魔術師と呼ばれた男 森雞二九段

魔術師と呼ばれた男 森雞二九段

《受けの魔術師》の異名をとった森雞二(もり けいじ)九段の引退が決定した。 昭和将棋の名人、強豪と名勝負を繰り広げた男、米長永世棋聖とともに現代将棋の終盤を完成させたと言われる彼のことを、ご存知だろうか。


森雞二九段について

 森雞二九段は1946年、高知県出身。
「月下の棋士」の主人公の氷室将介も高知県の港町出身なので同郷と言えば同郷である。

 16歳で将棋をおぼえて63年に奨励会へ。またたく間に初段にのぼり68年にプロデビュー。
 3年ほどC級2組に在籍した後は要領をつかんだのか71年C1昇級、72年B2昇級、74年B1昇級、76年A級昇級、77年A級初参加にして優勝と無類の強さを発揮している。

 78年は名人戦で中原名人に、棋聖戦で大山棋聖にそれぞれ挑戦。
 中原は強くないという発言をしたかと思えば名人戦には剃髪して臨んだり、谷川名人に対して「身体でおぼえた将棋を教えてやる」と言い放つなど癖の強い逸話が残っている。

 ただの曲者だと困ったものだが、森は滅法強い曲者だったからおおいに困りものだった。
 特に終盤の技術は逸品抜群。ついたあだ名が《終盤の魔術師》。
 同じく終盤技術で名を馳せていた米長邦雄永世棋聖と並び称され今では「現代将棋の終盤は森と米長がつくった」と語られることもある。

かなり整った顔立ちをしている。モデル事務所に所属していた時期もあるようだ。

若き森雞二

将棋ペンクラブログさんのツイート: "1972年の将棋世界より森雞二六段(当時) https://t.co/uKM1tAWxEp"

魔術師の眼光 中原誠との戦い

 舞台は当然のように昭和将棋界であるが、当時、トップ棋士たちには共有されていたであろう頭痛の種があった。

 大山康晴である。

 彼は将棋が強い。それはいい。だが将棋以外でも強烈である。それが困りものだった。
 大山は実力性初代名人にして連盟の創設メンバー木村義雄の後継者的な位置にいる。この人脈力を勝負に関係させてくるのである。いくつかの逸話が残っており、なかには「大山と対局して優勢になった頃、大山の関係者が彼に大山がかわいそうだから負けてくれないかと頼みにきた」という話まで存在している。

大山康晴十五世名人

高梁川流域キッズ » 大山 康晴

 ゆえに、大山と勝負を繰り広げた人物たちには将棋以外の勝負譚も豊富である。
 クラシックとドイツ文学が好きで酒を飲まずに賭け事もしないという当時たいへんめずらしい趣味をもっていた山田道美九段ですら、大山に対して「頭に髪がなくてまぶしいから頭巾をかぶってくれないか」ととんでもないことを言ったらしい。

 その大山が盤外戦術で翻弄できなかった男がいる。中原誠である。
 ある日ゴルフ好きの大山が将棋関係者たちとのゴルフを主催したことがあった。たいへん暑い日でみんな風呂に入りたがっていたらしいが、ゴルフを終えると大山は先頭に立って宴会場の良い席に座ってしまった。主催者が座っているのだから付き合わざるを得ない。しぶしぶみんなも宴会場に入り、乾杯の準備までされていたらしい。
 そこに中原が来た。そして言った。「先に風呂にしましょうよ」と。
 これがどの程度勝負に影響したかはわからないが、大山時代を終わらせた人物と言えば中原であるということになっている。

中原誠十六世名人

中原誠に関するトピックス:朝日新聞デジタル

 棋士たちにおいてはこのように、逸話やちょっとした話を生みがちな組み合わせというものがある。皮肉な言い回しを駆使する米長永世名人と皮肉がまったくと言って良いほど通用しない加藤九段のように。
 中原と森、というのもそういった組み合わせのひとつだった。
 
