近ごろは子煩悩なパパのイメージ?オジー・オズボーン

2002年から2005年にかけて放送されたMTV「The Osbournes」(オズボーンズ)という人気番組で、一家のプライベート姿を披露。世界的名声を取り戻すきっかけになると同時に、音楽を知らない人からの知名度も上がったオジー・オズボーン。
ビバリーヒルズの豪邸にカメラが入り、そこで繰り広げられる妻のシャロン、娘のケリー、息子のジャック、それにペットとの風変りな日常がそのまま放映され話題に。家族はたちまち世界のお茶の間の人気者になりました。
実は70年代から君臨するヘヴィ・メタルの帝王オジー・オズボーン
ヘヴィ・メタル界の帝王として1970年代から活躍を続けるカリスマシンガー、オジー・オズボーン。独特のハイトーンヴォイスと数々の伝説となった常軌を逸するライブパフォーマンスが有名です。80年代には自身のバンドを立ち上げ、当時はまだ無名のギタリストを起用し、彼らは次々にギター・ヒーローになりました。同時にバンドの音楽は世界中の多くのロック・キッズたちのハートを鷲掴みにしました。
そんな彼は1948年12月3日にイギリスのバーミンガムで労働者階級の家に誕生しました。あまり素行はよくなかったようで、盗みを繰り返しては酒代につぎ込んでいたというエピソードも。15歳で学校を辞めた後、起死回生を狙ってバンドを結成しました。

ブラック・サバス(Black Sabbath)
1968年にオジーが中心となり、人を怖がらせる音楽を作るというコンセプトのもと、ブリティッシュ・ハードロックの伝説的バンド、ブラック・サバス(Black Sabbath)を結成。そのコンセプトが当たり、一躍人気のバンドに。数々のアルバムを発表しました。同時に各地を巡る長いツアーの間、オジーはアルコールや薬物に依存しはじめ、バンド継続が危ぶまれていきます。次第にメンバー内で軋轢が生じ、ついには他のメンバーから解雇されてしまいます。
80年代の活躍を支えたギタリストたち…初代「ランディ・ローズ」

Randy Rhoads
1979年、新生オジー・オズボーンバンド結成にあたり、初代ギタリストを募集しているという噂を聞いたランディは、オーディションを受け、見事加入することになります。
そんなランディは、1956年12月6日、カリフォルニアで生まれます。7歳の誕生日に、祖父からアコースティック・ギターをプレゼントされたことがギター人生のはじまり。幼くして父を亡くした彼は、音楽家の母のもと、恵まれた環境で育ちます。オーディションを受けた当時も地元のバンド、クワイエット・ライオットでプレイする傍ら、母の経営する音楽学校で子供にギターを教えるという日常でした。
記念すべきファーストアルバム「Blizzard of Ozz」
80年に「Blizzard of Ozz」、翌81年に「DIARY OF A MADMAN」と、2枚のオリジナルアルバムをリリースし、全英や全米ツアーを敢行するなど、順風満帆に思えたオジー・オズボーンバンド。
しかし1982年3月19日、ランディを乗せた小型飛行機がフロリダ州で墜落。操縦士とメイクアップ・アーティストを含む3人が死亡。25歳の若きギターヒーローがその存在をフルに発揮する前の突然の出来事でした。

Blizzard of Ozz
続いてリリースされたセカンドアルバム「DIARY OF A MADMAN」

DIARY OF A MADMAN
ランディの死の5年後にリリースされた追悼の想いが込められた「Tribute」
1987年にリリース。不慮の飛行機事故に巻き込まれ、25歳で夭折したランディへの追悼の想いが込められたライブアルバム。彼のギター・ソロも収録される不滅の名盤です。

Tribute
ギタリスト、ランディ・ローズのプレイスタイルは?

母は日本人…二代目ギタリスト「ジェイク・E・リー」

Jake E. Lee
ランディ・ローズが亡くなり、大きな失意のもと、二代目ギタリストのオーディションの末選ばれたのはジェイク・E・リー。彼は1957年2月15日にアメリカで誕生しました。父親がアメリカ人で、母親が大阪出身の日本人のハーフになります。
ジェイク加入後、最初のアルバム「BARK AT THE MOON」
柔らかく繊細なイメージのランディ・ローズとは異なり、当時流行していたLAメタルの流れを汲み、硬質かつ高速なギターが特長です。

BARK AT THE MOON
脱退前、最後のアルバムとなった「The Ultimate Sin」
86年にはジェイク在籍2枚目のアルバム「The Ultimate Sin」がリリースされました。彼自身はこの時期に結婚するなど私生活は幸せでした。しかし、一方でオジーは再びアルコールや薬物依存症に苛まれており、ブラック・サバス解雇のときのように二人の間に不協和音が生じはじめ、ついには87年にジェイクがバンドを去る事態となりました。

The Ultimate Sin
ギタリスト、ジェイク・E・リーのプレイスタイルは?

在籍期間は最長…三代目ギタリスト「ザック・ワイルド」

zakk wylde
1967年1月14日にアメリカで誕生したザック・ワイルド。19歳の1987年、ラジオでジェイク・E・リーの後任ギタリストを探していると友人を通して聞いた彼はデモテープを作り、マネージャーであるオジーの妻シャロンの元に渡りました。テープを聴いたオジーとシャロンはキラリと光るギタープレイに一発で惹かれ、オーディションの後、晴れてバンドの一員となりました。
1988年にリリースされた「No Rest for the Wicked」以降、ザックはオジーの5枚のスタジオ・アルバムに参加。80年代にオジーの片腕となった3人のの中では最も長くオジーの相棒を務めたギタリストになりました。
80年代にリリースされた最後のアルバム「No Rest for the Wicked」
「No Rest for the Wicked」の1曲目「Miracle Man」のミュージックビデオではベルボトムに身を包み、豪快に金髪の長髪を振り乱してギターソロを演奏する若き日のザックの姿を垣間見ることができます。前の二人のギタリストに引けを取らない荒々しいプレイはさすがです。

No Rest for the Wicked
ギタリスト、ザック・ワイルドのプレイスタイルは?

まとめ

いかがでしたでしょうか。その後、ジェイク・E・リーは「バッドランズ」、ザック・ワイルドは「ブラック・レーベル・ソサイアティ」などのバンドやソロなどで活躍。オジー・オズボーン自身も2011年にブラック・サバスに復帰、2013年にはアルバムを発表し、結成43年目にして初の全英アルバムチャート1位とBillboard 200チャート1位という快挙を成し遂げています。彼らの今後の活躍を期待します。