メディアに登場してからは11戦11勝
ヒクソン・グレイシー
対戦相手 | 勝負タイム | 決まり手 | 対戦日 |
船木誠勝 | 1R 11:46 | チョークスリーパー | 2000年5月26日 |
高田延彦 | 1R 9:30 | 腕ひしぎ十字固め | 1998年10月11日 |
高田延彦 | 1R 4:47 | 腕ひしぎ十字固め | 1997年10月11日 |
中井祐樹 | 1R 6:22 | チョークスリーパー | 1995年4月20日 |
木村浩一郎 | 1R 2:07 | チョークスリーパー | 1995年4月20日 |
山本宜久 | 3R 3:49 | チョークスリーパー | 1995年4月20日 |
バド・スミス | 1R 0:39 | TKO(マウントパンチ) | 1994年7月29日 |
ダビッド・レビキ | 1R 2:40 | KO(マウントパンチ) | 1994年7月29日 |
西良典 | 1R 2:58 | チョークスリーパー | 1994年7月29日 |
レイ・ズール | 1R | チョークスリーパー | 1984年1月1日 |
レイ・ズール | 1R 11:55 | チョークスリーパー | 1980年4月25日 |
衝撃的だった船木誠勝の敗退
後に全日本プロレスで現役復帰しました
船木誠勝 船木さんが「明日また生きろ」といってくれたからボクは今日も生きています。 - Middle Edge(ミドルエッジ)
高田延彦は2戦2敗、酷評をうけてしまうことに
高田延彦 - Wikipedia
当時UWFインターで「最強」を謳っていたため、連敗はプロレスファンの失望を誘いました
【一億円トーナメント事件】UWFインターがメジャー5団体のエースに参加を呼びかけた幻のトーナメント! - Middle Edge(ミドルエッジ)
ホイス・グレイシーの発言がきっかけ
ヒクソン・グレイシーの腹違いの弟
1993年、UFCの開催が決まった際にヒクソンは一族を代表して出場することを強く希望するものの実兄のホリオンによって却下される。
結局、弟ホイスのセコンドでサポートにまわることに合意する。そのUFCにおいて優勝したホイス・グレイシーが「兄ヒクソンは私の十倍強い」と発言。
「400戦無敗」は誇張表現
「400戦無敗の男」の肩書をもって、バラエティ番組にも登場。
「ヒクソン幻想」は最後まで保ったまま引退
現在、MMAの試合からは完全に遠ざかったヒクソンであるが、本人がインタビューで答える内容からすると、いまだに世界のトップレベルの強豪と拳をまじえ戦いを制するだけの実力は秘めていると自称している。
2009年に入ってからも(ヒクソンは50代)UFCヘビー級王者のブロック・レスナーやエメリヤーエンコ・ヒョードル相手に勝つ策はあると断言しているが実行はされていない。
しかし、2010年9月26日のニコニコ動画における生放送番組に出演した際、視聴者から試合を行わなくなった理由について問われると「疲労や怪我の回復が遅くなった」と答えており、事実上選手としての引退を認めている。
ヒクソン・グレイシーのヨガトレーニングも話題になりました
「400戦無敗」は誇張表現ですが、やはり心身ともに格闘家としての強さは本物のようですね。