そのうち何とかなるだろう
何とも無責任ですねぇ、この文句。
当時の教育ママゴンたちにボコボコにされそうですよね。
1964年にハナ肇とクレイジーキャッツが発売したヒット曲、
「だまって俺について来い」の中の文句です。 歌うは植木等。
全体的に無責任な詩をさらに際立たせているのがこのフレーズ。
こち亀の主題歌にもなりました。歌は天童よしみです。

面白すぎるこんな歌を歌った植木等とはどんな人だったのでしょう。
ハナ肇とクレイジーキャッツ
植木等と言えば、何と言ってもクレイジーキャッツでしょう。
彼らはお笑いコミックバンドと見られがちですが、これがそうではないんです。
元々、ジャズバンドとして発足・活動し、追随で参加したメンバーもミュージシャン。
後発的なメンバー参加だった植木等も、自分でバンドを組んでいたミュージシャンだったのです。
音楽を出発点としてコメディを取り入れた、コメディミュージシャンなのです。

彼らの腕前は?
メンバーが全員ソロ演奏ができて、それなりに聞かせてくれるコメディグループは、クレージーキャッツがダントツでした。
リーダーのハナ肇の音楽に対する情熱が、皆の思いと一体となり、見事なリズムと音色を醸し出しました。
植木等はギターとボーカルを担当し、中心的なポジションで活動しました。
安田のサックスに犬塚のベース、ジャズマン以外の何物でもないですよね。
とてもコメディをやるグループとは思えません。
この確かな腕前があったからこそ、業界でも一目置かれる存在となり、絶大な人気を誇るグループになっていったのです。
シャボン玉ホリデー
1960年に桜井センリが加入し、最終的なメンバー構成が出来上がったこの年に、日本放送の「シャボン玉ホリデー」がスタート。
双子の人気歌手、ザ・ピーナッツと共演することになります。
1960年代のバラエティの第一人者と言えるこの番組は、高い人気を誇るとともに、クレイジーキャッツの人気を不動のものにしていきました。
わかっちゃいるけどやめられない
1961年「スーダラ節」発売。
ステテコに腹巻にチョビヒゲといういでたちで植木が歌ったこの歌は爆発的な大ヒット。
ノリのイイメロディと「わかっちゃいるけどやめられない」というフレーズが受けに受け、なんと80万枚(シングル)も売り上げました。
まじめな植木は、あまりにもふざけた詩のこの歌を歌うべきか、当初悩んだそうです。
そして、住職であり厳格な父に相談したそうです。
植木等 - Wikipedia
シャボン玉とこの歌のヒットにより、コメディアン植木等は一躍スターとなり、本人の人間性・意思とは裏腹に、「無責任男・ホラ吹き男・ゴマすり男」のキャラクターに突進していくのでした。
おふざけソング第2弾
サラリーマンは~気楽な稼業ときたもんだぁ

世のサラリーマンの大ブーイングが響き渡りそうな、このふざけた文句で始まるおふざけソング第2弾「ドント節」と同時収録の「五万節」が、1962年1月に発売されるやまたまた大ヒット。
もう、どうにも止まらない、ときたもんだぁって感じですねぇ。
無責任男キャラクター定着
コツコツやるやつはご苦労さん~

翌1962年、またまたふざけた文句をひっさげて登場したのが、クレージー出演の映画「ニッポン無責任時代」の主題歌「無責任一代男」。
このヒットにより「無責任男」のイメージがバッチリ定着し60年代を謳歌していきます。
のちに、後発のコメディアンたちに与えた影響を、作詞の青島幸男が述べています。
そして、B面に入っていた「ハイそれまでよ」もヒット。
バラード調の出だしから一気にコミカルメロディへ、そして、シメの「ふざけやがってコノヤロー」が受けて、ノリノリのイケイケドンドン状態になっていったのです。
そして大晦日、紅白歌合戦にも出場を果たすのでした。
どうせこの世は ホンダラダァホーイホイッ
詩のほとんどが「ホンダラ」と「ホイホイ」。。。
なんちゅう歌でしょう!
しかも、この年1963年の紅白歌合戦にこの歌で出てしまったんです!
NHKも随分庶民の心がわかるようになってきてたんですねぇ。
黄金期と後退期
こうしてクレイジーキャッツとともに、植木等は1960年代のトップコメディアンとしての黄金期を迎えます。
1969年に発売した「ウンジャラゲ」は、志村けんが1988年にカバーしてヒットしました。
映画に歌にステージに大忙しのスケジュールをこなしていくのですが、70年代に入るとドリフターズの台頭等により徐々に人気が落ち、メンバーの単独での活動が目立つようになり、クレージーキャッツとしての活動が激減していきます。
そんな中植木等は、違う道を切り開いていくのでした。
個性派俳優へ
このあと1990年頃まで毎年のようにスクリーンに出演し続け、テレビにも多数のドラマに出演し、名わき役・性格俳優としての地位を築いていきます。
中でも、黒澤明監督最後の時代劇となった「乱」には、監督からのラブコールで出演を果たしています。

1986年には木下恵介監督の「新喜びも悲しみも幾年月」で日本アカデミー賞助演男優賞、キネマ旬報助演男優賞等を受賞、役者として円熟期を迎えることになるのでした。
人情の師匠との師弟愛
芸能通の間ではかなり有名な話しですが、植木の付き人を務めたのが小松政夫。
「小松政夫」の名付け親も植木等。
そして、世に送り出したのも植木等。
植木等の知られざる一面を、小松政夫が語っています。

小松政夫が涙ながらに語った、植木等との師弟愛 悠々寛大/ウェブリブログ
小松政夫 - Wikipedia
植木等さんは2007年3月27日、80年の人生に幕を下ろしました。
無責任男のキャラクターとして昭和のトップコメディアンとなり、また個性派俳優としても数々の映画やドラマに出演し、ファンを楽しませてくださいました。
キャラクターイメージとは違う、温厚で人情味のある男は、自身のイメージに随分葛藤したことでしょう。
そんな男だからこそ、ファンを魅了し、一世風靡できたのではないでしょうか。
ありがとう、植木等さん。