ペレの愛称で世界から呼ばれ、「サッカーの神様」と言われた男の本名は「エドソン・アランテス・ド・ナシメント」

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1940年10月23日にブラジルのトレス・コラソネスで生まれる。サッカー選手の現役時代はサッカーブラジル代表のエースとして3度のFIFAワールドカップ優勝。15歳でデビューしてから1977年に引退するまで、実働22年間で通算1363試合に出場し1281得点を記録した。その実績から「サッカーの王様、あるいは「20世紀最高のサッカー選手」とも評され、多くのサッカー選手、サッカーファンから「サッカー史上最高の選手の一人」と一目置かれている。


1975年、北米サッカーリーグに所属するニューヨーク・コスモスに移籍。これはアトランティック・レコードの創設者であるアーティガン兄弟やワーナー・ブラザース社長でニューヨーク・コスモスのチェアマンを務めていたスティーヴ・ロスからの勧誘を受けてのもので、2年契約で移籍金は900万ドル。この契約の背後にはアメリカ合衆国国務長官で熱狂的なサッカーファンのヘンリー・キッシンジャーの存在があった。1970年代当時、サッカー不毛の地と呼ばれたアメリカにサッカーを普及させ、いずれワールドカップを招致したいという思惑があった。
同年6月15日に行われたトロント・メトロス戦には2万5千人の観客が集まり、この後も北米リーグの平均観客数は2万人台を維持した。2年後には西ドイツからフランツ・ベッケンバウアー、ブラジルからカルロス・アウベルトが加わりオールスターチームの陣容を呈し、1977年には同チームの北米選手権のタイトルを獲得。サッカー不毛の地と言われたアメリカでサッカーの伝道師としての役割を果たし人気選手となり活躍したことで、ニューヨーク市の名誉市民に選ばれた。
1977年10月1日にジャイアンツ・スタジアムで行われた引退試合のコスモス対サントスFC戦には7万5千人の観衆が詰掛けた。ペレは前半はコスモスの選手として後半はサントスの選手としてプレーし前半に1得点をあげ自らの引退の花道を飾った。試合後のセレモニーでは「愛を!皆に愛を!世界に愛を!」の言葉で締めくくった。

ブラジル代表としての栄光

ブラジル代表デビューは1957年7月7日のアルゼンチン戦。16歳9ヶ月での代表デビューは当時の史上最年少出場記録であった。試合は1-2で敗れたが、ペレ自身は唯一の得点を決める活躍を見せた。その後、所属クラブでの活躍もあって代表チームに定着していった。

1958 FIFAワールドカップ

サンパウロ州選手権2年連続得点王の実績もあってこの大会の代表メンバーに招集され、背番号は10番を与えられた。大会直前のテストマッチで膝の故障もあってグループリーグの2試合を欠場したが、第3戦のソビエト連邦戦でワールドカップ初出場を果たした。なお17歳でのW杯出場は1982年のスペイン大会で北アイルランドのノーマン・ホワイトサイドによって塗り替えられるまで史上最年少記録であった。
準々決勝のウェールズ戦にも先発出場を果たすと、66分にペナルティエリア内からシュートを決め、ワールドカップ史上最年少となる17歳と239日での得点を記録。続く準決勝のフランス戦では52分、64分、75分と立て続けに得点を決めハットトリックの活躍を見せた。
決勝のスウェーデン戦では、55分に浮き球で相手DFを交わしてからボレーシュート決めて追加点、終了間際にはマリオ・ザガロとのパス交換から駄目押しとなるヘディングシュートを決め5-2の勝利に貢献。大会通算6得点の活躍で同国にワールドカップ初優勝をもたらした。なお、この試合の55分にペナルティエリア内で相手選手のベングト・グスタフソンの頭上にボールを浮かして置き去りにしてから決めたボレーシュートは全キャリアの中でもベストゴールのひとつだったと語られている。この優勝の後、ペレは世界中の新聞や雑誌の表紙を飾り、17歳にして「新たなキングの誕生」と称された。

栄光の背番号「10番」は偶然性の賜物

1958年のスウェーデンの大会でペレは「背番号10」でプレーし、以降のサッカー界で背番号10番はエースナンバーと見なされるようになったが、これは大会当時、チーム内の抽選で割り振られたという全くの偶然から生まれたものであった。

