「5の力を持つ対戦相手をひねりつぶすのは簡単だが、その相手を7の力にまで引き上げながら、こちらは8か9の力で勝ってみせるのだ。
引き上げる前にこちらが6の力で勝っても、お客は私が強いということをわかってくれない。
私に7、8、9、10の力があるというのを見せなければ意味がないのだ。」
いわゆる風車の理論。
「フラれた時は、その女の幸せを願って、一日も早くあきらめることだ。
俺が未熟だった、まだまだ魅力のない男だったと、そしてより光る男になるために体を動かせ。
運動していないのなら走れ。
全力でどこまでも走るのだ。
息の続く限り走って地べたに這いずってでも前に進め。
そうして限界がきた時、自分の汗を舐めてみろ。
ピリッとくるだろう。
このピリッが爽快感となってノドにおりていく。
実にいい味だ。
失恋の味だ。」
猪木は何度か結婚し、すべて浮気が原因で離婚している。
恋も行くしかない!
「ところで男と女、好きになるとセックスをする。
セックスは悪いことではない。
しかしセックスするからにはそれなりの知識を頭に詰めこんでいなければならない。
試験前に勉強するのと同じだ。
知識なしにただ好奇心でセックスすると女は妊娠してしまう。
女を妊娠させる男など最低だ。
お互いが合意の上ならいい。
計画したのならいい。
学業の途中、妊娠させるような男は男のクズだ。」
猪木には、寛子さんという娘がおられ、ミュージカル「アニー」でアニー役を演じた。
「男のケジメで坊主にしました。」
1986年5月21日 、写真誌に女性スキャンダルを掲載された猪木は、突然、坊主頭で登場し、周囲を驚かせた。
「ところで藤波の話に戻るが彼はイタズラ好きである。
うちでは1番ではないかな。
たとえば犬を埋めて首だけ出して動けないようにしてセッセとエサを運んでいる。」
藤波は16歳からずっと猪木の付き人をやっていた。
18歳のとき、猪木が仕事でアフリカに行くことになって、藤波も一緒に行った。
ジャングルのなかで20日間の予定でキャンプを張ったが、猪木は途中で
「急用ができたから先に帰る!」
といって日本に帰った。
海外旅行は初めての藤波は、マサイ族の中で1人になり、言葉もわからず身振り手振りだけで過ごし、なんとか独力で日本へ帰った。
しかし今でもどうやって帰ってきたのか覚えてないという。
どうにか帰ってきたとき、猪木はいった。
「やろうと思ったらできるだろ!」
「人は歩みを止め闘いを忘れたときに老いていく。
今こそ格闘ロマンの道を突き進め。」
1999年10月11日 橋本対小川戦のリングアナとして発言。
猪木がいなければ日本の格闘技は変わっていた。
猪木が行った異種格闘技戦に憧れた佐山聡や、猪木とは新旧の格闘王の間柄である前田日明が、日本の総合格闘技の始まりだった。
生まれてくる時代が違っていれば、猪木なら総合格闘技で世界チャンピオンになっていたかもしれない。
「道はどんなに険しくとも、笑いながら歩こうぜ。」
Keep Smiling.
2000年1月4日 橋本組対vs小川組戦の立会人として。
「今、俺は人生のホームレスをやっております。」
2001年2月18日 新日両国大会にて 。
「俺の心はオープン24時間」
2002年1月4日 新日東京ドーム大会にて。
娘の寛子さんからの手紙の中に
「私の心は24時間開いているよ」
とあり、そこから取ったものと思われる。
(蝶野へ)「力があるから、チョーノー力。」
2002年2月1日 新日道立総合体育センター大会。
主力選手の退団騒動に揺れた新日本プロレス。
蝶野がリング上で猪木との公開討論を宣言し、「新日本の神」を呼び入れた。
猪木は、蝶野を新日の現場責任者に任命し、期待を込めていったダジャレである。
「できるかどうかは関係ない。
まず発表してしまうこと。
それでいろいろ周りを巻き込んで 実現へと向かわせればいい。
それがオレのやり方。」
1991年の猪木の東京都知事選出馬のきっかけは、ハッタリから出たものだった。
かつて猪木はソ連首脳陣に接触を図っていた。
そこで知り合ったバグダーノフ将軍らに、猪木は都知事の許可も得ずに鈴木東京都知事(当時)を連れてくると約束。
さらに勝手に佐川急便の中古のトラック100台をプレゼントするとも約束。
結局どれも果たせず、ソ連首脳陣から「嘘つき」呼ばわりされ、以後、「クレムリン出入り禁止」となった。
以後、猪木は鈴木知事を逆恨みし、おまけに猪木vsアリを茶番とけなしたNHKの磯村尚徳が東京都知事選立候補を表明。
猪木は都知事選出馬を決意した。