 第41期棋聖戦でのことである。
 中原は例によって巧みな攻めを使い森の陣に迫っていた。受けても受けても中原の攻めはとどまることを知らない。これに対して森が、
「切れてくれ!」
 と言った。思っていただけではない。実際に言ったのである。叫んだ、とも伝えられている。
 中原も中原で「そんな無茶な」と言ってから指したらしい。真顔であったとも言われているし、ふたりしてウフフアハハと笑っていたとも言われている。
 結局その対局は中原が勝ち、タイトルの棋聖も中原が奪った。
 この話には続きがある。
 
 第4局の打ち上げの席での話である。
 各位が注文したうな重が運びこまれてくるなか、中原だけが洋食を注文していた。コロッケなどが来ている。
 ふと、中原とひとつ席を挟んで座っていた森が言った。
「おいしそうですね。2個は食べられないんじゃないですか?」
 中原はあわててフォークを手にしたらしい。
 棋士は食べ物にこだわりがちである。だが他人のものに狙いをつけたという話は流石に少ない。しかしさっきまでタイトル戦を争っていた男に、あの森に見つめられたら焦りもするだろう。
 あるいは彼なら「タイトルは奪われたがコロッケは奪った」というようなことを言い出しかねない、というのは考えすぎだろうか。

1982年、当時36歳の森雞二八段

将棋ペンクラブログさんのツイート: "1982年の棋聖戦挑戦者・森雞二八段(当時)。36歳(1982年将棋世界) https://t.co/cFR7RBa1kA"

魔術師対剣士 二上達也との戦い

 大山がいなければ活躍しただろうと言われる人物は多い。その代表格が二上で、彼は大山の先輩格である塚田正夫や升田幸三たちと互角以上の勝負を展開していた。もうひとり加藤一二三もいたが、彼はまだ伸び悩んでいた。中原はもちろん、山田道美もまだA級に来ていない時期の話である。
 そんな背景があるから、大山がいなければあるいは二上時代というものが棋史に残っていたであろうことは想像にかたくない。そのせいもあるだろう、二上は大山に星をささげる宿命を背負ってしまっていたという見方をする人も少なくない。結果を見るとそうも受け取れるからファンとしてはかなしい話である。

 その二上が、妖しく輝いた時期がある。
 1980年。第37期棋聖戦挑戦者として登場。最初の1局は落としたものの、その後は3連勝で奪取した。
 翌38期棋聖戦では中原名人が挑戦者として登場。二上と中原のタイトル争いは今まで2回あったが、どちらも二上が敗れている。これを、なんと二上は1勝もさせずに防衛してしまった。
 続く39期棋聖戦。挑戦者は加藤一二三十段。5年間で4期のタイトルを獲得し、加藤一二三史上でもかなり強い時期に入っているであろう彼を、二上はやはり3連勝でくだした。

 異常事態かもしれなかった。
 大山はすでに60歳手前、まだ第一線にいるとはいえ名人位を離れてから10年、無冠となることも珍しくなくなった。
 二上は50歳になっている。勝負師としての盛りは超えている年齢のはずであった。あるいは今まで大山らに抑えつけられていたものが爆発しているのか。裏には1978年に名人挑戦者決定プレーオフに参加、79年にB1降級、80年に復帰という波も発生している。

 そこに、森が現れた。
 森は本来、妖しい男ではない。人を惑わせ喜び、揺さぶりをかけて勝負に影響させるような人間ではないのである。ただ人とはちがう独特なところがあって、それはふつうとは違うルールで動いているから、人によっては戸惑いをおぼえる。不気味に、妖しく見える。芸術家に似ているかもしれない。
 二上のほうにもある境界が発生していた。ここで勝てば棋聖戦10連勝なのである。タイトル戦連勝記録というのは、相手が超一流に限られてくるため極端に難しい。ここで勝てば10連勝、この番勝負を制すれば永世棋聖。二上はそういう立場だった。

 第1局。二上は優勢をつくりあげた。あとはとどめを刺すだけということになる。
 だが70手を超えたあたりからまぎれが発生してきていた。優勢だった二上が、積極的に攻めるか否かの局面でわずかに弱気な手を指したのが原因だったとされている。
 100手を超え、夕食休憩を終えた後、検討していた芹沢博文八段が「しくじったかもしれない」とつぶやいた。
 こうされると二上さんがまずい、と芹沢八段が指摘する手を森は的確に指していく。
 20時27分。二上が投了した。

