日本女子プロゴルフのパイオニア的存在
日本女子プロゴルファーの第1期生。男女通じて初のメジャー(全米女子オープン)に優勝。現役時代は「チャコ」の愛称で親しまれた。50歳で現役を引退すると日本女子プロゴルフ協会会長に就任。現在は相談役。常に日本女子プロゴルフのパイオニア的存在だった。
プロフィール&成績・記録

樋口久子 プロフィール写真
樋口 久子 プロフィール詳細|LPGA|日本女子プロゴルフ協会
名前
樋口 久子
生年月日
1945年10月13日
身長
163 cm
体重
60 kg
血液型
O型
出身地
埼玉県川越市
出身高校
二階堂高等学校
優勝回数
72(国内 69勝、海外3勝)
※ほかに国内対象外
※海外3勝のうち、1勝は、メジャー(全米女子オープン)

1969年 日本女子プロ選手権

1969年 日本女子プロ選手権
日本女子ツアー賞金王
1968, 1969, 1970, 1971, 1972, 1973, 1974, 1975, 1976, 1978, 1979年
世界殿堂入りそして文化功労者に選出
プレーヤーとして引退した後
各賞受賞
とにかくすごい人なのです。
結婚は??子供は??
松井功さんと結婚

松井功
異例72歳 日本プロゴルフ協会元松井会長 キャロウェイと契約 (ゴルフ) ― スポニチ Sponichi Annex スポーツ
キャロウェイゴルフ、72歳の松井功と新契約【国内シニア JGA】|GDO ゴルフダイジェスト・オンライン
樋口久子さんが結婚したのは、27歳の時でした。お相手は、元プロゴルファー、元日本プロゴルフ協会会長の松井功さん。2014年には、日本プロゴルフ殿堂の新理事長に就任している。
結婚後も樋口さんは、ゴルフで忙しく、松井功さんとのスレ違いが多かったようです。
そんな時に流産なさったようで、大きなショックを受けられました。
最終的に悩んだ結果、10年後、離婚という選択でした。いがみ合っての離婚ではないので、その後も話し合ったりすることもあるようです。
1985年に再婚
1985年に再婚されています。旦那さんには大塚克史さんです。現在は「オフィス・チャコ」の社長。3年後の1988年に子供を出産しています。樋口さんの年齢は42歳。高齢出産でした。
最大の失敗は、子育て

樋口 最年長V
【私の失敗(3)】樋口久子、娘は「ゴルフに母親を奪われた」 (2) - ゴルフ - SANSPO.COM(サンスポ)
「最大の失敗は、子育てでしょ」
幼い頃の娘には家を出るたびに泣かれ、足にすがりつかれたこともありました。後ろ髪を引かれる思いで、家族やベビーシッターに預けてコースへ向かいました。
元気な声が聞きたくて1日に何度もかけましたが、娘は大きくなるにつれて電話口に出てくれない回数が少しずつ増えていきました。
小学5、6年生のころ「一緒にゴルフをやらない」と誘ったら、「私と同じ(寂しさを味わう)子供ができるのは嫌だから、やらない」と断られたのはショックでした。
でも、今では娘さんもゴルフをされているようですので、仲良くされていることと思います。

樋口さん、佐伯三貴プロ、樋口さんの娘さんの久仁子さん
ハワイならではの(^-^)|ブログ|佐伯三貴公式サイト
岡本綾子さんとの確執は??
「私の履歴書」の中で
日経新聞の連載「私の履歴書」(2013年に「岡本綾子 情熱と挑戦 私の履歴書」として書籍化)の中で、
エピソード1
岡本綾子さんの5、6歩先を歩いていた樋口さんが同伴の2人(小林法子さん、大迫たつ子さん)に「岡本って、飛ぶ、飛ぶと言われるけどたっちゃん(大迫さん)より飛ばないじゃん」と言われたことにびっくりした。
エピソード2
ホールアウト後、「握手するところを撮らせて」とカメラマンに言われたが、樋口さんは「嫌よ、なんで握手しなきゃいけないのよ」と。結局は握手したようですが、印象深かったと語っている。
2016年の初対談では…
2016年2月28日放送のテレビ東京系「初公開!波瀾万丈の半生記…樋口久子メジャー制覇の舞台裏&岡本綾子と初対談!!」で、不仲説、握手拒否事件について2人が語っている。

一緒に麻雀やってたんだ!ね、仲いいですよね 笑
対談内容1
握手事件について、「強烈だったけど、今はいい思い出。あの時に私もあれぐらい強くならないといけない。あれぐらいやるようじゃないといろいろなことが跳ね返せない」と思ったと言っている。

初公開!波瀾万丈の半生記…樋口久子メジャー制覇の舞台裏&岡本綾子と初対談!!'
まさかを起した凄い人 初公開!波瀾万丈の舞台裏 樋口久子プロ生活50周年記念SP | テレビ東京
対談内容2
当時は「2人が立って話しているのをカメラに収められるのが嫌だった」と岡本さん。
樋口さんも「常にケンカしているように面白おかしく書き立てたれられた。2人はそんな風に思ってない。あの時代は試合中に白い歯を見せると批判されたので、笑い合うなど考えられなかった」と話している。
対談内容3
1996年、樋口がLPGA会長に就任すると、副会長として支えていた岡本が突然辞任。その時にも不仲説がささやかれた。
樋口さんは「私の後はあなたが会長をやるとみんな思っている」と辞表を突き返したそうです。岡本さんは当時、重い病気を患っていたらしいのですが、樋口さんには、そのことを言わなかったようです。
岡本さんのレッスンは素晴らしいとの定評で、たくさんの著書も出ています。
お門下生として、
森田理香子
表純子
服部真夕
若林舞衣子
青山加織
がいます。
樋口さんの著書としては…
まとめ
樋口さんと岡本さんが現役で戦っていた頃、私は学生として関わっていましたが、樋口さんは絶対的な存在で、まわりは「樋口さんがいなければ、日本の女子プロゴルフは成り立たない」という気持ちで対応していたと思います。今のイ ボミさんもそういった存在っぽいですが、全く比較になりません。
また当時は、男子プロ全盛時代で、青木功、尾崎将司、中嶋常幸のAONが大活躍で、スターがいっぱいいました。
その頃は、今のボランティア制度といったものはなく、学生がお手伝いすることが多かったのですが、男子プロのお手伝いの時は、男子プロと一緒の高級ホテルに泊まらせていただき、スポンサーの社長さんたちと一緒にディナーといったこともありました。
一方、女子の方は、社員寮での宿泊で、寮の食事という経験があります。
今のボランティアさんのことを思えば贅沢な話ですが、トーナメントのお手伝いの話があれば、当然、男子の方に行きたがったものです。
そういった環境の中でしたので、まわりは樋口さんを女王様扱いしていたのでしょうね。少しほかの選手からは、孤立していたのかもしれません。従って、樋口さん以外の選手が、樋口さんより目立ったりするのをまわりが嫌っていたのかもしれません。