メディア露出が極端に少ないものの、地道なライブ活動によって確実にファンを獲得してきました。デビュー後の数年間は、事務所からの方針により自らが目指す方向性を屈折させられ逡巡していました。そのため、初期の頃は自分の生き方そのものへの懐疑を投げかけた楽曲が多く存在しています。
こうした経緯から、1970年代の初期の作品に対して、あまり良い印象がないことを隠そうとしません。「5枚目までのアルバムは全部廃盤にして欲しい」と語ったこともある程です。特にサウンド面で納得がいっていないらしく、1980年代以降にほとんどの楽曲をリメイクしています。
浜田 省吾と広島
一般的に知られているバラードの他にも、父親の被爆体験から、日本や戦争を歌った楽曲も数多く存在し、いわゆるビッグネームの中では最もプロテスト色の強いアーティストであるといえます。また、「ロック=英語」という既成概念に疑問をもち続け、日本語による歌詞や歌唱にこだわりました。このことは以降のミュージシャンにも大きな影響を与えています。
「マイホームタウン」、「MONEY」、「DADDY'S TOWN」など、浜田ほど「故郷・広島」を歌ったアーティストはいないでしょう。広島が作品のなかで大きなテーマになってくるのは"家路につく"という意味を持ったタイトル作『Home Bound』以降であるが、広島を背景にした曲は、原爆、基地の街、錆びれた街、工業地帯といった物で、懐かしい場所として讃える「ふるさと賛歌」とは異質のものになっています。
浜田 省吾と妻、家族
ソロ・ファースト・アルバム 「生まれたところを遠く離れて」
プライベートなことはほとんど話さないため、あまり知られていませんが、1978年に25歳で結婚しています。ファースト・アルバム『生まれたところを遠く離れて』の裏ジャケットで腕を組んで歩いている女性が現在の夫人です(当時は恋人)。また、「I am a father」「花火」「五月の絵画」といった父親が主人公の楽曲を作っていますが、現在まで浜田本人には子供はいません。
浜田省吾2003年発売のシングル「君に捧げるlove song」です。石田ゆり子さん主演のPVでも評判となった大人のバラードで、2003年発売のバラード・コレクション「初秋」にも収録されました。
歌詞のテーマは「妻を亡くした男の物語」というヘヴィなものでした。そして、その重いテーマに負けないくらいに、その重たさをしっかりと受け止めて完成された楽曲になっています。
この歌が発表された時期、一部のマスコミ報道から浜田省吾の妻が亡くなったのではないかとの憶測が飛び交いました。もちろん、作品は創作だったのですが、そうした誤報が生まれるくらいに、この歌にはリアリティがあったということだと思われます。