 勝負のあと森は、自分の粘り過ぎであり大勢では負けであったと頭を下げた。
 粘りに粘って最後まで逆転を狙うのは現代では当たり前かもしれないが、当時は「棋譜が汚れるからやめろ」と叱られかねない行為であった。
 記録が消えない限り、棋譜は永遠に残っていく。棋士には勝負師としての義務が課せられているが芸術家としての役目も課せられている。
 敗因はあっても勝因は無いとされる将棋界の厳しさと、徹頭徹尾傲岸不遜というわけではなかった森の姿がぼんやりとみえてくる、優れた逸話であると思う。

二上達也九段

棋を楽しみて老いるを知らず | 二上 達也 |本 | 通販 | Amazon

あたらしき時代に

森は著作活動が活発な棋士のひとり

新 将棋は歩から

新 将棋は歩から | 森 けい二, 羽生 善治 |本 | 通販 | Amazon

 2006年、B級1組への昇級者のなかに森の名前があった。森はすでに60歳。偉業であった。
 森はその後も現役の勝負師として闘い続けたが、2017年3月、累積降級点が3つとなり引退が決定した。この時の成績は3勝7敗。大平武洋六段も同じく3勝7敗であったが前年度の順位差により降級点を免れている。

あと一年は頑張りたかった、という言葉は、この順位差による降級点事情が絡んでいるのかもしれない。


 ……ところで森にはギャンブラーとしての一面もあるという。
 一面があるどころかミスター・カジノマンという異名までついているらしい。カジノで千ドルチップを賭けるために将棋を頑張っている人なのだ、と。
 今年、加藤一二三九段の引退が決定している。もし森が残留していれば現役最年長となれる。もともと派手なことが好きな人である、テレビなどに出演すれば人気が出て、人気が出れば収入も増える。収入が増えれば賭けられる千ドルチップの数も増える!
 というような意味もあったのではないかというのは、やはり考えすぎだろうか。

どこかコミカルな逸話も多い森九段だが、やはり将棋盤を挟むと迫力がある。
思わず背筋を伸ばしたくなる画像が多い。

引退が決定した森雞二九段。70歳。

「終盤の魔術師」将棋の森九段(高知出身)引退へ |高知新聞

関連するキーワード


将棋 棋聖 森雞二

関連する投稿


「ひふみん」の愛称で親しまれた将棋界のレジェンド・加藤一二三九段が死去 86歳

「ひふみん」の愛称で親しまれた将棋界のレジェンド・加藤一二三九段が死去 86歳

「ひふみん」の愛称で親しまれた将棋界のレジェンド・加藤一二三九段が1月22日、86歳で死去しました。「神武以来の天才」として14歳でプロ入りし、現役最長62年の記録を樹立。大山康晴十五世名人らとの激闘や藤井聡太竜王との対局など、将棋界に残した偉大な功績と、誰からも愛されたその生涯を振り返ります。


ニヒルな悪役・ミッキーこと成田三樹夫とは?

ニヒルな悪役・ミッキーこと成田三樹夫とは?

「仁義なき戦い」などのヤクザ映画には欠かせない悪役俳優であった成田三樹夫。彼の意外な一面も含めて紹介したいと思います。


藤井聡太七段の「矢倉囲いでの勝利」を将棋のレジェンド・加藤一二三が予言していたと話題に!!

藤井聡太七段の「矢倉囲いでの勝利」を将棋のレジェンド・加藤一二三が予言していたと話題に!!

将棋界に旋風を巻き起こしている藤井聡太七段が、6月28日に行われた渡辺明三冠との棋聖戦五番勝負第2局にて、古くからの戦型の定番である「矢倉囲い」で勝利を収めました。それに際し、SNS上では将棋界のレジェンドである加藤一二三が過去に発した以下のコメントに注目が集まっています。


人気の森田将棋シリーズ、スーパーファミコン版の初段 森田将棋はどのような将棋ゲームか調査しました

人気の森田将棋シリーズ、スーパーファミコン版の初段 森田将棋はどのような将棋ゲームか調査しました

初段 森田将棋は、スーパーファミコン版で初めての森田将棋シリーズです。一定の基準を満たせば日本将棋連盟のアマ初段を取得できるとあらばやる気も大きいもの。そんな初段 森田将棋はどのようなゲームか調査しました。


「大山康晴全集」が復活。将棋界が誇る幻の名大著に、先行予約割引など豪華6大特典などがついて登場!

