7年連続リバウンド王!デニス・ロッドマン
1961年5月13日生まれ。アメリカニュージャージー州トレントン出身。
80年代から90年代にかけて、NBAを代表する優れたディフェンダーであり、92年から7年連続リバウンド王に輝くなど歴代でも屈指のリバウンダーであった。

デニス・ロッドマン
【個人データ】
・身長(現役時):203cm
・体重(現役時):105kg
・足のサイズ:32.0cm
【所属チーム】
・デトロイト・ピストンズ(1986~1993年)
・サンアントニオ・スパーズ(1993~1995年)
・シカゴ・ブルズ(1995~1998年)
・ロサンゼルス・レイカーズ(1999年)
・ダラス・マーベリックス(2000年)
・ロングビーチ・ジャム(2003年)※アメリカ・独立リーグABA

赤毛!よく見るとブルズ(牛)のロゴが刈り込まれている!
1995年にシカゴ・ブルズへ移籍し、大活躍!!
90年代中盤の日本では、マイケル・ジョーダンの知名度も手伝って、当時3連覇を達成し、黄金期を迎えていたシカゴ・ブルズの人気が高かった。
その頃、95年にトレードでチームに移籍してきたのがロッドマンであった。
当時のチームはジョーダンがメジャーリーガーを目指すなどして、94-95シーズンの優勝を逃していた。しかし、このロッドマンの加入と95年3月に復帰したジョーダンによって息を吹き返したチームは、72勝10敗でレギュラーシーズンを終えると、シアトル・スーパーソニックスを破り、4度目のリーグ制覇を成し遂げる。
以降も”横綱”ぶりを発揮し、再び3年連続でリーグを制覇することになった。

ロッドマン(左)に”いい子いい子”するマイケル・ジョーダン(右)
得意のリバウンドでチームを支えたロッドマンだったが、シカゴ・ブルズへの移籍に対しては、当初チーム内から不安視する声も上がっていた。
差別的な発言など強烈すぎる彼の個性が、チームの輪を乱すのではないかというものだった。
事実、「NBA最優秀守備選手賞」も獲得するほど活躍したデトロイト・ピストンズ時代は、「バッドボーイズ」と呼ばれた乱暴なプレイすら厭わない激しいディフェンスで悪名を轟かせ、シカゴ・ブルズで同僚となるスコッティ・ピッペンをコート外の観客席まで突き飛ばし、さらには汚い言葉で罵り、ピッペンの顎に怪我を負わせるなど”問題児”のレッテルを張られていた。

ピストンズ時代のロッドマン
入団後、ロッドマンは試合中にエキサイトする場面でも、ジョーダンやピッペンになだめられ、少しづつチームのためにプレーをする姿が見られるようになる。
また、乱闘になりそうになると、チームメートが全力で止めに入り、ときには巻き込まれた味方も苦笑いするほどだった。
試合では審判にヘッドバットするなど問題を起こすこともあったが、リバウンドとディフェンスの技術はチームに好影響を与えていた。
フィル・ジャクソン監督の指揮によりシカゴ・ブルズの選手はチームとしてよく機能し、マイケル・ジョーダン、スコッティ・ピッペン、そしてロッドマンの3人は最強のトリオとしてセンセーションを巻き起こした。95-96シーズンのブルズは史上最高クラスのチームとして快進撃を続けていくことになった。
ちなみに前述の4度目のリーグ制覇後にシカゴで行われたセレモニーで、ロッドマンはピストンズ時代に怪我を負わせたことをピッペンに謝罪している。

最強のトリオ!真ん中がスコッティ・ピッペン

むんず!

関係無いけど、こちらは小さく見えて 大きく乗れるマツダ「デミオ」のCMに出演していたピッペンさん!
シーズン終了後に出版した自伝 『Bad As I Wanna Be(邦題『ワルがままに』)』。
その中でデビッド・ロビンソンやサンアントニオ・スパーズ、リーグのコミッショナーデビッド・スターンを散々にこき下ろし、マドンナとの交際を赤裸々に明かすなど言いたい放題の内容が話題を集め、同書はベストセラーになった。

自伝の出版サイン会になんとウェディングドレス姿で登場!

