ダンスパートナー誕生~競走馬デビュー
1992年5月25日、ダンスパートナーは父サンデーサイレンスと母ダンシングキイとの仔として北海道千歳市の社台ファームで誕生しました。
5月生まれというのは、成長過程の早い競走馬としては遅生まれで、しかも幼少期は奥手で怪我の多かったダンスパートナーは、まわりの幼駒と比較しても華奢で見劣りするような仔馬だったといいます。
遅れてきた天才少女
そんな幼少期を過ごしたダンスパートナーでしたが、血統背景を関西の白井調教師に見初められ、3歳の11月にようやく入厩しました。
ところがダンスパートナーはゲート入りが大の苦手で、調教が思うように進まず、年の明けた1月にようやくデビュー戦にこぎつけました。
ようやくのデビュー戦となった1月29日の小倉競馬4歳新馬戦 芝1200m。
1番人気になっていたダンスパートナーですがスタートで苦手のゲートにつまずき大きく出遅れました。
ここからの挽回は絶望的とも思われましたが、結果はなんと2着を2馬身近く離して圧勝。
その強烈な末脚は新馬戦レベルではモノが違いました。
出遅れ癖が治らず苦戦の4歳春
ところが2戦目のエルフィンステークス(京都競馬場 芝1600m)でもスタートで大きく出遅れ2着。
続く桜花賞トライアルのチューリップ賞(京都競馬場※ 芝1600mGⅢ)では鞍上を武豊騎手に強化し臨みましたが、やはりまた出遅れハナ差の2着となってしまいました。
チューリップ賞|1995年03月11日 | 競馬データベース - netkeiba.com
出遅れ癖を克服できぬまま迎えた牝馬クラシック初戦の桜花賞(京都競馬場※ 芝1600mGⅠ)ですが、名手武豊の手腕をもってしても出遅れを防ぐことができず、結果はワンダーパヒュームに及ばずクビ差の2着という悔しい結果に終わりました。
せっかく「爆発的な末脚」という天賦の才能を備えているのに、この出遅れ癖が治らなければ、まさに宝の持ち腐れとなってしまいます。
白井調教師をはじめとした陣営はダンスパートナーの出遅れ癖を治すべく荒療治を決行します。
※・・・同年1月の阪神淡路大震災のため京都競馬場で開催
桜花賞|1995年04月09日 | 競馬データベース - netkeiba.com
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オークスで魅せた!天賦の末脚
厩舎スタッフの懸命な努力により、出遅れ癖を解消したダンスパートナーは万全の状態でオークス(東京競馬場 芝2400mGⅠ)へ挑みました。
このレースでは安藤勝己騎手騎乗のライデンリーダー、藤田伸二騎手のイブキニュースターに次ぐ3番人気に支持されました。
初めて出遅れずにスタートを切ったダンスパートナーは中団よりやや後方に位置取り、仕掛けどころをじっと待ちます。
最後の長い直線に差し掛かった時、名手武豊からのゴーサインに鋭く反応したダンスパートナーは、その天賦の豪脚を爆発させ前を行くライバルたちをまとめて差し切り、見事にオークスを制しました。
優駿牝馬|1995年05月21日 | 競馬データベース - netkeiba.com
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世界への挑戦!フランスへ
オークスを制し、普通であれば次の目標は秋のエリザベス女王杯(当時はまだ秋華賞が無く、当レースが牝馬3冠目に位置していた)となりますが、ダンスパートナーは一気に世界へと羽ばたくことになりました。
目指す先はフランスGⅠヴェルメイユ賞です。
ダンスパートナーは7月26日にフランスに到着。前哨戦となる8月終わりのノネット賞まで現地のコリン・バブル厩舎に預けられました。
現地のスタッフとともに調教を開始したダンスパートナーでしたが、日本人スタッフは調教にタッチさせてもらえませんでした。
