年末時代劇スペシャル
『年末時代劇スペシャル』は、日本テレビで1985年から1993年に、12月30日・31日の2夜連続(1991年・1992年は12月31日のみ、1993年は12月28日のみ)で放送された時代劇の特別番組。
毎年、日本史上の史実にスポットをあてて抒情的なドラマに仕上げました
『NHK紅白歌合戦』の対抗番組として放送されたシリーズの特別番組。
1985年の『忠臣蔵』から1993年の『鶴姫伝奇 -興亡瀬戸内水軍-』まで、毎年1作ずつ、計9作が放送されました。
内容は全て時代劇で、特に幕末の動乱を取り上げた作品が多く、ある人物のサクセスストーリーをハッピーエンドで描くというよりは、「運命」や「大きな時代のうねり」に翻弄される人々の悲哀を描く内容が多く、「義」「夢」「信念」といったものを持って生きることを称える内容のシリーズでした。
歴代作品
放送年 タイトル 主演
1985年 忠臣蔵 里見浩太朗
1986年 白虎隊 森繁久彌
1987年 田原坂 里見浩太朗
1988年 五稜郭 里見浩太朗
1989年 奇兵隊 松平健
1990年 勝海舟 田村正和、田村亮
1991年 源義経 野村宏伸
1992年 風林火山 里見浩太朗
1993年 鶴姫伝奇 後藤久美子
忠臣蔵
あらすじ
前篇「君、怒りもて 往生を遂ぐ」
松の廊下における刃傷事件から、大石内蔵助が仇討ちを決意するまで。
後篇「我、一死もて 大義に生く」
仇討ちの準備から討ち入り、そしてその後の幕府の混乱を描く。
もはや吉良上野介殺人事件!毎年どんだけ斬られるの?これまでも、きっとこれからも・・・ - Middle Edge(ミドルエッジ)
白虎隊

白虎隊
あらすじ
前編 「京都動乱」
会津藩主松平容保が西郷頼母の猛反対を押し切って京都守護職を拝命し、孝明帝から信頼を得て京都での活躍、「新選組」の結成、鳥羽・伏見の戦いでの形勢逆転。会津帰国を経て、白虎隊の誕生まで。
後編 「落城の賦」
戊辰戦争の中、恭順姿勢も空しく朝敵の汚名を背負い会津戦争へ突入。白虎隊切腹、娘子軍の戦死、藩士家族の集団自刃、そして鶴ヶ城開城。井上丘隅ら生き残った藩士は斗南藩へ移封となり、新しい時代へ。
「憧れ遊び」「愛しき日々」堀内孝雄の名曲で年末時代劇はさらに感動的になりました。
田原坂
あらすじ
日本テレビ年末時代劇スペシャル第3作「田原坂」は西郷隆盛の半生を描いた作品!里見浩太朗主演!! - Middle Edge(ミドルエッジ)
前編「英雄野に下る」
西郷隆盛が奄美大島に流され、その後藩政の中心に復帰し戊辰戦争での活躍を経て、明治新政府の中枢となりながら明治六年政変で鹿児島に下野するまで。
後編「桜島は死せず」
西南戦争で敗れ、東京の明治天皇に別れを告げて西郷が城山で切腹するまで。
五稜郭
あらすじ
前篇
オランダに留学していた榎本釜次郎(武揚)は、開陽丸に乗って日本に帰国後、佐藤泰然の孫娘・多津と結婚。しかし、彼が力を尽くそうとしていた徳川幕府はすでに崩壊の時を迎えようとしていた。長崎海軍伝習所時代の先輩勝海舟が幕府の幕引きを務める中、最強の海軍を率いる榎本は勝に反撥し、同様の不満をかかえる新選組副長土方歳三ら多くの幕臣達と共に北の果ての大地、蝦夷に向かう。そこには榎本らの夢があった。だが、蝦夷地の気候を甘く見た榎本らは旗艦・開陽丸を座礁させてしまった。
後篇
