Introduction
ジョン・メレンキャンプ
ジョン・メレンキャンプは、ブルース・スプリングスティーン、ブライアン・アダムス等と並ぶ、80年代を代表するシンガー・ソング・ライターです。
デビューに際し、当時のマネージャーによって、「アメリカのライオン」を意味するクーガーという芸名を与えられジョニー・クーガーとしてデビューしています。その後、ジョン・クーガー、1982年発表のアルバム「アメリカン・フール」の大ヒットを期に1983年よりジョン・クーガー・メレンキャンプと改名。更に1991年から本名のジョン・メレンキャンプを名乗っています。
John Cougar
ジョン・メレンキャンプは1970年代半ばに、デヴィッド・ボウイのマネージャーだったトニー・デフリーズに見出されてデビューします。当時は化粧をしてトラッシュというグラムロック・バンドをやっていたそうですが、現在のジョン・メレンキャンプからはとても想像できないですね。
早々にレコード会社を移籍していますが、ジョニー・クーガー時代はヒット曲に恵まれていません。
ジョン・クーガー
1979年に発売された4枚目のアルバムですが、本作よりジョン・クーガー名義となります。
ジョニー・クーガー名義だった前作「バイオグラフィ」から「アイ・ニード・ア・ラヴァー」を収録しており、アメリカとオーストラリアでヒットしました。また、「タクシー・ダンサー」もリメイクして収録されています。
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ジョン・クーガーの5枚目のアルバム「夜を見つめて」は1980年の発売です。このアルバムからは「夜が泣いている」と「恋のともしび」の2曲がヒットしたことで、本作もプラチナ・ディスクを獲得しています。
アルバムの目玉はやはり「夜が泣いている」でしょうね。いつ聴いても胸が熱くなる素晴らしい曲です。
夜を見つめて
ジョン・クーガーを代表する初の全米1位となったヒット曲「ジャック&ダイアン」と「青春の傷あと」を収録した1982年発売のアルバム「アメリカン・フール 」です。
とても気持ちよく聴くことが出来るロック・アルバムで、ヘビーでルーズでジャムセッション的な演奏だけがアメリカンロックではないことを声高らかに歌っています。
それにしても「ジャック&ダイアン」は素晴らしいです。どこにでもいるような田舎の若いカップルの歌ですが、胸が熱くなります。
都会に憧れ生まれ故郷を出ていこうとする男と、都会には何もないと故郷に留まろうとする女の物語。日本でいえば「木綿のハンカチーフ」のような感じですね。
当然のようにアルバムも大ヒットしましたが、ジョン・クーガー名義では最後のアルバムとなりました。
アメリカン・フール
そして、もう一曲。どこかで聞いたことがあるようなギター・リフが軽快で印象的な「青春の傷あと」です。だからこそ大ヒットしたのでしょうね。
John Cougar Mellencamp
ジョン・クーガー・メレンキャンプと改名して初となる1983年に発売されたアルバム「天使か悪魔か」です。この時期は飛ぶ鳥を落とす勢いと言いますか、乗りに乗っておりシングル・カットされた「クランブリン・ダウン」(全米9位)、「ピンク・ハウス」(全米8位)同様にアルバムも大ヒットしました。
本作を代表作としているファン多数。
「1980年代の偉大な100枚」の32位にローリング・ストーン誌はこのアルバムを選出しています。
天使か悪魔か
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そしてジョン・クーガー・メレンキャンプは、前作よりも更に大成功を収めたアルバムを発表します。
1985年発売の8枚目のアルバム「スケアクロウ」がそれで、本作からは全米2位となった「ロック・イン・ザ・U.S.A.」をはじめ、「ロンリ-・オル・ナイト」、「スモ-ル・タウン」もヒットし、アルバムも全米2位、500万を超えるセールスを記録しています。
スケアクロウ
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その後、「Paper in Fire」(全米9位)、「Cherry Bomb」(全米8位)、「Check It Out」のヒット曲を含む、アルバム「ロンサム・ジュビリー」を1987年に発売します。
そして、いよいよ1991年に本名のジョン・メレンキャンプ名義で「Whenever We Wanted」を発売し、今日に至るわけですが、セールス的なことでいえば全盛期は80年代ということになります。
この10年の内に発表されたアルバム、楽曲の数々は本当に素晴らしく古きよき時代のアメリカのフロンティアスピリッツを感じさせるものばかりです。