元WBC世界フライ級王者『勇利アルバチャコフ』


勇利アルバチャコフがロシア時代に獲得したタイトル
1984年-ソ連のスポーツのマスターの候補
1986年-若者の間ソ連のチャンピオン
1987年-ソ連の人々のゲームの勝者
1988年 -チェコスロバキアの「グランプリ」を受賞
1988年-ルーマニアトーナメントの勝者"黄金のベルト"
1989年 -成人ソ連チャンピオン
1989年-アテネのヨーロッパチャンピオン
1989年-モスクワでの世界アマチュアチャンピオン
ロシアのプロボクシング・フライ級のチャンピオン

ペレストロイカ政策の一貫として、日本に移住する

当時のソ連の最高指導者ゴルバチョフによるペレストロイカ(改革)プログラム・民主化の一環として「旅行・移住の自由化」を受け、勇利アルバチャコフはオルズベック・ナザロフとともに日本に来た。
日本では共栄のボクシングジムに所属した。
1990年2月1日、「チャコフ・ユーリ」というリングネームでバンタム級でプロデビューする。
わずか13か月の間に右ストレートで7連続KO勝ちする。

1991年に、ジムの先輩の元世界チャンピオンの海老原博幸にあやかり「ユーリ海老原」にリング名を変更する。その年の7月に、彼は第一ラウンドノックアウトで、日本フライ級タイトルを獲得した。
ユーリ・海老原から、勇利アルバチャコフにリンク名の変更

1993年に世界タイトルを獲得した後、彼はリング名から「海老原」を取り、勇利アルバチャコフに変更する。
尚変更理由は、彼のナショナリズムに起因していると思われていたが、「エビ」の発音がロシア語で女性器や性交といった卑猥な意味と同じなので、変えたかっと語っている。

世界フライ級王者、勇利アルバチャコフの日本での活動と引退

勇利アルバチャコフの写真集
チャチャイ・ダッチボーイジム戦と引退

勇利アルバチャコフの現在
1997年に引退した勇利アルバチャコフは、現在、1996年に結婚した日本人の妻とロシアに帰国した。サンクトペテルブルグで、トレーニングジムとカフェバーを合わせた店を経営し、ボクシングの指導をしている。