そんな中で迎えた前哨戦のノネット賞でしたがレースは4頭立てで行われ、結果はハナ差の2着。
当時、世界ではまったくといっていいほど評価されていなかった日本馬ですが、ダンスパートナーの競馬を見て、現地での日本馬に対する評価は大きく変わったといいます。
どんよりとした曇天の中、ロンシャン競馬場でおこなわれたヴェルメイユ賞(芝2400mGⅠ)ですが、「異国から来た天才少女」ダンスパートナーはこのレースで1番人気に支持されました。
大きな期待をうけ日本中の競馬ファンが見守ったこのレースですが、ダンスパートナーは馬群に包まれたまま武器である末脚を余した無念の6着に敗れました。
帰国したダンスパートナーは、牝馬の既成路線であるエリザベス女王杯には進まず、菊花賞(京都競馬場 芝3000mGⅠ)挑戦という牡馬との勝負を選択しました。
その菊花賞でダンスパートナーはなんと1番人気となりましたが、レースの方はマヤノトップガンが優勝、ダンスパートナーは5着という結果に終わりました。
菊花賞|1995年11月05日 | 競馬データベース - netkeiba.com
オークス以降、勝ち星に見放されたダンスパートナーでしたが、勝ち癖をつけるため、年内最終のレースは有馬記念ではなく、比較的勝算の高い阪神牝馬特別(阪神競馬場 芝1600mGⅡ)に出走が決まりました。
しかしその阪神牝馬特別で、ダンスパートナーは6番人気サマニベッピンに敗れまさかの2着に終わります。
5歳シーズン
勝ち運に見放され続けた春
年が明け、心機一転、白星を狙うダンスパートナー陣営が選んだ1996年初戦はアメリカクラブジョッキーカップ(東京競馬場 芝2200mGⅡ)でした。
結果はカネツクロスの2着に終わり、続いて京都記念(京都競馬場 芝2200mGⅡ)に出走。
ここもテイエムジャンボの2着に敗れ、勝ち星から見放されるという長いトンネルはまだ続きます。
春3戦目となった産経大阪杯(阪神競馬場 芝2000mGⅡ)ではタイキブリザード、インターユニークらと接戦を繰り広げましたが0.1秒差の4着。
続く京阪杯(京都競馬場 芝2200mGⅢ)でようやく優勝し、これが実に8戦ぶりの勝ち星となりました。
その後も安田記念(東京競馬場 芝1600mGⅠ)、宝塚記念(阪神競馬場 芝2200mGⅠ)に出走しましたが、それぞれ6着、3着に終わり、5歳の春シーズンは6戦して1勝とダンスパートナーにとって不本意なものでした。
安田記念|1996年06月09日 | 競馬データベース - netkeiba.com
宝塚記念|1996年07月07日 | 競馬データベース - netkeiba.com
秋は京都大賞典(京都競馬場 芝2400mGⅡ)から始動、結果は4着でしたがまずまずの手ごたえを感じ、昨年出走を見送ったエリザベス女王杯(京都競馬場 芝2200mGⅠ)に挑みます。
1番人気に支持されたエリザベス女王杯では苦しみながらも見事にGⅠ制覇!自身GⅠレース2勝目となりました。
エリザベス女王杯|1996年11月10日 | 競馬データベース - netkeiba.com
続けてジャパンカップ、有馬記念へと挑戦しましたが、ともに掲示板にも載らない惨敗を喫し1996年シーズンを終わります。
再び海外挑戦!~そして引退へ
明けて6歳となったダンスパートナーの1997年初戦に選ばれたのは、なんと香港で行われるクイーンエリザベス2世カップ(芝2000m)でした。
並々ならぬ意欲で挑んだこのレースですが結果は8着と振るわず、その後も鳴尾記念、宝塚記念へ出走するもともに3着と惜敗に終わりました。
秋になり京都大賞典を初戦に選択しましたが結果は2着。続いてエリザベス女王杯で連覇を狙うもエリモシックのクビ差2着に惜敗しました。
そしてこの年の有馬記念(14着)を最後に、ダンスパートナーは引退。
日本、フランス、香港と世界を駆け巡った才女の競走馬人生は終幕を迎えました。