マドンナ
活躍に伴い、ロッドマンに対する人気もかつてないほど上昇。
数試合おきに髪を染め直し、自由気ままな言動が論争を呼びつつ注目を集め、「ロドマニア」と呼ばれる熱狂的ファン集団も登場させた。
また、同時に全身のタトゥーもますます増えていった。

右上はゴルフのグリーンです
スラムダンク・桜木花道のモデルはロッドマン!でも、実際は違う!?
同じ赤毛のロッドマンとスラムダンクの主人公・桜木花道。
同じく、自由奔放な行動と発言が”売り”の二人。
かつてロッドマンが桜木のモデルではないかと噂が立った。

ロッドマンと桜木花道のリバウンド合戦!?
ロッドマンはシカゴ・ブルズでは背番号「91」だが、ピストンズでは「10」を付けていた。
週刊少年ジャンプでの『スラムダンク』の連載開始が、1990年であることを考えれば、桜木のモデルとなっていた場合はピストンズ時代であると考えられる。
89-90、90-91年シーズンのロッドマンは、2年連続で「NBA最優秀守備選手賞」を受賞し、リーグ最高のディフェンダーとして認知されていた。2011年に背番号「10」がピストンズの永久欠番に登録された。それほど活躍していたロッドマン。
また、両者共にポジションもパワーフォワードであり、リバウンドに強いといった特長も共通している。
そして、湘北高校での桜木の背番号もまた「10」である。
それらのことから、桜木のモデルはロッドマンであると定説のように思われたが、作者の井上雄彦は否定しているそう。井上は「桜木にモデルはいない。しいて言うならチャールズ・バークレー」と語っている。

天才ですから
「リバウンド王」、「天才」、「赤頭」、「退場王」などの異名の共通点を考えても、ロッドマンがモデル説が有力だと今も考えている(もしくは勘違いしている)方は多いだろう。
筆者的にはチャールズ・バークレーのイメージが桜木とあまりリンクしないのだが・・・。

リバウンドを制するものは試合を制す!!

リバウンド王 桜木!!!!

こちらは7年連続のリバウンド王 ロッドマン!!!!

桜木花道がボールに飛びつく!

ロッドマンもボールに飛びつく!

チャールズ・バークレーはボールと寝っころがる!
ロッドマンのスーパープレー動画
1997年、スマスマにも出演し、香取慎吾と共演!
1997年6月、フジテレビ「SMAP×SMAP」にロッドマンが出演し、香取慎吾演じる”デニス・カッドマン”と共演している。
しかも何故かカッドマンの友達の”SASAKIくん”という設定であった。笑えるパロディだった。

左がデニス・カッドマン(笑)
昔のスマスマ コント編|HANAのブログ

本物のロッドマンが登場!機嫌良さそう

背中に”SASAKI”の文字が!

ロッドマン、デカ過ぎ!
マイケル・ジョーダンも認めたロッドマンの戦術理解力
ロッドマンは名将フィル・ジャクソン監督の難解な戦術を理解するなど高いバスケットボールIQも持っていた。
マイケル・ジョーダンをして「ロッドマンは私を含む誰よりも早く、トライアングル・オフェンスを理解した。」と言わしめるほどだった。事実、当時ブルズが採用していたトライアングル・オフェンスの複雑な戦術を早々と理解し、プレイに反映させるなど、戦術理解力の高さを証明していた。
ロッドマン自身が執着しなかったこともあるが、卓越したディフェンス能力に比べて、得点能力は低かった。トライアングル・オフェンスでは、その得点能力の低さを逆に利用し、得点能力の高い選手に迷わずパスを回しチームオフェンスを活性化させたり、豊富な運動量で積極的に味方選手の補助としてスクリーンを掛けにいき、味方がシュートを外せばリバウンドを制し、再び味方にボールを回しセカンドチャンス、サードチャンスを渡すという非常に有機的なプレイを実践していた。

戦術理解の早さと喧嘩っ早さは紙一重!?
また、彼のリバウンドセンスは天性のものと評されることが多いが、実は努力の賜物と言える。
NBA入り当時は、チームの練習後一人残り、あらゆる角度からシュートを打ち、どこからシュートをすればボールがどうリバウンドするかを研究していた。
また、チームのシューティング練習中は、自分で練習することはせず、チームメイトのシュートを観察していたという。

陰で努力をしていた背番号「91」
高校2年時にバスケを始めるが長続きせず、テキサス州の短大を成績不良で中退し、サウスイースタン・オクラホマ州立大学に入り直す。そこで20歳にして再びバスケを始めたロッドマン。
1997年には映画「ダブル・チーム」に出演。また7月にはプロレスの「nWo」総帥ハルク・ホーガンと組み、ザ・ジャイアント、レックス・ルガーと対戦するなど、本当に話題に事欠かなかった。
こういった選手がまた見たいものである。

プロレスに挑戦したロッドマン!

最後の画像はロッドマンのナイキTシャツ