ヒア・アンド・ゼア~ライヴ・イン・ロンドン&N.Y.
エルトンは、レノンの「真夜中を突っ走れ」のレコーディングに参加。このシングルが一位になった際はライヴに来て欲しいと頼んでおり、実際一位となったため実現した競演である。
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エルトン・ジョン&ジョン・レノン
Stupidity
1976年には世界的にみると大きなヒットにはならなかったものの、ブリティッシュ・ロックを語る際には外すことのできない、熱い魂のこもったライブ・アルバムがリリースされています。世界的なヒットにはならなかったとはいえ、全英1位を獲得したドクター・フィールグッドの「殺人病棟」です。
問答無用、文句なしにジャケットが最高ですね!
パブロックの代表として語られることの多いドクター・フィールグッド。彼らはアリーナを主にしてライブを行うポール・マッカートニーやレッド・ツェッペリン、エルトン・ジョンといったビッグ・ネームとは異なり、ライブは小さなホールやパブで少人数を相手に行っていました。外見も当時主流だった長髪をステージで邪魔だからという理由で短くし、労働者階級まる出しの歌詞をシンプルな曲に乗せ、荒々しく演奏していました。
こうしたドクター・フィールグッドの音楽は次の世代への橋渡しとなりました。パンクの出現はもうそこまで来ていたのです。
殺人病棟
1976年には他にもロキシー・ミュージックの「ビバ!ロキシー・ミュージック」やステイタス・クォーの「烈火のハード・ブギー!」などがありますし、1976年前後となるとローリング・ストーンズの「ラブ・ユー・ライブ」やキング・クリムゾンの「USA」などなど素晴らしいライブ・アルバムがたくさんリリースされています。
やっぱりこの頃のライブ・アルバムを聴くと「熱狂」を共有できていいんですよね!