日本初の選挙によって蝦夷共和国総裁に選ばれた榎本は、蝦夷を独立国とすべく外国と交渉する。いっぽう開陽を失った軍事力を恢復するため、土方らは宮古湾へ向けて出航する。明治新政府が誇る最新艦甲鉄(ストーンウォールジャクソン)号をアボルダージで奪うためである(宮古湾海戦)。しかし政府軍参謀黒田清隆はこの作戦を察知。アボルダージは失敗に終わり、次第に劣勢に追い込まれた蝦夷軍はじわじわと追い詰められる。土方や中島三郎助も戦死。切腹しようとする榎本を松平太郎・大鳥圭介・大塚霍之丞らが押しとどめて降伏を説得。箱館病院長高松凌雲の仲介の下、蝦夷共和国軍は降伏した。
奇兵隊
あらすじ
第一部「京洛の花に舞う-決起の章-」
安政の大獄から数年後、吉田松陰の松下村塾に学んだ長州藩の若者たちは、尊王攘夷を実行すべく政治活動を行っていた。だが、当時長州藩は長井雅楽指導の下、藩論はまるで逆の開国となっていた。そんな中、松下村塾系の若者高杉晋作は、幕府が派遣した使節に随行し、上海の地を訪れ、欧米列強に支配される現地人の哀れさを痛感する。帰国後、周布政之助や桂小五郎(のちの木戸孝允)の周旋により長井は失脚。高杉は仲間の久坂玄瑞・井上聞多(のちの井上馨)・伊藤俊輔(のちの伊藤博文)らとともに建設中の英国公使館を焼き討ち。また将軍上洛工作などに関わり、尊王攘夷を推し進めていく。
孝明天皇の命を受けた幕府は、文久3年5月10日を期限に攘夷の実行を約束するが、京都で尊王攘夷のかけ声を元に狼藉の限りを尽くす不逞浪士の乱行を目にした高杉は失望し、突如出家して「東行」と名乗り、故郷へ帰ってしまう。また井上と伊藤は、村田蔵六(のちの大村益次郎)の仲介により、藩が極秘にロンドンに派遣した留学生の中に加わる。残された久坂は5月10日、公約通り攘夷を実行すべく馬関海峡を航行中の外国船に砲撃をしかける。しかし、数日後外国の連合艦隊に逆襲され、砲台を占拠されてしまった。
下関に来襲する外国兵に対して激昂する百姓らの姿を見て、高杉は師・松蔭から学んだ「草莽崛起」を実践すべく下関の商人白石正一郎を口説いて庶民からなる軍隊・奇兵隊を結成する。いっぽう、京都では会津藩・薩摩藩らの企てにより、長州が追放される事件が起きた。来島又兵衛ら過激派は、兵を率いて上京することを主張。高杉は久坂・来島らを説得するが聞き入れられず、周布は高杉を野山獄へ監禁。ついに長州は無謀な兵を挙げ、一敗地にまみれ、久坂らは戦死した。
第二部「四境ことごとく敵-回天の章-」
禁門の変で敗れた長州藩を待ち受けていたのは、さらに過酷な運命だった。前年の下関砲撃に対する報復として英・仏・蘭・米の四国連合艦隊が来襲するというのである。この件を知った井上・伊藤は急遽ロンドンから帰国し、長州藩要路を説得するが、攘夷派の幹部は受け入れない。高杉の説得を受け、井上らもいったん攘夷派に戻り、奇兵隊ら諸隊とともに連合軍と戦う。
案の定、惨敗した長州藩は、急遽英語を解する井上らに和睦の使者を命ずる。井上は、高杉を長州藩家老宍戸家の養子・宍戸刑馬と名乗らせ、全権大使として随行させる。高杉は敗北を潔く認めたが、賠償金はすべて幕府に転嫁した。また、上海の悲劇を知る高杉は海峡にある彦島の租借を断じて拒絶する。こうして和睦は成立した。
しかし、幕府から長州征伐軍が派遣されるに及び、これまで長州を主導してきた周布らの改革派は失脚し、椋梨藤太ら保守派が権力を握って、毛利敬親・定広父子も山口から萩に移る。やがて改革派の粛清が始まり、周布も自害に追い込まれ、高杉も藩外への逃亡を余儀なくされた。井上も襲撃され全身に傷を負うが、一命は取り留めた。奇兵隊ら諸隊にも解散命令が下る。山県狂介(のちの山縣有朋)・伊藤らもその命令に従うほか無かった。だが、そこへ潜伏中の高杉が現れ、藩政府に対して挙兵を促す。諸隊の隊長らは反対するが高杉は一人でも立つと強硬に主張した。