「大山康晴全集」が復活。将棋界が誇る幻の名大著に、先行予約割引など豪華6大特典などがついて登場!

1991年にマイナビより出版された将棋界の誇る名大著「大山康晴全集」。こちらが今回、同じくマイナビ出版よりオンデマンド復刊することが決定いたしました。発売は3月18日。割引などの特典がついた先行予約受付はすでに始まっており、期間は3月3日までとなっております。


最新の投稿


伝説の刑事ドラマ『Gメン'75』放送50周年!全354話が初HDリマスター化&奇跡のキャスト集結イベント開催

伝説の刑事ドラマ『Gメン'75』放送50周年!全354話が初HDリマスター化&奇跡のキャスト集結イベント開催

昭和の刑事ドラマの金字塔『Gメン’75』が放送50周年を迎え、史上初となる全話4KスキャンHDリマスター版Blu-ray BOXの発売が決定。2026年7月より順次リリースされる。さらに、倉田保昭らレジェンドキャストが集結する記念上映イベントや握手会も開催。色あせないハードボイルドの熱狂が、最高画質で蘇る。


司馬遼太郎没後30年。不朽の名作『坂の上の雲』がついにオーディオブック化、森川智之が魂を吹き込む

司馬遼太郎没後30年。不朽の名作『坂の上の雲』がついにオーディオブック化、森川智之が魂を吹き込む

司馬遼太郎没後30年を記念し、代表作『坂の上の雲』がAmazonオーディブルでオーディオブック化決定。2026年5月1日より第1巻の配信が開始されます。ナレーターには人気声優の森川智之氏を起用。明治という激動の時代を駆け抜けた若者たちの青春群像劇が、圧倒的な表現力で耳から楽しむ新たな読書体験として蘇ります。


あの熱狂をもう一度!千葉で「昭和歌謡ショー」開催。20名超の演者が贈る100分間のノンストップ公演

あの熱狂をもう一度!千葉で「昭和歌謡ショー」開催。20名超の演者が贈る100分間のノンストップ公演

NPO法人ひこうき雲が、2026年5月23日に千葉市で「昭和歌謡ショー」を開催します。従来の合唱スタイルとは一線を画し、大音響と光の演出、20名以上の演者による怒涛のダンスとパフォーマンスで昭和の大型音楽番組を完全再現。名曲40曲をノンストップで繋ぐ、中高年世代が心から熱狂できる唯一無二のエンタメ空間です。


昭和100年、未知への挑戦を辿る。国立公文書館で南極・深海・宇宙の特別展イベントが開催

昭和100年、未知への挑戦を辿る。国立公文書館で南極・深海・宇宙の特別展イベントが開催

国立公文書館で「昭和100年記念特別展」が開催中。昭和の日本人が挑んだ南極・深海・宇宙という3つのフロンティアをテーマに、JAXA名誉教授や南極観測隊長ら豪華講師陣によるスペシャルトークセッションや展示解説会が実施されます。歴史的公文書と共に、未知なる領域へ挑んだ先人たちの情熱と軌跡を深掘りする貴重な機会です。


昭和100年記念!邦画5社が垣根を越え集結、新文芸坐で「いま観たい」名作10本を厳選上映

昭和100年記念!邦画5社が垣根を越え集結、新文芸坐で「いま観たい」名作10本を厳選上映

昭和100周年を記念し、東宝・松竹・KADOKAWA・東映・日活の邦画5社がタッグを組んだ特集上映が池袋・新文芸坐で開催。山田洋次監督のトークショーや最新の4Kリマスター技術を語るイベントも実施されます。銀幕のスターが蘇る名作10選とともに、日本映画の黄金期をスクリーンで体感できる貴重な機会です。