No New York
ノイジー且つアヴァンギャルドな音源ばかりで構成された、永遠の名作との評価を不動のものにしているアルバム「ノー・ニューヨーク」をご存じですか?
と言ってみたものの、日本では恐らく知らない人が大多数でしょう。1978年に発表されたのですが全米のアルバムチャートにはランクインしませんでした。と言うことは、日本どころか本国アメリカでの知名度も低いと思われます。
しかし、1995年の「ニューヨーク・タイムズ」では、“廃盤となったアルバムのトップ10”にランクインしていますし、2007年に「ブレンダー・マガジン」で発表された“史上最も優れたインディーロックのアルバム100”では、なんと65位となっています。
商業的な成功を収めることは出来なかったアルバムですが、近年徐々に認められてきています。それと言うのも、ソニック・ユース、スワンズ、スリント、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン、SPK、コイルにミニストリーなどなど、このアルバムは先鋭的なミュージシャンに影響を与え続けているのです。
日本でも坂本龍一が「もっとも好きなロックのアルバム」として挙げています。

ノー・ニューヨーク
さて、そんなアルバム「ノー・ニューヨーク」ですが、どよのうなものかといいますと、1978年にアイランド・レコードのサブレーベルであるアンティルス・レコードからリリースされたコンピレーション・アルバムで、ザ・コントーションズ、ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークス、マーズ、DNAの4組バンドが収録されています。
なぜ大手のアイランド・レコードからリリースされなかったかと言いますと、内容が実験的過ぎる(商業的ではない)と判断されたためです。
ニューヨーク・アンダーグラウンドの最深部を拾い上げたものですが、その音楽性はポスト・パンクへのひとつの(しかも過激な)解答となっています。
プロデュースは、ブライアン・イーノが行っています。
No Wave
「ノー・ニューヨーク」はノー・ウェーブのきっかけとなったアルバムとして知られています。
ノー・ウェーブとは何かといいますと、ひとつのジャンルになります。1970年代後半にニューヨークでおきたパフォーマンスやメディア・アートなど現代美術から影響を受けたサブカルチャーのことです。
音楽で言えば、商業主義に対抗するようなフリージャズ、実験音楽、前衛音楽、ノイズ・ミュージックなどで、主にダウンタウンのアート・スペースで発表されていたこともあり、コンテンポラリー・アートとみなされてもいます。
本作もニューヨークのアーティスト・スペースというギャラリーで4日間行われたロックフェスティバルの3日目と4日目のライブを収録しています。
ノー・ウェーブの代表的なレーベルといえば、ZEレコードです。「ノー・ニューヨーク」に参加しているバンドもここからアルバムをリリースしています。BBC放送の有名なDJであったジョン・ピールはZEレコードのことを「世界一のインディペンデント系レコードレーベル」と言っていたほどアンダーグラウンドの重要アーチストが多数所属していました。

ZEレコード
それでは、「ノー・ニューヨーク」に収録されている4組バンドを順にご紹介します。
James Chance and the Contortions

ジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズ
ジェームス・チャンス・アンド・ザ・コントーションズは、ジェームス・チャンスが中心となり1978年に結成されました。当時のジェームス・チャンスはライブで観客席に度々降りて、客を殴りつけていたそうですから絵に描いたようなパンク・バンドですね。
トーキング・ヘッズのプロデューサーを務めていたブライアン・イーノがそのライブを見てコンピレーションアルバム「ノー・ニューヨーク」を提案することになったそうですから、やはり強烈なインパクトがあったのでしょう。
TEENAGE JESUS & THE JERKS

ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークス
ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークスは、ノー・ウェーブ界の女帝(笑)とも言われるリディア・ランチを中心にしたバンドです。
そう言えば、ノー・ウェーブという言葉はリディア・ランチが「ノー・ニューヨーク」のことをそう呼んだことが語源という説もあります。
コントーションズと並んでノーウィヴの最重要バンドと言われているティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークスですが、最初はコントーションズのジェームス・チャンスやフリクションのレックと共に活動を開始しています。
ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークスは、本作とZEレーベルから1枚のみシングルを発表したのみで解散してしまいますが、その後のリディア・ランチの活動によって今なお語り継がれる伝説のグループです。
マーズ

マーズ
マーズは、1975年にサムナー・クレーンが中心となって結成されました。メンバー全員がマーズ結成前に音楽経験がなかったそうです!
最初のライブは1977年1月に行われ、最後のライブは1978年12月ですから、やはり短命ですね。マーズ単独としては、解散後にライブEPが発売されています。
DNA

DNA
1978年にニューヨークで結成されたDNAもまたノー・ウェーブを代表するバンドですが、これもまた活動は短命に終わっています。
バンド名はマーズの楽曲から採られたおり、「ノー・ニューヨーク」録音当時のメンバーはギタリストのアート・リンゼイ、キーボーディストのロビン・クラッチフィールドと日本人ドラマーのイクエ・モリの3人です。
この当時のイクエ・モリはアメリカへ渡ったばかりで英語があまり話せなかったそうで、しかも、演奏経験ははとんどなく、ドラムセットも持っていなかったのだそうです。
DNA解散後、前衛音楽家としてイクエ・モリは成功していますし、フリクションのレックは、コントーションズ、ティーンエイジ・ジーザス・アンド・ザ・ジャークスに参加していました。この頃の日本人は密かに活躍していたんです!
取っ付きにくい音楽には違いありません。しかし、マニアックな人たちにだけ独占させておくには惜しいアルバムです。
これを機会にアヴァンギャルドな世界にも目を向けてもらえると嬉しいです!