河瀬直美監督、初の35mm作品『萌の朱雀』
1997年11月に公開された映画『萌の朱雀』。
本作で監督を務めた河瀬直美は、それまで8mm作品『につつまれて』や『かたつもり)』を制作し、山形国際ドキュメンタリー映画祭で各賞を受賞するなど、若手映画監督として注目されていた。
そんな中、35mm作品であり、初の商業作品である本作が制作された。

河瀬直美(かわせ なおみ)
河瀬直美の出身県である奈良を舞台に、ある一家のうつろいゆく日常を丁寧な人物描写で切り取り、そこに登場人物たちのふるさとへの想いや恋心を絡め、味わい深い作品に仕上げた。
柔らかな日差しや生い茂る木々に囲まれた奈良・西吉野村(現・五條市)の自然と、物語が相互に響きあい、登場人物の「死」を尊く、より喪失感を伴った感情表現に至らせている。家族との触れ合いを通して、それぞれに「死」を乗り越え、人生を進んでいかなくてはならない迷いや覚悟が描かれる。

『萌の朱雀』 [DVD]
カンヌで高い評価を受けた『萌の朱雀』
本作は1997年に行われた「第50回カンヌ国際映画祭」で新人監督賞にあたる「カメラ・ドール」を受賞した。これは史上最年少での受賞であり、日本映画界にとっても初の快挙であった。
カンヌ以外にも「第26回ロッテルダム国際映画祭」での「国際批評家連盟賞」 や「芸術選奨文部大臣新人賞」など、数多くの賞を獲得している。また、1997年度の「キネマ旬報ベスト・テン」では第10位にランクインした。
上記の予告動画内で登場する紹介文を下記に記してみる。非常に高い評価を受けていたことが分かる。
≪各文言≫
・27歳の劇場用長篇デビュー作にして史上最年少・日本映画初1997年カンヌ国際映画祭カメラドール(新人監督賞)受賞!
・カンヌで見いだされた大きな新しい才能 <ル・モンド>
・情感を重視した演出が、観る者を魅了する <ヴァラエティ>
・妥協を一切排し、賞賛すべき作品 <ヘラルド・トリビューン>
あらすじ

タイトルバック『萌の朱雀』

山間の村。家族5人で食卓を囲む

幼き頃のみちると栄介
一人娘のみちると栄介は幼い頃から、本当の兄弟のように仲良く、何をするにもいつも一緒であった。
時が過ぎ、中学生になったみちるは、栄介に恋心を抱くようになっていた。しかし、その栄介は孝三の妻である泰代に叶わぬ想いを寄せていた。
そんな時、鉄道の計画中止で落ち込みを隠せない孝三は、8mmフィルムに村の人々を映した。ふるさとから離れていく人々。鉄道を通す夢が途絶えても笑顔を絶やさない人々。そういった吉野で生まれ育った人々を映した8mmフィルムを残して、孝三はこの世を去ってしまう。

成長した栄介(柴田浩太郎)とみちる(尾野真千子)

学校の授業中。ノートにウェディングドレス姿の新郎新婦のイラストを描いていた

村を離れていく人々。見送る孝三(國村隼)。
電話が鳴り、栄介が受話器を取る。「はい・・・はい・・・はい・・・わかりました、はい」と沈んだ声で答える栄介。皆が集まり、不穏な空気を察する。みちるが「どないしたん?なに?」と栄介をせかし、泰代が「あの人?」と尋ねる。
そして、栄介は警察からの電話だと告げ、「オッチャンの8mmカメラ持った人が見つかって、見に来てくださいって」と力なく言う。

落胆する孝三。時折、音楽を聴き、煙草をくゆらせる
孝三の死は、慣れない仕事勤めで体調を崩していた泰代など、残された家族それぞれの心に影を落とす。それでもなんとか日常生活を保っていく一家。
泰代は実家に帰ること決める。栄介のことが好きで、村から離れたくないみちるだったが、しばらくして母と共に新たな土地へ行くことを決心した。
みちるは家を出ていく前、栄介の部屋を訪ねる。みちるは気持ちを伝える。「あんな好きやねん。でも行くわ、お母さんと」。そして、栄介は「うん」とみちるの頭をなでた。
家族で、孝三が残した8ミリフィルムの温かな映像を観る。それを最後に離れていく家族。
みちると泰代が軽トラックの荷台に乗っかり、村を離れていく。
残された栄介と幸子は、旅館で住み込みとして働くことになった。栄介は手紙などを庭で燃やし、幸子は縁側に腰掛け、吉野の山々を見ながら、かつて子どもたちが歌っていた童謡を口づさんでいた。