翌朝、功山寺に現れたのは高杉と伊藤だけだった。だが、2人だけ行こうとした矢先、諸隊の兵たちが次々押し寄せる。勝利を確信した高杉は小郡の代官所を襲い勝利を得ると、その勢いで萩へ攻め寄せ、ついに保守派の軍勢を破って主導権を取り戻した。禁門の変後行方不明だった桂も、村田蔵六の知らせにより長州へ戻り、幕府へ対抗する体制が整えられた。
しかし、長州単独では武器の調達もままならない。そこで土佐の浪士坂本竜馬の仲介により薩摩藩との同盟が模索されるが、藩内の抵抗は強く、桂は諸隊の隊長を連れて京都へ赴き、双方の誤解を解いて薩長同盟の締結に至った。恭順を示さない長州藩に対し、幕府は第二次長州征伐を企てるが、薩摩藩はこれに従わなかった。村田蔵六指揮の下、整然たる作戦に裏打ちされた長州軍は幕府軍を各所で退け、勝利する。高杉も小倉口の戦いで龍馬の協力により幕府の旗艦富士山丸を撃破するなど活躍するが、この時すでに高杉の体は労咳に蝕まれていた。長州軍の勝利が確定してまもなく、高杉は息を引き取った……。
勝海舟
あらすじ
第一部「日本よーそろ-サムライ太平洋を渡る-」
函館の商人・渋田利右衛門は江戸で貧乏な御家人勝麟太郎(のちの海舟)と知り合い、彼の蘭学修業の費用を出そうと申し出る。困惑した勝だが、父勝小吉の死も重なり、ありがたく援助を受けた。
その頃、黒船の来航により混乱していた幕府は、老中阿部正弘の指示により、広く対処の意見を求めた。大久保忠寛は、意見書の中から若き蘭学者・勝麟太郎の主張を取り上げ、長崎に海軍伝習所を作ることを約束する。宿願かない長崎で夢のような日々を過ごす勝。その地でお久という女性と懇ろになる。海軍修業を終えた幕臣たちは咸臨丸で太平洋を渡るが、その間に日本で起きていた桜田門外の変により状況は一変。勝は逼塞生活を余儀なくされるが、土佐の脱藩浪人・坂本龍馬が弟子入りをし、将軍・徳川家茂の理解を得て、神戸に海軍操練所が建てられる。しかし、腐敗した幕府要職の狭い考えから操練所は閉鎖。お久、家茂と相次いで病死して勝が失意に陥っている間も、時代は大きな転換期へ差し掛かろうとしていた…。
第二部「幕臣残照-咸臨丸は沈まず-」
慶応3年(1867年)、京・近江屋にて坂本龍馬が同志の中岡慎太郎と共に暗殺される。その後、気運はいよいよ倒幕一色となり、最後の将軍徳川慶喜をとりまく状況は暗転を重ねてゆく。そうしたなか、幕閣のなかでただ一人、忠義の心から慶喜に諌言する者がいる。かつて勝とともに訪米し、果敢に貨幣の交渉に乗り出した日本でただ一人「ノー」と言える男、小栗上野介忠順であった。幕府が苦境に陥っているの中で苦悶しているのは勝も同じであった。勝は、山岡鉄舟と益満休之助を早馬で走らせ、自身も薩摩の西郷隆盛と江戸城総攻撃をめぐり談判に及ぶ。
慶喜の勘気を受けて退任した小栗はその頃、新たな人生を生きていた。農夫にまじり田畑を耕し、もはやかつて奉行職にあったころの面影はなく、次なる希望に満ちている。妻の腹には大望の子も宿った。だが、小栗が隠し金を横領していると主張する浪人集団が押しよせた、威嚇のため放った大砲の件が新政府軍の疑惑を呼び、小栗は連行された挙句、理不尽な取調べの後、斬首されてしまう。江戸を象徴する人物達が次々と去り、咸臨丸の仲間たちも、ある者は病、ある者は維新の犠牲として散っていく。いつしか、勝だけが明治の新時代を生きている。渋田利右衛門の協力で長崎で亡きお久との間に生まれた子・梅太郎を引き取るも、勝家にはなかなかなじまなかった。渋田は数年後故郷の函館で死去。そして明治10年、ついに西郷が西南戦争を起こす。勝は西郷の説得を依頼されるが、そんな役割に飽き飽きしていた彼はこれを固辞。西南戦争の最中に長州の木戸孝允が病死。西郷も弟子の桐野利秋、村田新八らと共に壮烈な最期を遂げる。更に翌年に西郷の無二の親友で内務卿の大久保利通も暗殺され、勝は共に新時代を切り拓いた同志の相次ぐ死に時代の無常を痛感する。家庭内でも憤死した西郷への追悼文執筆に熱中するあまり、米国留学から帰国した長男・小鹿の挨拶にも気づかず、民子と口論に及んだりした。この頃から勝は次第に屈折していく…。
