『歌って踊れる』とは?
歌えるだけでなく、ダンスも上手い。
そんなアーティスト(歌手)を形容する表現として『歌って踊れる』はよく使われている。
とくに90年代にR&Bやヒップホップ系のミュージックが流行すると『歌って踊れる』と言われるアーティストは増えていった。
その代表的な存在としては、安室奈美恵やISSA(DA PUMP)をはじめとする沖縄アクターズスクール出身のアーティストが挙げられる。
『歌って踊れる』の歴史を作り上げたアーティストたち
現在はデビュー前から歌と共にハイレベルなダンスを訓練しているアイドル・アーティストも多い。
だが、「アーティスト」ではなく、「歌手」と呼ばれていた80年代。
踊りができる歌手というのは視聴者に大きなインパクトを与えた。
そんな『歌って踊れる』の歴史を作り上げた懐かしのアーティストたちを当時の映像を交えながら紹介。
『歌って踊れる』アーティスト:田原俊彦

田原俊彦(たはら としひこ)
マイケル・ジャクソンを尊敬し、積極的にダンスを取り入れていった田原俊彦。
一時期「和製マイケル・ジャンクソン」とも呼ばれ、日本でムーンウォークを広めた男とも言われている。
歌唱力が低いとの批判を受けても、生歌にこだわり口パクを頑なに拒否していたという。
『歌って踊れる』アーティスト:風見慎吾

風見慎吾(かざみ しんご)現:風見しんご
1983年公開の映画『フラッシュダンス』のワンシーンに衝撃を受け、ニューヨークに出向き猛特訓でブレイクダンスを修得。
翌年12月に発売した4曲目のシングル「涙のtake a chance」にブレイキングやアクロバットを大胆に取り入れ、お茶の間とエンタメ界に衝撃を与えた。
5曲目の「Beat On Panic」ではヌンチャクを使用した、本人曰く「バトルダンス」を披露した。
(風見は子供の頃に少林寺拳法を習っていたことがある)
1985年放送のフジテレビのドラマ『スタア誕生』、『ヤヌスの鏡』に出演の際にも一部ブレイクダンスを踊っているシーンが登場し、これをテレビで見てブレイクダンスを始めた者も少なくない。
日本におけるブレイクダンスの先駆者である。
スポーツばりの激しいダンスを取り入れながら「口パクは1度もしていない」と風見は語っている。
全て生歌だった為、息継ぎが聞こえたり、歌唱が乱れることもあった。
音楽に造詣が深い小説家・平野啓一郎は、風見の例によって激しいダンスと歌の両立はムリという認識が広がり、後に歌とダンスの役割を分担するTRFやEXILEのようなグループを生み、他方「口パク」OKで、歌手自らが踊りながら歌うという流れを生んだと述べている。
『歌って踊れる』アーティスト:荻野目洋子

荻野目洋子(おぎのめ ようこ)
ユーロビートを採用したダンサブルな楽曲に挑み、現在では『歌って踊れるアイドル』の雛形をつくったとも言われている。
荻野目洋子は「当時、80年~90年代前半のアイドルは、それはそれは華やかで、衣装もデコラティブ、女の子目線でも見とれるほどかわいいアイドルがたくさんいましたよね。私は音楽が好きで芸能界に入ったんですが、当時、顔だけでは勝負できませんでした。
そこで私は“ダンス”というスタイルを選んだんですが、それが時代にうまく迎合する形になっただけ。」と語っている。
『歌って踊れる』アーティスト:少年隊

少年隊(しょうねんたい)
踊って歌えるアイドルの代名詞的存在であるジャニーズグループの中でも、歴代で最も踊れるグループとの意見も多い。
東山は後輩たちと比較し、「自分らの時はいつも生歌、生ダンスで一生懸命だった。」と語っている。
メンバー三人ともバク転・バク宙ができ、錦織と東山は『仮面舞踏会』のラストで左手にマイクを持った状態でバク宙をしている。
『歌って踊れる』アーティスト:宇都宮隆(TM NETWORK)

宇都宮隆(うつのみや たかし)
TM NETWORK/TMN時代のライブでは、歌の途中や間奏などでダンスを披露しており、バンドのボーカルでありながらダンスを踊る斬新かつ稀有な存在であった。
これは歌だけでなく、衣装や演出などすべてを組み合わせて一つの作品として昇華させたいという小室哲哉の意向が大きく反映されていたものと思われる。
そして、テレビドラマに俳優として出演するほどのルックスを持つ宇都宮が、高い歌唱力を軸にその要望に見事に応えた。
こうして築き上げられたTM NETWORKという存在が、90年代にダンスミュージックで日本中を席巻した小室ブームに繋がっていく。
『歌って踊れる』アーティスト:岡村靖幸

岡村靖幸(おかむら やすゆき)

岡村靖幸のダンス
【番外編】『歌って踊れる』アーティストの元祖は誰か?
踊りがただの振り付けと言われていた70年代において、振付けの域を超えた激しさで『アクション歌謡』と呼ばれ大きな影響を与えた女性アーティストがいる。
それは…。

山本リンダ(やまもと りんだ)
「こまっちゃうナ」が大ヒットした後はヒットに恵まれず、その後は低迷。
山本リンダは起死回生の戦略としてセクシー路線に転向し、1972年に阿久悠・都倉俊一のコンビによる「どうにもとまらない」を発表。
前例のなかったへそ出しルックで、激しく腰を振る煽情的な振付けは話題となり、再ブレイクを果たした。
「どうにもとまらない」以降、「狂わせたいの」「じんじんさせて」「狙いうち」など次々とセクシー路線の曲を発表、激しい振付けを披露して「アクション歌謡」と呼ばれた。
この山本リンダこそが、日本における『歌って踊れる』アーティストの元祖とも言えるのかもしれない。
【番外編】現在、最も『歌って踊れる』アーティストは誰か?
現在、『歌って踊れる』アーティストとして最も名前が挙がるのが三浦大知。
歌って踊れる数少ない“本物”の日本人アーティストとして高評価を受けるアーティストである。

三浦大知(みうら だいち)
それまで『歌って踊れる』と称されていても、「歌が上手くて踊りもできる」もしくは「踊りが上手くて歌も歌える」のどちらかに該当する人が多かった中、歌と踊りの両方で世界レベルと言われる異色の存在。
6歳からダンスと歌を習い、9歳でデビュー。
抜群の歌唱力とリズム感で「和製マイケル・ジャクソン」と賞賛される。
変声期を迎えるとダンスに重点を置き、ニューヨークで1年間、ダンスレッスンを受ける。
帰国後はピアノやギターを独学で習得。
まさに『歌って踊れる』ために生まれたようなアーティストである。
元Folder・三浦大知、ジャニーズの圧力がかかっているとの噂を信じたくなる歌とダンスの天才的実力
あとがき
テレビ以外の娯楽が少なかった80年代。
ステージ狭しと熱いパフォーマンスを繰り広げ『歌って踊る』アイドルや歌手は視聴者の目をブラウン管に釘付けにしました。
そんな『歌って踊れる懐かしのアーティスト』をテーマに独断と偏見でピックアップさせて頂きました。
「あの人がいない!」とか「この人は違う!」とか不快に思われた方はごめんなさい…。