お茶の間が驚いた黒塗りの顔
シャネルズ

1980年にレコードデビュー後、ヒット曲を連発。
何と言ってもこの容姿には世間が驚きましたね。
ボーカルの4人の顔が黒塗りで、いったい何者?と話題になりました。
何を塗っていたのかご存知ですか?
当初は靴の黒墨と白髪染めを塗っていたそうです。落とすのが大変なうえに肌荒れがひどかったようです。後にメイクさんから黒のファンデーションを教えてもらって途中から変更したようですが、ご苦労なさったのですねぇ。
1983年にグループ名をラッツ&スターに変更。
鈴木雅之はメインボーカルとして活躍を続けました。
ドゥ・ワップ旋風
ランナウェイ

1980年2月、レコードデビュー。
見た目でビックリ、歌でビックリ。
一見するとコミックバンド?って思われそうなスタイルだけど、歌はとてもイイ。
このギャップが話題となりデビューシングルがいきなりミリオンセラー。
ほとんどの人がドゥ・ワップって何?って思ったそうです。当時では聞きなれない言葉だったのですねぇ。
ドゥ・ワップ第2弾
トゥナイト
1980年6月リリース。
「ランナウエイ」に続いてのヒット曲。
音楽界で最高のスタートを切ったシャネルズですが、この歌の発売直後、メンバー数人が興行先で事件を起こし、マスコミに大きく取り上げられ、デビュー半年でいきなり謹慎となり、ファンを落胆させました。。

自粛明けの3rdシングル
街角トワイライト

1981年2月リリース。
半年の自粛期間を経て発売したシングルは、オリコン第1位の大ヒットとなりました。
色々ありましたが、ファンは待ちかねていたのですね。
この後、「ハリケーン」「憧れのスレンダーガール」など次々とヒット曲をリリースしていきます。 そして1983年にシャネルズからラッツ&スターに改名します。
渚まで 噂走るよ めっ!
め組のひと

1983年4月リリース。
改名後のファーストシングルにして、オリコン1位のヒット曲。
資生堂の夏のCMにのり、「めっ!」が流行しました。
この後も「Tシャツに口紅」、「月下美人(ムーンライト・ハニー)」などのヒット曲を出しつつ、あのデュエットの定番ソングが生まれます。
聖美姉さんとデュオ
ロンリーチャップリン

1987年7月リリース。
この年の3月に発売された鈴木雅之のシングル、「Liberty」のB面だった曲を鈴木聖美メインに、雅之との姉弟デュエットでシングル化したもの。
カラオケで歌った人も随分いるのではないでしょうか?
デュエットの定番ソングとしてロングヒットを続けましたね。
この後、ライブなどの単発的な出演はしつつも、グループは活動休止状態となります。
メンバーはそれぞれの世界で活躍するようになり、ソロでシングルリリースしていた鈴木雅之は活動を本格化させていきました。
ソロデビューシングル
ガラス越しに消えた夏

グループが活動休止状態になりつつあった1986年にリリースされた、ソロとしてのファーストシングル。
ラッツ&スターの歌と一味違うバラード調のスローテンポで、とてもいいラブソングです。
カップヌードルのCMソングにもなりヒットしました。
もう涙はいらない 僕がそばにいるから
もう 涙はいらない

1992年5月リリース。
R&Bのリズムに乗ってオリコン8位になったヒット曲。
この頃になると、グループは完全に停止状態になり、メンバーはそれぞれの道へ、鈴木雅之はソロシンガーの地位を確立していました。
違う、そうじゃない

1994年1月リリース。
キャリアファッション「ブティックJOY」のCMにも起用され、オリコン9位になったヒット曲。
桃子ちゃんとデュオ
渋谷で5時

当初は1994年発売の「違う、そうじゃない」のカップリングで発売されましたが、1996年2月に菊池桃子とのデュエットでリリースされヒットしました。
菊池桃子がデュエットソングを歌うことで話題になり、歌の題名は「今日は〇〇で5時」と変換され、流行語にもなりました。
この歌もカラオケでよく歌われていましたね。
復活 ラッツ&スター
夢で逢えたら

グループとしては9年ぶり、シングルリリースは11年ぶりとなる1996年4月に発売されたヒット曲。
従来のノリのいいアップテンポの曲と違って、しっとりとしたバラード調のメロディが、彼らの歌声とコーラスにマッチしてとてもいい大人のラブソングになっています。
再集結した彼らはリリースのみにとどまらず、全国ライブツアーも決行しました。
そして再び活動休止した彼らの再再終結を願うファンは多いのですが、現状はなかなか難しいようです。
鈴木雅之さんはその後もソロとして、シングル、アルバム、ライブと精力的に活動を続けています。
デビューから36年、今や大ベテランとなった鈴木雅之さん。
今後も魅力的なハスキーボイスでファンを酔わせていただきたいですね。