おニャン子クラブの4thシングル『おっとCHIKAN!』
1985年7月にシングル『セーラー服を脱がさないで』でレコードデビュー。
1986年2月にリリースした3枚目のシングル『じゃあね』で念願のオリコン1位を獲得。
まさに絶頂期のタイミングでリリースされたのが『おっとCHIKAN!』であった。
痴漢冤罪を推奨するような驚きの歌詞
『セーラー服を脱がさないで』では「週刊誌みたいなエッチをしたい」「バージンじゃつまらない」と性交を煽るような歌詞を作り、『およしになってねTEACHER』では赤点から逃れるために教師に色気仕掛けする歌詞を作り、物議を醸した秋元康。
その計算つくされたイタズラ心はついに4枚目で爆発する。
女子高生がストレス解消のために、真面目な男子を痴漢に陥れる…
毎日満員電車で痴漢に間違えられぬよう吊革に両手をかけたり、スマホ触っていたり、「自分の手は女性を触れないですよ~」と必死にアピールしている多くの男性にとって、なんとも恐ろしくおぞましい歌詞だったのだ。
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当時はなぜ『おっとCHIKAN!』の歌詞が許されたのか?
この歌を当時のトップアイドルグループ・おニャン子クラブが歌い、そしてオリコン1位を獲得しているという事実に驚きを隠せない人も多いはず。
『おっとCHIKAN!』がリリースされた1986年はまだセクハラという言葉も普及しておらず、漫画やバラエティ番組でもスカートめくりやセクハラじみたネタが多数登場していた。
性的なものへの寛容度が高く、この『おっとCHIKAN!』を番組『夕やけニャンニャン』の中で披露した際は、電車型のセットの中でおニャン子クラブが歌っている最中に全裸の男児(数歳前後)10名以上が乱入するサプライズ演出も行われた。
当時は児童ポルノに関する規制がゆるかったため、男児の局部修正は行われなかった。
痴漢に対しても卑劣な犯罪との認識は薄く、当時は痴漢で捕まってもよほど悪質でない限りは微罪として駅員室等で説教される程度だったという。
つまり、痴漢する男性も軽い気持ちなら、痴漢冤罪をでっち上げる女性も比較的軽い気持ちだったと言える。
流れが変わったのは1988~1989年
1988年に大阪で痴漢から発展した悲惨な性暴力事件を契機に、痴漢防止を訴える車内広告が鉄道各社で次第に導入されていった。
さらに1989年には一つの訴訟を契機にセクシャルハラスメント(セクハラ)という言葉が広がり、新語・流行語大賞の新語部門・金賞を「セクシャルハラスメント」が受賞した。
こうして女性に対する性犯罪や性差別に対して厳しく臨む風潮が強まっていく。
2000年あたりから痴漢に対する厳罰化が進む
1990年代末ぐらいからマスメディアなどで痴漢を社会問題として頻繁に取り上げられるようなり、1999年以降痴漢の送検件数が急増した。
痴漢で捕まると刑事罰の対象となり、学生なら退学、社会人なら会社をクビという社会的制裁も待ち受けている。
2000年12月には京王電鉄京王線で「女性専用車両」が試験的に導入され、以降鉄道各社へ広がっていった。

京王線の女性専用車両の乗車風景
痴漢厳罰化に伴い、痴漢冤罪も問題に…
痴漢犯罪の取締り強化に伴い、痴漢行為をしていない者が告発され、無実の罪を着せられる冤罪事件も多発、社会問題化している。
2007年には痴漢冤罪問題を描いた周防正行監督の映画『それでもボクはやってない』が話題となった。
今ではもう『おっとCHIKAN!』は地上波で放送禁止?
この歌詞を10代の女子たちが歌い、熱狂的な男性ファンが応援する。
その姿を現在の感覚で見たら、異様としか思えない。
前述の通り、現在では痴漢に対しても痴漢冤罪に対しても厳しい風潮にあり、『おっとCHIKAN!』のような歌詞がテレビで流れようものならクレーム殺到間違いなしである。
そのため、ほぼ放送禁止状態になっているらしい。
オリコン1位を獲得した曲でありながら現在では放送できないという現象は、ある意味で世相の違いを最も表している曲であるとも言える。
時代を切り取る達人、秋元康が作詞したおニャン子クラブの『おっとCHIKAN!』。
男性ならばゾッとする歌詞ではあるが、そんな時代背景に注目して聴くと楽しめる一曲ではないだろうか。
最後に。
痴漢は禁止!痴漢でっち上げも禁止!