源義経
あらすじ
第一部「九郎登場-疾風怒涛の巻-」
京・五条大橋。夜毎現れては通りかかる者に襲い掛かる荒法師・弁慶。今日も獲物を求め息を潜めたところ、笛の音とともにまだ幼さを残す女人らしき人影が現れ、弁慶の前を悠々と通りかかる。しかし、それは女人などではなく、後に元服し源義経と名乗ることになる、鞍馬の遮那王の姿だった。身軽な遮那王に完敗したものの、弁慶はどこか涼しげなこの若武者に親近感を募らせてゆく。これが義経と弁慶主従の出会いであった。ほどなくして、遮那王は招きにより奥州に新天地を求め、弁慶も伴って旅立ち、その途上に元服、九郎義経を名乗る。また奥州に着くまでに新たに義経に惚れた配下たちを加えてゆく。折りしも都では栄華を極めた平清盛が死に、後白河法皇を頂点とする院の勢力が盛り返し、やがて平家討伐の兵を挙げた源頼朝に気運が傾きつつあった。兄・頼朝の挙兵を知った義経は、後ろ盾と頼む奥州藤原氏三代当主・藤原秀衡に懇願、惜しみながら藤原家が義経の出陣を認めたことで、義経は、はじめて兄と対面する。やがて瞬く間に平家の軍勢を一蹴し、無敗を誇る義経。だが、皮肉な事に兄との関係は急速に冷えていった。そして、壇ノ浦で平家は滅亡。京へ凱旋した義経は熱狂的な歓迎の中、生涯の絶頂を味わう……。
第二部「英雄流転-安心立命の巻-、エピローグ〜義経伝説〜」
京へ凱旋した義経であったが、待っていたのは検非違使任官という兄にも勝る優遇と、後白河法皇の巧みな魔の手であった。義経は、戦後処理として平家総帥で最後まで生き残った平宗盛を処刑。宗盛は最期に、義経に対し「兄弟仲良く。平家はそれだけが自慢であった」と言い残した。義経は、頼朝が無断で朝廷より任官を受けたことに激怒していると聞くや、弁明のために書状(腰越状)を送る。しかし、頼朝の軍師・大江広元の策謀で義経の涙の書面は兄に届く事はなかった。弁慶は、義経の書状を直接届けようと頼朝のもとへ乗り込むが、既に頼朝は義経を弟ではなく政敵としてしか見なしていなかった。頼朝は、義経邸に夜襲をかけるが、義経たちは機転でこれを撃退。ついに義経と頼朝の対決のときが迫っていた……。だが、義経の名声はもはや朝廷の中では過去となり、形勢は逆転。静御前とも別れ、義経は奥州を頼る事となる。平泉で再び庇護されるも、秀衡亡き後、四代当主となった藤原泰衡は頼朝の謀略に加担してしまい、高舘を包囲。最期を悟った義経以下郎党は壮絶な死を遂げ、義経もまた炎の中で自刃する。次の瞬間、見た光景。それは義経と郎党たちが、駿馬にまたがり揚々と荒野を疾走している幻の姿だった。
風林火山
あらすじ
第一部「野望編」
世は戦国。武勇と知略で雌雄を決する時代において、山本勘助はいまだに大望を成せず、兵法家を称しながら一介の素浪人に甘んじていた。だが、浪人仲間の青木大膳が持ち出した、甲斐・武田家への仕官の話に興味を覚えた勘助は、策を講じて何とか武田の重臣・板垣信方の目にとまることとなる。折りしも、武田家当主・武田信虎が長男・晴信によって駿河に追放された直後。若き晴信は、勘助を厚遇で召抱えた。だが、甘利備前守をはじめとする家臣一同は、なかなか勘助を認めようとはしなかった。
そうした中で、隣国・信濃諏訪へ侵攻することとなった武田軍は、勘助の一計によって戦闘を回避することに成功する。その和睦の席で、敵将・諏訪頼重の美しい娘・由布姫と出逢ったが、姫から「醜い顔」となじられる。勘助は姫に対し、これまでにない複雑な感情を覚え、狼狽する。
