジ)

任天堂が1980年より発売した携帯型液晶ゲーム機「ゲーム&ウオッチ」。第1作は1980年4月28日発売の『ボール』。

任天堂のファミコンの他を圧倒する人気により、家庭用ゲーム機の市場が急拡大していく。ゲームが子供の娯楽の王様に。

任天堂より1983年(昭和58年)7月15日に発売された家庭用ゲーム機「ファミリーコンピュータ」(略称・略記はファミコン)

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