かぐや姫
1970年に「南高節とかぐや姫」としてデビューし、その後メンバーを変えて1971年に「南こうせつとかぐや姫」で再デビューを果たします。
この時のメンバーが伊勢正三と山田パンダ(山田つぐと)です。
後に名曲を世に送り出す3人ですが、デビューから2年ほどは、あまり目立った存在ではありませんでした。
1973年にグループ名を「かぐや姫」に変更、素晴らしい活躍をしていきます。

古いコートは捨てて 僕の胸でおやすみ
僕の胸でおやすみ

1973年7月リリース。彼らの初のヒット曲です。
作詞・作曲は山田パンダ(つぐと)が担当しました。
綺麗に流れるメロディと、切なさを感じながらも愛のある詩がマッチしている、とてもいい楽曲です。ジワジワとロングヒットを続け25万枚も売り上げました。
名曲誕生
神田川

1973年9月リリース。作曲、南こうせつ。
彼らの最大のヒット曲で、ミリオン(100万枚以上)セラーとなりました。
「二人で行った横丁の風呂屋」「洗い髪が芯まで冷えて 小さな石鹸カタカタ鳴った」
寂しくも温かみを感じさせてくれる詩が、当時の若者たちの心を捉え、瞬く間にヒットしていきました。心に沁みる名曲です。
この歌には色々なエピソードがありますのでご紹介しますね。
神田川 (曲) - Wikipedia
公衆電話の箱の中 ひざを抱えて泣きました
赤ちょうちん

1974年1月リリース。70万枚売り上げた、神田川に続くヒット曲です。
「月に一度のぜいたくだけど お酒もちょっぴり飲んだわね」
「雨が続くと仕事もせずに キャベツばかりをかじってた」
貧しいながらも寄り添う男女の悲恋を見事に描いた感動作です。
リリースする歌が大ヒットする裏側で、ミュージシャンとしての彼らの主義と、商品価値として利益を追求する会社側との溝が、この頃出来上がっていました。
どうしても どうしてもだめだったら帰っておいで 妹よ
妹

1974年5月リリース。
四畳半シリーズと称された「神田川」「赤ちょうちん」に次ぐ3作目。
60万枚を売り上げ、秋吉久美子主演で映画化もされました。
両親を亡くし、2人だけで生きてきた兄妹。
妹の新しい人生の門出に向けて兄の思いをつづった、胸の奥からグッとくる名曲です。
シングルではこの曲のリリースを最後に、1975年4月、彼らは解散することになります。
販売元との溝が埋まることはなかったようです。
ファンや業界に惜しまれながらも、活動期間わずか4年という早すぎる解散劇でした。
彼らは、ミュージシャンとしての魂を守り続けたのでしょう。
彼らにはまだ、「22歳の別れ」「なごり雪」などの名曲がありましたが、シングル化されることはありませんでした。(後に「風」と「イルカ」によってリリースされています)
そして、かぐや姫の解散劇には、ちょっと奇妙な噂・出来事がありました。
ソロデビュー
今日は雨

1976年2月リリース。
かぐや姫解散から2年。満を持してのソロデビューとなりました。
男女の悲恋を切ないメロディにのせて歌い上げています。
オリコン21位までいったヒット曲です。
過去を振り返ると 恥ずかしいことでいっぱいさ
愛する人へ

1977年1月リリースのセカンドシングル。
南こうせつの人柄を表している、素朴ないい歌です。
フォークの原点を感じさせてくれますね。
イメージモデルは郁恵ちゃん
夏の少女

1977年6月リリース。
シングルジャケットが南こうせつの上半身の裸体。。。
悪くはないのですが、ほかの案はなかったのでしょうか?
でも貴重なジャケットですね。
アップテンポでノリのいい曲です。榊原郁恵のイメージににピッタリですね。
あなたに逢う日のときめきは 歓びよりもせつなさばかり
夢一夜

1978年10月リリース。
阿木燿子を作詞に迎えたヒット曲です。
理屈では計り知れない大人の恋心を、阿木燿子独特の世界で表現されています。
サビからエンディングにかけての流麗なメロディも、悲しい女心を際立たせていますね。
資生堂のキャンペーンソングにもなり、TVCMでも随分流れました。
小林麻美の雰囲気とよくマッチングしてましたよね。
活動期間4年弱の伝説のフォークソンググループ「かぐや姫」。
解散後もファンの要望に応え、幾度か再結成しライブを行ってきました。
その中心にいつもいたのが、南こうせつさん。
作曲にボーカルにトークに、彼の笑顔とキーの高い声は、いつもファンのほうを向いてくれていました。
そんな彼ももうすぐ68歳。
まだまだ現役で頑張っていただきたいのと、かぐや姫としてもファンを喜ばせていただきたいものですね。