1962 FIFAワールドカップ

1962年のワールドカップ・チリ大会では1次リーグ初戦のメキシコ戦で1得点1アシストと好調を維持していたが、続く第2戦のチェコスロバキア戦の25分にドリブル突破からミドルシュートを放った直後に太股の筋肉を痛めた。当時の規定で交代出場は認められておらずピッチに留まったが、負傷したことを知ったチェコスロバキアのヨゼフ・マソプストとヤーン・ポプルハールらはペレを故意に痛めつけようとはしなかった。ペレはチェコスロバキアの選手達の行為を「真のスポーツマンシップ」と賞賛したが、後の試合に出場することは難しくなった。ブラジルはペレを欠いたもののガリンシャらの活躍もあって大会2連覇を成し遂げた。一方でブラジル代表チームは2度目のワールドカップ優勝を成し遂げたことで国民と国家のシンボル的存在となった。

1970 FIFAワールドカップ

2年間のブランクの後、再び頂点に立ちたいとの意識が芽生え代表に復帰を決意。3度目の優勝を果たせばジュール・リメ杯を永久保持する権限が与えられる事も重要な動機の一つとなった。
1970年のワールドカップ・メキシコ大会ではペレを筆頭にリベリーノ、ジェルソン、トスタン、ジャイルジーニョ、クロドアウドという攻撃陣を擁して雪辱を賭ける。1次リーグ初戦でチェコスロバキアに4-1と大勝すると、第2戦では前回優勝国のイングランドを1-0で退けて決勝トーナメント進出を決める。準々決勝ではペルー、準決勝ではウルグアイを下し2大会ぶりの決勝進出を果たした。ペレ自身は決勝まで3得点に終わったが、周囲のタレントを生かすゲームメーカー役を務めていた。
決勝のイタリア戦では18分にヘディングで先制点を決めると、71分のジャイルジーニョの得点をアシスト、88分のカルロス・アウベルトの得点をアシストする活躍で3度目のワールドカップ制覇に貢献。試合終了後には興奮した観客がピッチに乱入し選手達を担いでウイニングランを行い優勝を祝福した。ワールドカップで3度目の優勝を果たしたことは、「ブラジルの奇跡」と評された高度経済成長期と重なったこともあり熱狂的に受け入れられ、ブラジルの国威高揚に大きな役割を果たした。

私生活

1966年に白人女性と最初の結婚をし一男二女に恵まれたが1978年に離婚。長男のエジーニョは後にサッカー選手を志し、父親の古巣であるサントスFCのテストを受けて合格。父親とは違いゴールキーパーを務めていたが、怪我の影響もあって1999年に現役を引退した。エジーニョは引退後は父の経営するサッカー事業に携わっていたが、2005年に麻薬密売に関わっていた容疑で逮捕され刑務所に収監された。仮釈放後は麻薬中毒のリハビリを受けていたが2006年に麻薬密売組織の資金洗浄に関わった容疑で再逮捕された。
最初の妻との離婚後、ドイツ系ブラジル人のマリア・ダ・ガラサ・メネゲルと交際した。彼女はシュシャという芸名でモデルとして活動しており、1980年代初頭には『PLAYBOY』誌の表紙を飾った。後にブラジルの子供番組の司会者に抜擢されると、ペレは彼女の経歴を懸念しPLAYBOY誌と独占インタビューに応じる代わりに彼女の写真のネガを引き渡す取引を行った。シュシャはこの番組出演を皮切りに映画出演や歌手としても成功を収め、ペレ自身も彼女の番組に特別出演した。シュシャはペレと別れた後はF1ドライバーのアイルトン・セナと交際したが、このことからシュシャを巡ってペレとセナの間でトラブルがあったとの噂が広まった。
1994年4月に心理学者でゴスペル歌手のアシリア・セイシャス・レモスと再婚し、1996年に双子が生まれた。アシリアは2006年にゴスペル界のグラミー賞といわれるGMA賞にノミネートされた。
2016年に日系ブラジル人の実業家マルシア・シビーリ・アオキと3度目の結婚をした。2人が出会ったのは、1980年代、ニューヨークのパーティーであり、その後2008年に再度出会い、2010年から交際を始めた。

神様ペレ 名前の由来

「ペレ」の愛称は、父親の所属していたサッカークラブ、ヴァスコ・デ・サンロレンソのGKの「ビレ (Bilé) 」のファンであったことに由来している。当時のペレは幼かったことや、ミナス・ジェライス訛りもあって「B」の発音が出来ず「P」と発音していた。

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