栄介に気持ちを伝えたみちる
女優・尾野真千子のデビュー作
現在ドラマなどで女優として活躍する尾野真千子が、本作でデビューを果たしており、劇中での演技が評価され、1988年から開催されている「シンガポール国際映画祭」で「主演女優賞」を受賞した。
尾野は奈良県吉野郡西吉野村(現・五條市)出身。本作のロケハンで訪れた河瀬が尾野の中学校を訪ねた。その際、靴箱の掃除をしていた中学3年生の尾野をスカウトし、本作での主演デビューに繋がったというエピソードがある。
後に河瀬は「初めて会った時のまっすぐな目を見て、この子なら出来ると思った」と述懐している。
劇中で中学生・みちるを演じた尾野だが、時折みせる初々しくもあどけない表情が非常に物語と合っており、飾らない純朴な少女を好演した。

みちる役の尾野真千子

近年の尾野真千子
ロケ地
本作で中止となる鉄道計画。これは実際の計画を基にしている。
奈良県五條市のJR和歌山線の五条駅と、和歌山県新宮市の紀勢本線新宮駅を結ぶ計画だった国鉄の鉄道路線のことである。
木材を鉄道で輸送させる構想で1939年に建設に着手。工事は太平洋戦争の影響で一時中断するが、1957年に工事を再開。しかし、1982年に時代背景もあり、工事が凍結された。
劇中、この計画がとん挫したことで家族は離散していくことになるが、撮影場所周辺は吉野杉などの木材の産地で、のどかな風景が広がっている。

山々の緑が美しかった『萌の朱雀』
撮影時は当時使用されていたバスの車両を、塗装はそのままにJRマークや社名をテープで隠したり、「国鉄」バスに貼り替えて撮影に使ったという。
また、赤い屋根が特徴的な舞台の家は今も現存している。

みちるが屋根に登るシーン

舞台の中心となった家。「恋尾村の田原家」として登場した

家の庭側に「萌の朱雀」撮影地記念碑が建っている

家の中。かまどのある台所
劇中、村人たちが鉄道に関する会合を行う。廃止が避けられない状況になり、「あそこまでつくったのにもったいない」「このままじゃ村が寂れる」「わしらが生きてる間に列車は来ない」などネガティブな台詞が多く登場する。
それほどにこの村が鉄道事業を望み、心待ちにしていたことが分かるシーンだった。
本作を素晴らしくした要素に、鉄道の工事が凍結され、その影響から孝三は自ら命を絶つのだが、鉄道が一切登場しない点がある。
終始、自然に包まれた本作であるが、無機質で工業的なもので登場するのは大きなトンネルが特徴的である。
そのトンネルを要所要所で印象的に、登場人物の心情を代弁するかのように用いることで、工事凍結の空虚感を演出した。
また、このトンネルは孝三だけでなく、子どもにとっても思い出の場所として機能しており、過去と現在を行き来する媒体としても存在感を示した。
凍結し、夢と消えた鉄道を登場させずに、異なる舞台装置とも言えるトンネルを用いて、鑑賞者に鉄道の存在を喚起させる。非常に巧みで、読後感として切なさが残る本作らしい仕掛けであった。

孝三(右)が子どもたちを連れてトンネルにやってきた

幻想的な色合い

思いつめた孝三は、トンネル前に佇む
音が印象的だった
物語の中心は夏である。
夏祭りの音や虫の声、風鈴、子どもたちのはしゃぐ声など、いかにも日本の夏といった雰囲気が自然の音からも演出されていた。
また、孝三が部屋でかける古いレコードから流れる優しい音楽は、作曲家の茂野雅道によるものである。
いかにもバックミュージックといった主張もなく、「登場人物の部屋に昔からあり、よく聴かれていた音楽」といった様子がその少し寂しげなピアノの音から喚起される。
作品データ
監督 河瀬直美
脚本 河瀬直美
公開 1997年
配給 ビターズ・エンド
時間 95分
出演 國村隼、尾野真千子など

河瀬直美の作品は、静かな作品が多いが、根底に「家族」という人生の最小単位がテーマとして描かれることが多い。そこに厳しくも優しい視点で物語を紡ぐ河瀬の情感が、非常に繊細で感動を誘う。
本作の公開から今年2017年で20年。かつて観た方もまだ観ていない方も、是非一度ご覧ください。淡い優しさに包まれると思います。きっと。