晴信は、信濃経営を念願とし、幾たびか出兵する。だが、甘利をはじめ板垣など重臣たちが次々と戦死を遂げ、道のりは決して平坦なものではなかった。そんな時、晴信の側室となっていた由布姫が勘助の目を盗んで失踪する。勘助は、吹雪の中をさ迷い歩き、姫を救い出す。その時、勘助は初めて素直に自らの感情を姫に顕にする。時同じくして、後に晴信と宿命的な対決をすることになる越後の虎・長尾景虎が動き出そうとしていた。
第二部「愛憎編」
信濃経営を目前としている今、勘助には3つの願い事があった。一つは越後の長尾景虎を成敗すること。一つは、由布姫が産んだ晴信の子・四郎勝頼の初陣を見ること。そしてもう一つは、晴信の好色な性格を正すことだった。だが、最後の願い事は、勘助にとっても難題であった。晴信は由布姫のほかにももう1人、於琴姫という美しい姫に熱を上げている。その姫の存在を勘助には隠し通そうとする晴信の姿に、勘助は呆れる他なかった。そこで、勘助は晴信が尊敬する足利氏の高僧・桃首座を招き、晴信に説法を試みる。ついに晴信は観念し出家を決意、以後、信玄と号することとなった。勘助もまた剃髪し、道鬼と号した。
その後、信玄は上杉の名跡を継ぎ関東管領に任ぜられた景虎改め上杉政虎を睨みつつ、駿河の今川、相模の北条と三国同盟を結び、精力的に奔走する。だが、桶狭間の合戦で今川が敗れ、勝った尾張の織田信長が台頭を始めた頃から、信玄の周囲も風雲急を告げる事態となる。信玄と嫡男・太郎義信との確執の始まり。そして、由布姫の病死。初陣を千秋の思いで待つ勝頼の存在。
それぞれの思いの中、第4回の川中島の合戦が始まる。味方の大半を高坂昌信らが率いる別動隊に割き、上杉の背後を突こうとする武田の策を見越したかのように、上杉勢は八幡原に着陣する。武田勢劣勢のまま戦闘は始まる。信玄は、別動隊合流までの間持ちこたえようと檄を飛ばし、鶴翼の陣で上杉に応戦する。いつしか、本陣には信玄ただ一人。静寂の中、謙信が単騎にて信玄の眼前に現れ、襲いかかる。しかし大将同士の凄まじい一騎打ちが繰り広げられている時、勘助は既に戦場の片隅で力尽きていた。勘助の遠のく意識の中に甦るもの、それは由布姫の笑顔であった。
鶴姫伝奇 -興亡瀬戸内水軍-
鶴姫伝奇 -興亡瀬戸内水軍-
あらすじ
群雄割拠、下剋上の戦国時代。応仁の乱以後、室町幕府の権勢は衰え、畿内でも戦乱が絶えないころ、四国の島を挟む瀬戸内の海を守りつづける水軍があった。そのルーツは、いかなる強国の大名であっても容易に手を出すことが出来ぬ神秘を秘めた島・大三島にあった。
戦国大名たちもその名を聞けばたちまちひるむと言われた村上水軍。この島は村上水軍の本拠を構えた地であった。神聖な力の伝承と緻密な水運の戦術。難攻不落とも言われたこの海であったが、乱世の刃が迫りつつあった。
大三島の大祝家の鶴姫は美しさで有名であったが、男顔負けの武勇でも知られていた。その姫も年を経るにつれ、越智鷹丸という若者と恋に落ちる。しかし、将来を誓い合ったその矢先、大内家の和睦の使者である鷹丸が殺される。全ては大内家の策略であったのだ。鶴姫は愛する鷹丸を失った怒りと悲しみから自ら女を捨て、刀を握る。そして戦場の混戦の中、銃弾を受け行方不明となる。
しかし、鶴姫の存在はいつまでも人々の心の中に残るのであった。幻影か、それとも幻か…。全ては残された女鎧だけが知っている。
主題歌も話題となりました
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